01.28.02:19
[PR]
01.25.02:43
こども芸術大学 制作文 / 央飛人の自己主張・根源
<央飛人の自己主張>
私が、うきうきパンを作る作業をしていると、2歳の央飛人(ひろひと)がダダをこねてはじめました。それが本当に激しいので困ってしまいました。
私の気持ちが自分から離れていると感じるのでしょう。
「今な、おひさまパンを作ってるんやで。ほらこんなんやで。焼けたらたべよな。」
パンを見せてそう説明しても全くおさまりません。
他の事なら少々中断できるのですが、パンの形成となると、生地が乾燥して、硬くなったり発酵度合いもまちまちになってしまい、仕上がりに大きく影響してくるので手を休めるわけにいきません。
「ごめんね。終わるまで待ってね。」そう言っても、こんな時の彼の耳には届くはずもありません。
<自己主張の根源>
その様子を見ていると、あるひとつの出来事を思い出します。
それは彼が1歳になるかならないかの時、家に泊りがけで来られる5人のお客さんの夕飯と宿泊の準備を1人で用意した時の事です。
親しい人たちなのでそんな準備も苦にはならず楽しいのですが、やっぱりこども達の相手をしながらだと思うようにいきません。いよいよ予定の時間が迫っているとなると集中しないと事が進みません。そういう空気を察知して央飛人はそれまでなかったように泣き、足元から離れず、余裕のない私はそうした央飛人の気持ちに答える事なしに準備をこなしました。
それまでの彼は非常に安定していて、夜泣きもした事がなく、いつも笑顔で本当に純真無垢な存在そのものの様に思えていたのが、そのでき事を境に彼の様子が変わりました。
そのとき彼は、<お母さんに拒絶された>…という強い感覚を持ってしまった様に思います。
何か、それに近い様な事があると、彼にその感覚がよみがえっているのを感じます。その感覚を感じ激しく泣いて訴えている様に思います。
忙しい日常の中でも、私が彼と真剣に向き合い、じっくり時間をかけてその氷が自然にとけるのを待つしかないと思っています。
01.25.02:41
こども芸術大学 制作文 / お誕生日会の当日
<お誕生日会の当日>
お誕生日会当日、その月にお誕生日を迎えるお母さんは、こどもの頃の写真を何枚か紹介する事が恒例となっています。
生後4ヶ月の児は頃の歩行器に乗って笑う写真は、目元が娘の澪そっくり。
今の澪と同じぐらいの写真は、お父さんお母さん、1つ下の妹と一緒にお正月の初詣の写真。
生まれながらに動物たちが大好きで、心が通っていました。やっとよちよち歩けるぐらいの時に、自分より背丈のある大きな犬に抱きついた事と、住吉(神社)さんの白馬にニンジンを手の平に載せたてあげるのが大好きだった話をしました。
小学校5年のときの巫女さんの写真。
お正月の着物や巫女さんの体験は、今澪が日本舞踊と縁あって出会っている事にもつながっていると改めて確認します。
高校生のときの写真。
私が絵を描くのが大好きというのはクラスのみんなが知っていて、文集の表紙や学園祭のバックの6畳もある大きな絵を描いたり…など、そういう類の仕事は必ず回ってきた事。高校を卒業するとき、本当は芸大に行きたかったけど、家の都合もあり断念しました。けれど、今こうして子供たちと一緒に通えているので思いがけない形で願いが叶っていると云う話をしました。
写真の紹介の後、こども達が「わーっ」と、私を取り囲んでいっせいにプレゼントを持ってきてくれて、そのこども達の純粋な思いを感じて感無量になりました。
ひとつ、ひとつ、こども達が書いたものや作ったものを説明してくれたり、躍ちゃんのお兄ちゃんの雄大くんまでロウソクのたくさん乗ったバースデイケーキを描いてくれたり、それぞれこども達が説明してくれるその姿に、こらえようと思っても、涙が溢れて止まりません。
芙耶ちゃんが「どうしたん?ないてんの?」と質問してくれて、「うん。みんなの気持ちがうれしくて…感激屋さんやねん。」とやっと答えました。
大人の私が自分たちのプレゼントに感動して涙している様子はこども達にとって、
印象に残った様子で、花練ちゃんはそのときいなかった聖美さんに、「泣いてはった。」と伝えてくれているのが聞こえました。
01.25.02:40
こども芸術大学 制作文 / 躍ちゃんの優しさ
<躍ちゃんの優しさ>
おひさまパンの絵本を読もうとした時、央飛人がお気に入り電車の本を持って来て「かあたん、これ、よんでー」と自己主張して来ました。お母さんが外のこども達から何かをプレゼントされて嬉しそうだったり、いつもと違う様子なので、自分の存在がおかあさんの中から消えてしまったと思えたのか、疎外感のようなものを感じた様な気がします。
私も、その央飛人の自我をどこまで通すべきか悩んで、困ってしまいました。でも、央飛人は、母親が今からみんなに絵本を読もうとしていることをよく分かっていてやっているので、生半可に付き合うぐらいでは納得しません。ここではこども達みんなとの時間を優先しようと「後から読んであげるからね。後でね。」と言うと、央飛人は泣き出してしまいました。手足をばたばたさせて泣いている央飛人を主人が他の部屋へ連れて行くかたちになってしまいましたが、しかたないかなと思って絵本を読み始めました。
央飛人には、また別に時間をとって央飛人が納得してくれるように、お話をしようと思いました。
後で知ったのですが、そんな央飛人をかわいそうに思った躍ちゃんが、「本を読んであげようか?」と、ずっと主人が連れて行った央飛人の傍についていてくれたのです。
私が出来なかった事を、躍ちゃんが代わりにしてくれようとしてくれたのです。
人に何かをしてもらうより、人に何かをしてあげたいと思う躍ちゃんの優しさに心を打たれました。
01.25.02:39
こども芸術大学 制作文 / 自分なりの答え
<自分なりの答え>
お誕生日会が終わったあと、山本先生が央飛人に対してとった行動について、思うところを話してくださる機会がありました。
「あの時、10分でも20分でもみんなに待ってもらって、絵本を読んであげるとかひろくんも納得し、みんなも納得するようにできなかったか?こども芸大はそうした時間はとれるところなのでそのように対応できないものだろうか?」
そう言われて、私は、「自我の満足を通すことを覚えることは、央飛人にとってどうなんでしょうか?」
「彼自身の心の奥からきている衝動は本当に大切にしてあげたいと思うけど、自我の欲求、わがままが混ざりこんだものを、どこまで満足させていったらよいのかと考えているところです。」
「先生に戴いたご意見とお気持ちにはとても感謝します。でも、これから同じことが起こった場合どう対応するか、その答えは考えさせてください。」と、自分の内にある感触を確かめながら、そう伝えさせてもらった。
次の日もまた、みんなの前で塩本先生が同じことをおっしゃり、「お母さんが変わって欲しい」とはっきり言われました。
でもやっぱり、山本先生に伝えたことを繰り返し、まだ私のなかでは答えがでていないと伝えました。
その時間のすぐ後に朋子さんと話した時、「そうしたことは難しい問題やね。でも私と季穂は、せっかくの楽しい時間なんやけど、ひろくんのことが気になって100%その場を楽しめなかった。」と素直な感想を言ってくれました。
--------参加してくれた人達みんながそういう風に央飛人のことを気にしてくれるなら、考えなきゃな。---------
01.25.02:38
こども芸術大学 制作文 / こどもたちの中の宝物
<こどもたちの中から自然にでてきてくれたのもが最高の宝物>
お誕生日会の次の日のお弁当の時間、となりに座った 理恵さんが1枚の絵を出して来られました。それは昨晩アキちゃんが、書いてくれたものでした。
そこには、にこにこのおひさまパンと、「おひさまパンありがとう」のメッセージが書いてありました。
アキちゃんは今まで人に絵を書いたり、プレゼントするような事がなかったのに、はじめて自分から行動出来た様です。またその絵を書いた後掛かってきた電話にも、アキちゃんは自分から進んで出る事が出来たりしたそうで、その事を理恵さんはとても喜んでいました。
私も、意図していなかったものの、そういう事が結果的に起こってくれて、本当に何より嬉しかった。勇気をもって、やりたい事をやってみて良かったと実感した出来一日でした。
花練ちゃんも、翌日かわいい『おひさまパン』の絵を描いてくれて、てこ、てこ、てこっ…と自分で私のところまで持ってきてくれました。
花練ちゃんの首をかしげて笑う顔がなんとも愛らしくて、きよみさんのメッセージも嬉しくて喜んでいると、その様子を見ていた躍ちゃんがすかさずさらさらっと赤いクレヨンでおひさまパンの絵を描いて満面の笑みで持って来てくれたのです。
私もまた嬉しくなって、「躍ちゃんありがとう」と言うと、躍ちゃんは、「これ火で焼いたから燃えてるねん。」と…。
私が「今日は少し寒かったけど、躍ちゃんのおひさまパンのお蔭で、なんだかぽかぽかしてきたわ。」と言うと、本当にすてきな笑顔を返してくれました。
きらきら光る宝物がこども達の中からたくさん溢れて来て、そうしたこども達の様子に、私は幸せな気持ちでいっぱいになりました。
01.25.02:36
こども芸術大学 制作文 / おやつ作り
ブルーベリースコーンのおやつ
<スコーン作り>
朋子さんが、「ブルーベリーのジャムがあるけど、なにかに使える?」と聞いてくれました。
私は、「えー!いいね。何にでも使えるやん。なんかおやつ作ろう!」と喜んでいると、そこに聖美さんが来て、「スコーンはどう?マクロビのいい本があるよ。」「わー、いいね。お願い。」
…ということで、次の日ブルーベリースコーンを作る事になりました。
家に帰って、家でスコーンを作るときに使う、丁度良い大きさのグラスを2つ用意していると、ふっと、「聖美さんは石鹸のワークショップの後だし、この間は少し風邪ぎみだって言ってたし、ゆっくりしたいんじゃないかな?小さい陽くんがいて大変なのに、本を持ってくるために早く学校に行かないととか、それだけでもかなりプレッシャーをかけるんじゃないか?」…と思いました。
でも、それに気がついたのは夜中の11時で、今さら電話もできないし、インターネットでマクロビのレシピを検索するとでてきたので、聖美さんにレシピみつけたので大丈夫とメールをしました。
朝8時半ごろ、メールを見ていない可能性もあるので、電話すると聖美さんたちは、すべてを用意してちょうど家をでるところでした。朝のあわただしいなか、電話してかえって悪かったかなと思っていると、聖美さんから、「花練が佳代子さんのお菓子づくりお手伝いしたい。」と言ってくれていると聞いて嬉しくなりました。
前に2チームに分かれて子供たちとピザづくりをした時、花練ちゃんは、みんなのトッピングが終わった後、みんなに見守られながら、本当に丁寧に素晴らしく仕上げてくれたのでした。
「花練はそれが楽しかったみたい。」と聖美さんが言ってくれましたが、実はもう一つ、後で知る事になる別の大切な訳があったのでした。
朝、学校に着くと、花練ちゃんは玄関のところでゆっくり腰をおろして靴を脱いでいました。そして嬉しそうに、「今日はお父さんのお誕生日。」と教えてくれました。
聖美さんが持ってきてくれたのは、マクロビオティックをされている中島デコさんの本と、レシピにでているりんごジュースの変わりのりんごとくず粉とオートミール。陽くんをおぶって、かれんちゃんを後ろに乗せて、自転車に乗って来ていてそれでなくても大変なのに、快くそうしてくれる頑張り屋さんの聖美さん。
央飛人が自転車で寝てしまったので、出来る時に出来る事をと、山から帰ってきた朋子さんと一緒に朝から生地作りを始めました。
すると、興味を持ったこども達が集まって来ます。澪はいつも家でしているから、今日はいい。と自転車に乗って遊びます。季穂ちゃんがおかあさんと材料を計るのを手伝ってくれます。論くんと芙耶ちゃんがりんごをミキサーにかけるのを手伝ってくれます。そういう時のこども達の目は真剣でとても輝いています。
その日は、京都タワー体操のお姉さんたちがやって来て、こども達と交流して下さる日で、白い衣装に身を包んだ3人のかわいいお姉さんたちと楽しそうに体操しているこどもたちを見ながら、朋子さんと生地をこねたり、後片付けをしたりしているのもいい感じです。
お昼ごはんを食べた後に生地を繰り抜こうと言い合っていたけれど、央飛人が少し風邪気味だったせいもあり、ご機嫌が悪く私は作業にはかかれません。ごめんねー。と聖美さんと花練ちゃんが生地を伸ばしたりするのを見守ります。
すると朋子さんがやってきて一緒に作業しているとまた、ほかのお母さんやこども達が入れ替わり立ち代り、スコーンが完成していきます。朋子さんと躍ちゃんや論くんや季穂ちゃんが並んで作業している姿は本当にほほえましく素適でした。
焼き上がると、躍ちゃんが来てその仕上がりに満足そう。
わたし達3人が主体になりそれぞれ自然に出来ることを出来る時にして、みんなが楽で、みんなに感謝できて、こども達もやりたい事が出来て、満足のゆく進め方が出来た、うれしい出来事でした。
01.25.02:34
こども芸術大学 制作文 / 花練ちゃんの願い
<花練ちゃんの願い>
帰り際に朋子さんが「伸一さんに」…と、一つだけ残ったスコーンをホイルに包んで持ってきてくれました。朋子さんの気持ちに感謝して、それを預かることにしました。
お話したい事があって聖美さんのところに行くと、ちょうど聖美さんが花練ちゃんに「朋子さんに自分で聞いてきたら?」と言って、花練ちゃんがとことこっと朋子さんの所に行こうとしているところでした。どうしたの?と聞くと、「お父さんのお誕生日に今日作ったおやつを、お父さんに持って帰りたい。」と言ってるのだそうです。
―そうか、朝、花練ちゃんが朝お父さんのお誕生日のこと教えてくれたね。
お父さんにあげたくてお菓子づくりを手伝いたかったんだ。
そういえばお昼にお父さんにケーキをあげるって言っていた。
それらが全部つながって、花練ちゃんの本当にしたかった事が、やっと私にもわかりました。
偶然、朋子さんにひとつだけ残ったスコーンを預かっていて、その場に居合わせることが出来た事に本当に感謝しました。無事に花練ちゃんの手に渡り、そのスコーンの価値は計り知れないものになったように感じました。
花練ちゃんのお誕生日のお父さんに、自分で作ったおやつを持って帰ってあげたいという願いが叶って、本当に本当に良かった。花練ちゃんの、お父さんを想う気持ちを表現された素敵な出来事の立会い人になれた事は、私にとって、とても幸せなことでした。
こども達が本当に心から願う小さな願いが、一つひとつ聞き届けられて、いつもいつも叶います様に…。
01.25.02:33
こども芸術大学 制作文 / 澪と央飛人の遅めのお昼ごはん
<澪と央飛人の遅めのお昼ごはん>
スコーン作りの作業が進む中、澪は私と央飛人がいるテーブルの少し離れたところで、一人遅いお昼ご飯を食べ始めました。
みんなかお弁当を食べる中、ずっと三輪車仲間のやくちゃんと論くんと遊んでいて、声を掛けても、おなかが空いていなかったのか食べなかったのでした。
そして澪は、三輪車に乗ったままお弁当を開き始めました。
その時わたしは、風邪気味で食欲のなかった央飛人にお弁当を食べさせていたところだったので、しばらく澪の様子を見ていました。
そのままお弁当を食べ始めようとする澪に、
「澪ちゃん、自転車に乗ったままお弁当食べるの?それってどうかな?」
澪のところにいこうとするのと同時に、聖美さんが気を利かしてイスを持って来てくれました。
「澪、いつもごはんを食べるとき、いただきますって食べ物にありがとうって気持ちで言ってるよね?その格好じゃありがとうって思っているように見えないよ。澪はどんな感じがする?」と聞くと、「分かった。」とすぐにイスに座りなおして背筋をのばして食べ始めました。
すると今度は、央飛人が、「おにぎりちょうだい、おにぎりちょうだいっ」と言い出してぐずりだしました。
その日は私が自分のお弁当を忘れて、央飛人のお弁当をお昼に半分食べていたせいでご飯が足らなかったのでした。
「澪、ひろにおにぎりひとつあげてくれる?」
「いや。」「おねがい。」
「いや。」
「あのね。おかあさんがお弁当忘れて、ひろのおにぎり半分たべちゃってん。
またお家に帰ったら何か、澪にお礼に何かいいものあげるから、このおにぎり分けてくれへんかな?」と言うと、やっと澪が納得しておにぎりをひとつ分けてくれました。
央飛人にもお母さんがおにぎりを食べたことをあやまり、澪ねえちゃんも食べたいのに央飛人のためにおにぎりを分けてくれたよ。と言ったら、「ねーちゃん、あーと」と言い、央飛人はもらったおにぎりを満足げに食べました。
澪のこころが納得して、澪自身も央飛人も満足している2人の姿を見て、私も嬉しくほっとした気持ちになれました。
01.25.02:29
こども芸術大学 制作文 / ある日のお母さんの立ち話
ある日のお母さんの立ち話
<答えを暗記するのが勉強?>
上の子が行っている塾のやり方は、プリントされた学習内容を大量にこなす事で、答えが出てくるディスポンスを上げる様だ。なせそうなるのかを学ぶより、多くの公式をたくさん暗記する事をする。リンゴやミカンが出てくる問題の様で、その問題を解く前にいろいろ疑問点がでてくる子がいても、その感性は大切にはされない。
子供の頃、その塾に通った主人は、計算が速くなる利点はあるが、失う何かがあると言っている。ある女の子はそろばんを習っていて、相当の腕前なのに、日常の買い物などの簡単な計算はできないのが不思議。 応用が利かないという事か?
その話を聞いていて、こどもの感性を大切にし、こどもの考えるちからが育つ様な教育の方法はないものだろうか? と思う。
こども芸術大学のアーツリーダー養成講座で来られた、理性と情緒の調和した教育を目指しておられる、佐治晴夫先生のお話や本にそのヒントを感じる。
01.25.02:28
こども芸術大学 制作文 / 男の子の子育て
<男の子が男性に育つには、お母さんはどう接すればいい?>
「自立した男性が育つには、お母さんの接し方が大きな鍵をにぎる様に思う。」
そう言うと、恵子さんが「えー」と声を上げました。
なぜそう思うか?それは、わたしが高校を卒業して何年かして、10代の男の子の服を扱うショップの店長をしていた頃、中学生の男の子とお母さんが服を買いに来ている際の親子のある場面に遭遇しての事でした。
「どんなんがいいの?」
「これはどう?」「これなんかいいんやない?」
「もう!この子はなにも言わへんのやから。」「はっきりしいな。」
お母さんがいらいらまくしたてて、こどもの言葉をさえぎって、全部取り上げているように感じました。
その男の子の心は硬く閉じてしまって、貝のように口を閉ざし、表情も変えませんでした。その姿に私の心は痛みました。
その時私の中では、その子のお父さんも力なく、お母さんに支配されている姿が目に浮かんできました。
「その男の子は今頃、こころの中では反発していたお母さんのような人と結婚してまた同じような状況を繰り返して、またそのこどももお母さんから同じ目にあっているのかもしれないね。」
そんな話をしたら、さとえさんがそう思うと実感を持ってうなづいてくれました。
恵子さんは、「そんな時からもうそんなことを考えていたの?」と驚き、「私もこども芸大に入ってから、親の子供に対する心無い対応を見てしまうと、胸が痛んで…」と話されました。
お父さんの支配するこうした事の反対バージョンもあったり、いろんなパターンがあると思いますが、そんな風に因果が繰り返す仕組みが、どこかで変わっていく事が出来るのだろうか?どうなれば、また何をもって人は救われた状態になるのだろう?
ずっとそういうことを今まで、追及して生きて来た様に思います。
私も、こどもを持つ身になって、こどもに対するその母親としての影響力に責任を感じています。
01.25.02:25
こども芸術大学 制作文 / みちくさ
<みちくさ>
韓国のアリラン放送局の方が、こども芸大と、そこに通う子供の家に取材に来られました。
韓国と中国と日本の幼児教育の現場を取材される中、日本での新しい教育の取り組みをしているところはないかと、こども芸大に白羽の矢があたったそうです。
こども芸大では、自由にこども達が遊ぶシーンを撮影されました。
私たちの家にも2日にわたって来られ、こどものためにお弁当を作るシーンや自転車で学校へ通うシーンを撮影され、日々こども達と接する中で、何を大切に過ごしているのかを尋ねられました。
韓国も少子化が進んでいるそうで、夫婦共働きをしながらこども達の教育にはかなりのお金が掛けられ、学校の後、こどもたちは塾や習い事に通うバスで次から次へと送るようなシステムがビジネス化されていると聞き驚きました。
合理的といえば合理的ですが、こどもの特権とも云える遊びの時間がなさそうで聞いているだけで息がつまりそうになりました。
私達の子供の頃は、学校の帰りに田んぼの畦道に生えているクローバーで遊んだり、てんとう虫を手に這わしたり、筆箱で飼うゾウムシを探したり、思うままみちくさをして遊んで、時間もゆっくり流れていました。
こども芸大に着くと、今日は何をしてあそぼうかな?
こども達はしたいことを自分の心に聞いて、思い思いに過ごします。
みちくさしているような、ゆっくりした時間がここにも流れています。
01.25.02:24
こども芸術大学 制作文 / 澪のわがまま
<澪のわがまま>
「抱っこして」
「ひろをだっこしたら、澪も抱っこして欲しくなるもん。」
「2人は無理やねん。」
「エーンだっこしてー。」と泣き出す澪。
駐輪場から立ち往生です。
「学校に行かれへんで。2人を抱っこして歩くことはできひんもん。どうする?このまま帰るか?」「いやーーー!」
央飛人をひざの上に階段にしばらく座って、泣いている澪の気持ちを感じてみる。
いつもは言わないけれど、我慢してるんやな。そう思うと、澪をいとおしく思えてきて、央飛人を膝から下ろして、
「ひろはいつも抱っこって言うたら、お母さんは抱っこしてるやろ。」
「お姉ちゃんも抱っこして欲しいなと思うときがあっても、ひろくんをだっこしてるからって我慢してるんや。ひろくん順番な、今はおねえちゃんの番な。」
そう言うと央飛人はちゃんと聞いてくれて納得して待ってくれました。
「澪、今ここで抱っこするんでいいか?抱っこして歩かれへんでもいいか?」
と言うと、うなづく澪。
「ほんなら、澪がもういいって言うまで抱っこしてあげるからな。」
しばらくぎゅっと抱きしめていると、もういいとするっとひざから降りて歩き出す澪。
親としての立場や都合を押し付けている間は、何と言っても子供は納得してくれない。
その点、山本先生は子供の気持ちを感じて、それに沿って対応してくれる本当に良いお手本です。
01.25.02:23
こども芸術大学 制作文 / お弁当の時間 侃くんの水筒
お弁当の時間
<侃くんの水筒>
ある日のお弁当の時間。央飛人と私の前に、座っていた侃くんが、「うー水筒固くて開けられへん。」と困った顔をしていました。
それを見て「じゃあ、どうしたらいいかなー」と言うと「私が開けてあげる!」と隣に座っていた、ちょっとお姉さんの季穂ちゃんが一番に声をあげました。
でも季穂ちゃんが顔を赤くして開けようとがんばったけと開きません。
「わたしもやる」っと芙耶ちゃん。「おー!芙耶ちゃんも挑戦か?」普段はちょっとクールな芙耶ちゃんが、顔をしかめて一生懸命開けようとするしぐさが本当にかわいかった。
やっぱりそれでも開きません。
その隣はアキちゃんだけと、アキちゃんはマイペースでお弁当を食べていて、そのまた隣の論君が「論君もー」と嬉しそうに言いました。
そんなみんなの様子を見ていた侃くんが、「僕もちょーせんしてみるー!」…と目をきらきらさせて、大きく手を振り上げて言いました。
「ちょっと待ってな。」「論くんもやりたいって。論君が先に言うたから、先に挑戦させたげてな。」論くんも一生懸命がんばってみたけど、やっぱり固くて開きません。
そして、最初の様子と大違いのやる気満々の侃くんの手に戻って来て、水筒のふたをひねると、“きゅっ”と音をたてて魔法のようにふたが開きました。
「侃くんーすごーいい!」「やったー!」ちょっと感動して本気で声をあげました。
するとすかさず「みんなが手伝ったからやん。」と芙耶ちゃん。「そうやね。みんなの力があわさって開いたんやね。」
水筒のふたが開かないことが、こんなに楽しい事とは知りませんでした。
01.25.02:21
こども芸術大学 制作文 / 躍ちゃんのお箸
<躍ちゃんのお箸>
躍ちゃんが「ひろくんの隣がいい」と、一度開いたお弁当を持って引っ越して来てくれました。
いつもこども達の様子をじっくりと見守ってくれている中尾先生が、
躍ちゃんが残していったランチョンマットやお箸を、持って来てくれました。
躍ちゃんはお箸箱は開いた様子はなくお弁当を食べているので、
「これ躍ちゃんのおはし箱?どうやって開けるの?」「こーするんやで」
「へーそうするんや。」
「どうやって使うの?ひろくんに教えたげてくれる?」
「わー。すごい。上手に使えるねー」
少しの間はお箸で食べていたけど、すぐに手で食べていた様です。こっちに意図があると、どこかで敏感に感じるのでしょう。
なかなかこども達は手ごわいです。
手で食べるほうが、躍ちゃんにとっていい理由があるのだと思います。
それを今度聞いてみたいと思います。
01.25.02:19
こども芸術大学 制作文 / ある日の央飛人のお昼ね
<ある日の央飛人のお昼ね>
お昼ごはんの後、おっぱいを吸ったままで、央飛人がうとうとして来ました。
いつもそのまま抱っこして、布団を用意して央飛人が深く眠って口元が少し緩むまで、添い寝をします。いつもはそうした時間も頭の中ではあれをしなきゃこれをしなきゃと考えていて、その場にいていないような感じなのが、その日はいつもよりゆったりした気分で、窓の外に広がる木々の木漏れ日を眺めていました。
すると、ぱっと少し暗くなりました。ふと顔を上げて様子を伺うと、中尾先生と目が合い、笑顔でうなずいてくれていました。私も先生に寝たままの姿勢だけれど、会釈して答えました。央飛人がまぶしくなくゆっくり休めるようにと、電気を消してくださる心遣いが心にしみて涙が溢れました。
01.25.02:17
こども芸術大学 制作文 / 澪への声かけ
<澪への声かけ>
「明日は学校やから、おもちゃ片付けてもう寝よう、まだ片付いてないの?何回同じこといわせるの?」とよく澪を叱ってしまいます。
ふと振り返ると、親の立場や都合を押し付けているなと反省させられます。
それを心理学で習ったアイメッセージで言い換えると…
「ここを澪ちゃんが片付けてくれたらきれいになって、お母さんは気持ちよくなって、澪ちゃんのおかげでお母さんは明日もガンバローって気持ちになるわ!」となって
「自分のおかげでお母さんがガンバロウってゆう気持ちになるんやったら、やろう!」
と、ウキウキお片づけしてくれる澪の姿が浮かんで来ます。
忙しさにかまけないで、心に余裕を持って澪や央飛人の気持ちを考えて、対応していかなきゃと思う今日この頃です。
アイメッセージの「アイ」とは「私」のことです。これはアドラー心理学で使われる「アイメッセージ・ユーメッセージ」という表現方法です。
「あなたは~~です。」という言い方をすると相手を責めたり、非難したり、行動をかえさせたいという指示をする言い方になります。
YOU(ユウ)メッセージ・・相手に対して要求がはじめにある。相手に求める。命令する。
「私は~~です。」「私が~~してほしい。」の様に「私は」を主語として、相手の言動によって自分がどう感じたのか、相手に何をわかって欲しいのかを真直ぐに伝え理解してもらいます。
I(アイ)メッセージ・・・自分の状況を説明する事により、相手に理解してもらう。
01.25.02:14
こども芸術大学 制作文 / 休日の澪 澪の中のりんごちゃん
休日の澪
<澪の中のりんごちゃん>
朝、起き掛けに澪が突然うなされ、泣き出しました。
央飛人がおなかにできたときの、澪の夜鳴きを思い出す激しさでした。
いろんな感情がたまっているのでしょう。
そんなときは、抱きしめて「よし。よし。」と声をかけて澪の感覚がおさまるのを、ずっと抱っこしたり、さすったりして時間をかけて待つしかありませんでした。
そのときは、ふっと思い立って、澪に聞いてみました。
「今、澪のどの辺にどんな感じがするの?」
そうすると、澪が泣くのを止めて、自分の感覚を内観しながら答えてくれました。
…この辺に…
…そうその辺にどんな感じ?とげとげしてる?ごあごあしてる?つるつる?どんな感じ?…
…つるつるしてる。…
…そう。それは色がついてる?どんな色?…
…赤い色。……
…へーそう。赤い色なんや。名前はある?
…うん。りんごちゃん。…
もうそう答えている澪は落ち着いて、にこにこしていました。
…りんごちゃんは何か言ってる?…悲しいって。…
…そう。どうして欲しいって言ってる?
…ぎゅーっと抱っこしてって。…そう。ぎゅー。こんな感じ?
ぎゅーっと抱っこすると、澪はすり抜けて笑って走ってゆきました。
そのとき試してみようと思ったのは、ある感情や感覚があるとき、その感覚を内観して具体的にイメージして見つめてみるという、心理学のフォーカシングという技法でした。
いままで、苦労していたことがうそのように感じられた時間でした。
フォーカシング(Focusing)は、静かに、心に感じられた「実感」に触れ、そこから意味を見いだす方法です。シカゴ大学教授ユージン・ジェンドリン(Eugene Gendlin)の心理療法の研究によって生み出されたこの方法は、心理療法や自己理解、夢理解の方法として米国をはじめ、ヨーロッパほぼ全域に普及しています。
01.25.02:11
こども芸術大学 制作文 / おばけのぴーちゃん
<おばけのぴーちゃん>
澪が、「これでおばけをやっつけるねん。」と作ったおもちゃを持ってきて戦う様なしぐさをしました。
「おばけも悪いのもいるけど、いいおばけもいるよ。」と
その後、澪がぞうさんとかライオンさんに変身できるお面の絵本を探していてそれがどうしても見つからなくって、いつもだったら、「澪がちゃんと直しとかへんから、見たいときにないんやでー」と言うところを、
「もしかしておばけのお母さんがおばけの子供のために、澪ちゃんちょっと貸してねって持っていったのかもよ。」
「遊んだらありがとうって返してくれるんじゃないかな。それまで貸してあげていいかな?」
「いいよ。おばけー」
その次の日、澪は、「おかあさんおばけがいるねん。」と話をはじめました。
「黒くてー、目がひとつでー」というので、
黒くてまあるい目がかわいい子が誕生しました。名前はぴーちゃんだそうです。
ちょっと待ってともう一枚さらさらっと書いたのが、そのお友達のこーちゃん。
澪の中で、「おばけ」=「怖い」「敵」という意識から親しみに変わり、更にそれを通り越して澪ちゃんの一部になった様です。
01.25.02:09
こども芸術大学 制作文 / 澪のじゃんけん・お母さん何してるの?
<澪のじゃんけん>
「おかあさんシャンケンしよ、チョキ出してみて!」
「わかったよ、じゃあ最初はグー、じゃんけんポン!」
私のチョキの上に澪がグーを乗せてにこっと笑った澪ちゃんは
「かたつむり!」と言うのでした。1本取られた。
<お母さん何してるの?>
「おかあさんなにしてるの?」
「ジャガイモの芽を取ってるの。」
「なんで?」
「ジャガイモは生きてて、土に埋めると、ここからにょきにょき芽をだすんや。」
「でも、その芽を猪やら鹿さんやらに食べられたら、ジャガイモは大きくなられへんやろ。」
「だから芽のところに毒をだして食べられへん様にしてるの。」
「シャガイモってすごいね。そうして生きてるんやで。」
「そのいのちを、澪ちゃんやお母さんやひろくんやお父さんはいただいているんやで。」
そのままみていた澪ちゃんが
ジャガイモの皮むきを見て、
「おかあさんジャガイモが寒い寒いって言ってるで。」
01.25.02:08
こども芸術大学 制作文 / 耳あか、ひろくんの歯ブラシ
<耳あか>
「澪の耳の中がさがさ音がする。
シーほら音がする。お母さん聞こえる?」
<ひろくんの歯ブラシ>
「澪ちゃん。ひろくんの歯ブラシもって来てくれる?」
「いや」
「何で? ひろくんがおっぱい飲んでて、お母さん動かれへんねん。早よしなもう寝てしまうから持って来て。」
「いや!1回だけって言ったもん。」
「もう!澪ちゃんの歯ブラシ取りに行くついでやん。持って来てーな」
「いや。だって大変やもん。」
「ほんなら。もういいよ。そんなに嫌やったらいいよ。したくない事しなくていい!」
「あーん、あーん。1回だけって言ったのに、約束したのに…あーんあーん」
………………そうか。
前に1回だけ持ってきてあげるって澪が言うた時、それでいいからお願いって言うたから、澪ちゃんはその約束どおりにしているだけやのに、責められたり怒られたりして悲しいんや。…
「澪ちゃんごめんね。お母さんが悪かったね。」「澪ちゃんとお母さん約束したの忘れてた。ごめんね。許してくれる?」
「…うん。…」
「許してくれてありがとう。」「でも何時もじゃなくていいから、お母さんが大変な時だけでいいから、また歯ブラシ持って来てくれへんかな?」
「いや。」「でも、おしめは持っていってあげるよ。」
「そうか。そうやね。いつもお母さんが何も言わんでも、澪ちゃんが自分で考えてそうしてくれるもんな。ひろの鼻を拭くティッシュも持って来てくれるもんな。何時も助かってるよ。ありがとう。」
01.25.02:06
こども芸術大学 制作文 / 長いはなし
<長いはなし>
「澪ちゃん今日もありがとう。」「おやすみね。」
「あのね、お母さんが澪ちゃんに寂しい思いや悲しい思いをさせてたら教えてね。」
何かを思い出して、悲しそうな様子の澪…
「うん。」「昨日、歯ブラシ持ってくるの1回だけって言ったのに、約束やぶった。」
「ごめんね。」 「澪ちゃんをいじめた。」
「そうやね、ごめんね。澪ちゃんは悪くないのに怒ってごめんね。許してね。」
「許してくれる?」…
…うなずいてくれる澪。
「もう、そんな事がないように気をつけるからね。でもお母さん気をつけてても、また澪ちゃんのこと怒ったりしてしまうかも知れへん。もしまたそういうことがあったら教えてね。」
「澪ちゃんできひん。だって忘れちゃうもん。」 「え、何で?」
「長いと忘れちゃうから。」
「長いお話はー、ハートのゴミ箱にほかしてー、ハートの中にいれたらー、ちいさくちぎって短くして何回も繰り返して書いてそれを澪ちゃんがもらって、お母さんに渡す。…長いお話をどうしたらいいかと思って…。澪ちゃん覚えられへんし…。」
「そっか、すごいこと言うね澪ちゃん。」
------お父さんもお母さんもお話が長いのを、どうしたらいいのか、澪なりに考えたんやなー-------
「今、澪ちゃんが言ったこと日記に書くね。」
「澪ちゃんが言うた言葉とおり書けるなか?そうしたいけどお母さんもすぐ忘れちゃうねん。」
「わかった、今ひろくんがおっぱい離したら、行って書いたらいいねん。」
「そうやね。そうするね。」
01.25.02:05
こども芸術大学 制作文 / 日々のちいさな積み重ねを大切にする
<日々のちいさな積み重ねを大切にする>
手作りの料理、おやつ、パンなどを作る。
こども芸大に雨の日も風の日もがんばって通うという目に見える行為やかたちより、家のこども達がもっと奥で求めているものがあるのだと思う。
そうした事もがんばりすぎると、こども達にはありがた迷惑な状態になりかねない。
こどもは待てない。後でではなくて衝動が起こる今にしか生きていない。
私が気をつけないといけない事は、心に余裕がなくなるほど、忙しくしない事。
忙しいという字は心が亡くなると書くけれど、忙しいと本当にそうなってしまう。
央飛人は私が何かをしている時でも、いつでも「かーたん、どっちかなーしてー」を通してお母さんの自分に対する愛情を確認しているように思う。そんな小さな積重ねの大事さを感じる。
学校や周りの状況に自分たち合わせるのではなく、まず澪と央飛人の関わりと夫婦の会話を一番に、そしてそこで何をしていきたいのかを明確にしていきたい。その上で、自分たちとしてはどう関わりたいかを考えていきたい。
01.25.02:03
こども芸術大学 制作文 / これからこども芸術大学でしたいこと
第3章 これからこども芸術大学でしたいこと
<造形芸術大学の先生から学び、学生さんと動きを連動させる>
創作の時間や講義を学生さんと聴講させてもらったりして、大学の素敵な先生方と、出会わせて頂きました。
とても贅沢で、他では味わえない豊かな時間だったと感謝しています。
2年目はその出会いがますます発展する事を願っています。
私たち母親の中で、それぞれしたいことが芽生えはじめていますが、その事の相談に乗って頂いたり、いろいろ教えて頂いたり、協力して頂ければ、とても嬉しいです。
学生さんとも、何かを一緒に考え、共に学び、動きを連動していければ嬉しいです。
<日本の伝統の衣食住の文化を体験し、昔の日本人の意識に触れる>
縄文文化や日本の文化の様に、日常の暮らしと芸術との境目がなかった時代の生活そのものを体験して、その心や意識のあり方に触れ、様々な面で共に学ぶ事をこども達と体験したいと思っています。
衣について
ギャラリーオーブで韓国の伝統衣装の展示を見た時に、その衣装を身に着けていた人達に思いをはせてみると、こころがとても整っていただろうと感じました。そして死に装束を見たときにも、それを自分のために作った作家さんやその伝統を受け継いでいる人達は死に対しての恐怖心の様なものは少い様に思え、心がとても落ち着いていて穏やかにその時を迎えられる様な、生まれた時のように死も新しい旅立ちと捉えられている様な、祝福にも似た気持ちの現われを感じました。
昔の人達はとても大切に衣を捕らえていた様に思いました。
日本の着物を着る生活を現代のわたし達はしていませんが、もしそうした生活をしていたら、きっと何かが変わって来ると感じました。
こども達と一緒に、綿花を自分達で育てて、綿打ちをし、糸を紡いで、草木で染め、出来れば、機織りをし、布を作ってみたいです。
オーガニックコットンでこども達の制服を作ろうとしてくださっている学生さん達と、そうした事に取り組んでいけそうで、本当に楽しみにしています。
食について
日本の伝統の食文化を見直してみたい…と私は思っています。
例えばお味噌作りや漬物など、発酵食品や保存食を作ってみたいです。お味噌作りは、3月7日に子供たちと一緒に体験させてもらえて、本当に感謝しています。
お味噌の発酵とともに、そうした体験をした事が、こどもたちの中でどの様に発酵していくかも楽しみです。
出来れば、大豆も育てて、来年はそのお豆を使って味噌作りをしてみたいです。
生ごみで堆肥を作る事などにも、子供たちと一緒に取り組み、その土で種からお花や野菜などを育て、それを観察・観賞したり、おいしく頂き、お料理の後出た生ゴミは、また土に返して行く…、そうした小さな循環を体験したいです。
麦を育て、石臼で麦を挽き粉にし、粉をこねてパンをこねて焼く事もこども達としてみたい事です。もし、パン釜も手造り出来れば、最高です。
01.25.01:57
こども芸術大学 制作文 / 日本の伝統文化
<日本の伝統文化を学ぶことで、自分の奥にある感覚を確かめる>
この頃、職員室で遊ぶこども達の姿をよく見かけます。
2時のおかえりの集まりも、なかなか集まりません。
お弁当の片付けをしないで、遊びに行く事もあります。
多くの場合、こども達はするべきことはちゃんと知っていてそうしています。
そんな時子供たちに「~ちゃん、~しようか?」と
この頃そういうシーンに出会うと、私自身よく考えます。
そういう事を主人と話したり、先生方の対応を見ていて探った自分なりの答えは
言われるからでなくて、自分の収まるところ自然にさぐる感覚を身につける事が出来れば、自分から行動出来るんじゃないかと思います。
身が美しいと書いて「躾」というけれど、本来の躾は、<身を正して(収まるところを自ら探り納まって)気持ちの良い感覚をこども達が体験していく事>かと感じます。
千先生の家元の方にお茶を習ったとき、普段はじっとするのが苦手な男の子達も、みんな背筋を伸ばしきちんと正座をしてその時間に向き合いました。
澪が習っている日本舞踊でも、最初にみんな揃って「お稽古お願いします。」と背筋を伸ばし、正しい姿勢でお辞儀をしてその時間に向き合います。
そういうこども達の姿は、傍らで見ていても、とても気持ちが良い事です。
身を正した時の、ある種緊張感と、意識を集中する心地良さを、こども達は感じていると思うのです。
現代の日本では失われてしまった、良き日本人の精神は、お茶やお花、日本舞踊、武道、職人さんの仕事風景、伝統を受け継いだ世界には残っていると思います。
そうした伝統文化から日本人の精神を学ぶ機会をこども達にたくさん持ってもらいたいと思っています。
そうしたような時間をなるべく多くこども達に経験してもらう事で、自分の感覚や行動がブレた時に、「帰るところ」はどこなのか思い出す事が出来るのではないかと感じます。
それはだれが見ていても、見ていなくても同じ態度を保てる様な事にもつながると感じています。そして、『良い』『悪い』という価値判断から行動するのではなく、自分としてどうなのかという自分の感覚に聞いて行動できる様になるんじゃないかと思っています。
例えば、道端にゴミをほかしたりする事も、してはいけない事だからしないのではなく、そういう事は気持ち悪く出来ない…と云った様な感覚が自然と身についてくるのではないかと思うのです。
どこに行っても自分をしっかり持っていて、回りに流されない様な人に、こども達が成長してくれる事を、心から願っています。
01.25.01:55
こども芸術大学 制作文 / おじいちゃん、おばあちゃんとの触れ合い
<おじいちゃん、おばあちゃんとの触れ合いと、生活の知恵を学ぶ>
私は小学生の頃、おじいちゃん、おばあちゃんと暮らす経験をしました。
家の側には、天然の鮎の獲れる愛知川が流れていて、そこに行くまではうっそうとした藪がありました。
おじいちゃんは藪に行っては、アケビや栗を取ってきたり、竹を切って来てそれを裂いて、籠を編んだりしました。竹馬を作ってくれたり、わらじを編んでくれたりもしました。
私はおじいちゃんってすごいな、どうしてそんな事が出来るなかなと思って見ていました。
おばあちゃんも畑仕事が上手で、夏に食べた青い香りのするトマトや瑞々しい胡瓜のおいしさは今でも忘れられません。
桃の木を植え、最初の年はまずくて食べる事が出来なかったのに、おばあちゃんが肥えをやったり、一つひとつ新聞紙でカバーをかけたりして丹念に世話をした事で、何時しかその桃も他では味わえない様な美味しいものになりました。
お手玉なども作ってくれたり、お人形の着物を作ってくれたりもしました。
おばあちゃんは髪を結って着物を着た人の絵を描いてくれて、何でこんな絵が描けるのか、いつも関心して見ていました。
「やっぱり、おばあちゃんってすごいな。」と尊敬していました。
山村で自然の恩恵を活かして暮らす知恵を持つおじいちゃんおばあちゃんから、私は多くのことを学びました。
京都にも昔から大切に引き継がれている、生活の知恵がたくさんあると思います。
そうした生活の知恵をおじいちゃんおばあちゃんから学び、受け継いでいければと思っています。
例えば地元のおばあちゃんに、切干大根の煮物やちりめん山椒、昆布の佃煮など、京のおばんざいを学びたいです。
わらじ作り、竹篭編み、竹のおもちゃづくり、お手玉なども教わり作ってみたいです。
こども達もおじいちゃんおばあちゃんと接する事で、親しみと尊敬の念を持ってもらえたら、とても嬉しいです。