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陽・紫空雲舎/ラシクウシャ

ラシクウシャとは、あなたらしく、わたしらしくそんな自然体の人たちの集う場所という意味です。 周りの情報や環境に流されることなく、大人も子供も自分のもともと持っている感覚を信じ、それぞれが安心して自分らしく生きられる、そんな場所を作りたいと思っています。
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  • 09/21/10:02

09.13.22:14

「原発反対はいのち肯定」アーサー・ビナードさん祝島の人たちへ


アーサー・ビナードさんのお話しに共感しました。
真実を捉え、感情的にではなく、力強く愛をもって語る素敵な人だと思います。
出会えて嬉しくなりました。
皆さんにも共有させて下さい。
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09.04.02:38

小林よしのりさん 「脱原発論」


http://www.amazon.co.jp/gp/product/4093897433/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4093897433&linkCode=as2&tag=gosendojo-22

共感!
小林よしのりさん 「脱原発論」一気に読みました。
かなり勉強されてます。

福島の子ども達のこと、先祖代々が守り受け継いできたふるさとが汚染された悲しみについて、原発で働く人達の現状のこと、原発による私たちが瀕している危機のこと、原発によってできる子孫への負の遺産のこと…現実を観ることができます。
私たちが恐怖(真実)と真っ向から向き合うことでしか次には進めないと思います。
そのお化け(真実を見ない様にする為に造り上げてしまったもの)の正体を見抜くのです。
私たちが目を覚まし、誰かが造った嘘の幻想の世界から飛び出し、自分たちの心の奥から来る声に従い一歩を踏み出す助けをしてくれる本だと思います。

是非読んでみて下さいね。





9月19日「脱原発でOK!」ゴ―宣道場があるらしいです。
行きたい。でも遠い…しかも締め切りは昨日!





05.15.11:28

原発再稼動しても足りない ・・・関電に批判噴出

05.10.12:35

ドイツ・ルブミンの奇跡 原発の跡地開発


20120505 脱原発に揺れる町~ドイツ... 投稿者 PMG5


NHK BS1「ドキュメンタリーWAVE」より。
原発に依存してきた町が、原発を失った時、どう再生するのか。
ドイツ北東端の小さな町ルブミンは、かつての東独最大の原発城下町。
ドイツ統一後、突然の原発閉鎖で雇用と収入源を失った。
町は広大な原発跡地開発に再生を託し、20年間の試行錯誤の結果、今では、跡地に多くの企業が並ぶ。
一方、原発の解体作業は未だ続き、併設する中間貯蔵施設には今後30年間原子炉容器が置かれたままとなる。
その中間貯蔵施設には、ドイツ中から放射性廃棄物が運び込まれるようになり、町のもう一つの再生の柱、観光産業に影を落としている。
番組では、再生へのルブミンの模索を徹底取材。
原発を脱することの困難さを現地に見る。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
15年たっても続く廃止された原発の除染作業 ドイツ
http://www.afpbb.com/article/economy/2818838/7577881

【8月10日 AFP】3月に起きた東日本大震災による東京電力(TEPCO)福島第1原発事故を受け、2022年までに国内にある原子炉全17基の閉鎖を決定したドイツでは、1990年に廃止された旧東独の原発の処理が現在も続いている。「脱原発」がいかに時間のかかる作業であるかが分かる。

 バルト海沿岸に位置するルブミン(Lubmin)の原発には、旧東ドイツに6基あった原子炉のうち5基があり、1990年に東西ドイツの統一を受けて送電を停止した時点で旧東独の電力の1割を供給していた。

 この発電所にエンジニアとして勤務し、広報も担当していたマルリース・フィリップ(Marlies Philipp)氏によると「ロシアの技術を使った原子炉だが、チェルノブイリ(Chernobyl)とは違う型」だという。廃炉作業は1995年に始まった。

■これまでの除汚費用は4500億円

 除染作業は現在も続いており、これまでにかかったコストは約41億ユーロ(約4500億円)に上る。これには解体作業のコストは含まれていない。フィリップス氏は「解体する資金はないんです」と説明する。

 1989年にベルリンの壁が崩壊した時、この原発には5500人が雇用されていた。うち、定年の年齢には遠かった830人がこの原発で、廃炉処理と除染作業の職を得た。ここでの作業は2013年か2014年まで続く見込みだ。

 作業を始めた時は「実践から学ぶ」状態だったが、経験を積んだことで、西側諸国の原発の廃炉作業を受託できるかもしれないとフィリップ氏は期待を寄せる。

 ルブミンの除染現場を見学する際は、放射線検知器と防護服を身に着けることが義務付けられる。のぞき窓の付いたコンテナの内側から、従業員たちは超高圧水を放水したり、研磨剤を噴射したりして1部屋ずつ除染を行っていた。

■危険な作業だと常に意識

 ひとつの作業チームを任されているウーヴェ・コップ(Uwe Kopp)氏はこう語る。「放射能がただ消えると思ってはいけない。放射性のちりは地面に残るので、これも除去しないといけない」

「3重複写の伝票に記入してからでなければ、たった1個のリベットも外してはいけないことになっています」とフィリップ氏。「とにかく、危険な物質を扱っているということを常に意識させる仕組みになっている」とコップ氏。

 作業員たちは放射能検査の他に金属探知機による検査も受ける。現場は監視カメラに囲まれ、監視犬を連れたガードマンが警備している。

 除染された機械部品は箱にまとめられ、最終的な放射線検査をして、リサイクルか最終処分される。放射性廃棄物はコンテナなどの容器に詰められ、長期保存場所をどこにするか、政府の最終決定を待つ。

■「核の時代」の終焉がもたらす新たな方向

「核の時代」の終わりによって、ルブミンは新たな道を切り開かざるを得なかった。現在は成長分野である再生可能エネルギー、特に風力発電に取り組んでいる。

 ロシアからバルト海を通ってドイツに天然ガスを送るパイプライン計画、ノルド・ストリーム(Nord Stream)は年内に送ガスを開始する見込みだが、この計画のパイプライン2本のうち1本はルブミンの近くを通っているため、原発廃止によるエネルギー供給の減少をある程度は埋め合わせるだろう。

 原発は「経済的な理由と政治的な理由」で閉鎖されたと、フィリップ氏は語る。「私たちはこの原発を誇りに思っていました。西側諸国でわたしたちと同じ仕事をしている人たちも今、同じように感じているはずです」(c)AFP/Aurelia End

04.18.20:28

関電京都支店前ハンストリレー座り込み


byebyegenpatsuのメーリングリストで情報を頂きました。
皆さんの行動に頭が下がります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

使い捨て時代を考える会

吉永です

今日は30~40人の方に来ていただき感謝いたします。
マスコミもたくさんきました。
今日の6:10からのNHKニュースにも流れます。
是非ご覧ください

明日から、泊原発が止まる5月5日を目安に
関電営業時間内(9:00~17:00)まで座り込みをおこないます。
(今週土・日は行わない・GW中は行う予定)

少しの時間でもかまいません
ぜひ、みなさん一緒に座り込みをやりましょう♪




使い捨て時代を考える会は2012/4/18に関西電力京都支店に「電力節電」のための市民集会を共催するよう要請した。その回答があるまでリレー式ハンストを同店前で続­ける




東京・霞ヶ関の経済産業省前にテントを設置し「脱原発」を訴えている市民らが17日、関西電力の大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼動に抗議し、集団ハンガースト­ライキを開始した。
 
この日、ハンスト入りしたのは約10人。数日から1週間程度で交代しながら、現在唯一かどうしている北海道電力泊原発3号機が定期検査に入る5月5日までの19日間、続け­られる。この日は、衆議院議員の服部良一(社民党)もハンスト入りした。
 
呼びかけ人の一人、淵上太郎さんは、「どうしても5月5日を原発ゼロでむかえたい」と発言。また、福島から駆けつけたの黒田節子さんは「福島は今でも被曝している。再稼動­は絶対阻止したい」と訴えた。
 
福井県庁ロビーにて、3月25日から1週間ハンガーストライキをしていた明通寺(福井県小浜市)の住職・中島哲演さんも駆けつけ、「福島の子どもたち、日本全国の子どもた­ち、世界の子どもたち、後からやってくる者たちのために、再稼動を許すことなく、原発ゼロの日をむかえることは、大人たちがプレゼントできる最高の贈り物になる」と訴えた­。
 
すべての原発が止まるのは、日本原子力発電東海原発が1969年8月に定期点検を終えて営業を再開して以来、42年ぶりとなる。
 
経産省前テントひろば
http://tentohiroba.tumblr.com

03.25.21:42

「メルケル首相"脱原発"の裏側」 報道特集2012/03/24



【かつて原発推進派だったメルケル氏、その考えを脱原発に決意させた背景】

ドイツ国内はずでに原子力40年戦争という激しい攻防があった
"反原発の母"マリアンネ・フリッツェンさん(87)とその運動
もう雇用は原発産業にはない 再生エネに35万人雇用
すでに環境と経済を結びつけた "安全神話"をあおるのは、犯罪行為

「みえない雲」(邦題):DIE WOLKE の紹介
チェルノブイリ後、原発事故を扱った150万部読まれた児童小説の映画化
学校教育でこの本や映画を教材に使って、地球環境の授業をしている
先進国家日本で福島原発事故が起きた事実、ドイツ人には破壊的衝撃
"これで終わった" メルケル氏、 3/26にはドイツ史上最大の反原発デモ
メルケル首相、正式にドイツは脱原発国家へと宣言 2022年を目標
市民運動、緑の党、教育、メディアなどがダイナミックに機能した
忍耐強く、専門知識を得て、孤立しないようネットワークを結ぶこと

さて当事国の日本は、なぜドイツのように決断できないのか? ...で番組は結んでいる

01.29.22:12

脱原発を京都から!山本太郎さん、矢ケ崎克馬さん

山本太郎さん、矢ケ崎克馬さんが中村和雄さんの応援の為、駆けつけて下さいました!
私たちも家族で応援に行きました。
京都から脱原発を!中村さんと志ある皆で京都をもっと良くしたい!
そんな気持ちでいっぱいです。





山本太郎さんから『中村和雄さんを市長にしよう!勝手連』に応援メッセージ


フリーライターの守田敏也さんから『中村和雄さんを市長にしよう!勝手連』に応援 メッセージ


物理学者矢ヶ﨑克馬さんから『中村和雄さんを市長にしよう!勝手連』に応援メッセージ


被爆医師肥田舜太郎さんから『中村和雄さんを市長にしよう!勝手連』に応援メッセージ


元第五福竜丸乗組員大石又七さんから『中村和雄さんを市長にしよう!勝手連』に応援 メッセージ

01.26.17:50

渡辺謙さんの素晴らしいスピーチ!

ツイッターでの湯川れい子さんのツイートで知りました。
渡辺謙さんの素晴らしいスピーチです!

http://www.tokyo-np.co.jp/feature/news/davos.html

渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える

2012年1月26日

 スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

 渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。

 スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。

 スピーチ全文は次の通り。

 初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

01.16.13:54

原発の再稼働への抗議のアクション

放射能から子ども守る・京都・ママ・パパの会のメーリングリストで頂いた内容の転載です。
私に出来ることを探してアクションしたいと思います。
とても解り易くまとめて下さっているので、共有させて下さい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
平和と民主主義をめざす全国交歓会(ZENKO)の山川と申します。

複数のメーリングリスト・個人に送信しています。重複・長文をお許しください。

関電大飯原発再稼動へ向けた動きが加速しています。
14日の報道で、経産省原子力安全・保安院が、関電大飯原発3・4号機のストレステスト評価結果を妥当とし、
1月18日の意見聴取会に評価案を提出。
1月末、IAEA意見を経て各立地自治体合意で再稼動へ向けた動きを進めようとしています。
全国に先駆けた動きです。

現在、日本の全原発54基中稼働原発は5基のみ。残る5基も、柏崎刈羽5号機と島根2号機が一月中に定期検査で停止。
他、順次停止し、4月泊原発3号機の定期検査入りで、日本の原発はすべて泊まります。

関西電力も現在稼動している原発は1基のみ。それも、2月20日には停止する予定です。

政府、電力会社・原発製造メーカーは、なんとしても再稼動したいと躍起になっています。
経産省の“ストレステスト「妥当」”報道は、日経・産経・読売がリーク。
そう簡単には再稼動できない情勢の中で、世論がどう動くのかを見ているのだと思います。

今、機敏な抗議行動と再稼動阻止の世論形成が必要です。

◆1月14日日経新聞参照 ↓
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9693819595E3E0E2E3998DE3E1E2E3E0E2E3E09F9FEAE2E2E3?n_cid=DSANY001


◆緊急のお願い
①関東の方へ…1月18日(水)に開かれる第7回「ストレステストに係る意見聴取会(16:15~19:15)」の傍聴を!
※傍聴が、これまでの直接傍聴から、映像による別室傍聴に変えられています。抗議を!
※傍聴申し込みは16日(月)17:00締め切りです↓
http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/800/29/007/240118.pdf

②関西の方へ…ストレステスト「妥当」判断に絡む緊急アクションにご参加を!
・1月18日(水)15:00~関西電力へ再稼動反対の抗議・要請行動/関電前抗議行動17:00~ 
※関西電力本社前集合…大阪市北区中之島3丁目6番16号
 地下鉄四ツ橋線「肥後橋駅」下車4番出口徒歩約5分
 京阪電車中之島線「渡辺橋駅」下車1番出口徒歩約4分
※マップ↓
http://www1.kepco.co.jp/office/honten.html

※連絡先  山川 携帯電話:090-8536-3170/アドレス:
ymkw4483._.genki@softbank.ne.jp

③全国のみなさんへ(1) 政府・経産省・関西電力へ抗議の緊急電話・FAX・メールを!
・内閣府 TEL:03-5253-2111
・内閣総理大臣 野田佳彦 国会事務所 TEL: 03-3508-7141/FAX:
03-3508-3441
・枝野幸男経済産業相 
  国会事務所     TEL:03-3508-7448/FAX:03-3591-2249
  地元・大宮事務所 TEL:048-648-9124/FAX:048-648-9125
・経済産業省原子力安全・保安院 原子力安全技術基盤課 TEL:03-3501-0621/FAX:03-3580-5971
 e-mail:qqnbbf@meti.go.jp
・経済産業省代表   TEL:03-3501-1511   
・経済産業省広報課  TEL:03-3501-5890
・関西電力株式会社本店 TEL:06-6441-8821

④全国のみなさんへ(2)福井県・おおい町への緊急要請電話・FAX・メールを!
※現在、福井県西川知事は、「新たな安全基準が必要」と、直ちに応じる姿勢は見せていません。
・福井県原子力安全対策課 TEL:0776-20-0313/FAX:0776-21-6875
 e-mail:gennan@pref.fukui.lg.jp
・おおい町役場所  TEL:0770-77-1111/ FAX:0770-77-1289

⑤関西の方へ…原発立地自治体と30キロ圏内自治体への緊急要請キャラバン行動をします。
自治体として再稼動反対の立場表明を要請します。
・自治体キャラバン行動日程…1月30日(月) 
※詳細はこれから。希望者は、山川までご連絡ください e-mail:yama-y@h6.dion.ne.jp

⑥全国のみなさんへ…「ストレステストに係る意見聴取会」構成メンバーで、
原発メーカである三菱重工業などからお金をもらっている御用学者委員に対して、委員追放抗議FAX・メールを!
こんな人が、保安院の「妥当」評価を受けて、再稼動判断する等もってのほか(怒)!

・岡本孝司教授(東京大学大学院工学系研究科原子力専攻)→三菱重工業から200万円。
  東京大学大学院工学系研究科・工学部総務課庶務掛 TEL:03-5841-6009FAX:029-287-8488

・阿部 豊教授 (筑波大学大学院システム情報工学研究科)→三菱重工業から500万円。
  筑波大学大学院博士課程システム情報工学研究科長 TEL:029-853-6246

・山口 彰教授(大阪大学大学院工学研究科)→(株)ニュークリア・ディベロップメント(三菱重工業系)から3,385万円。
  大阪大学工学部大学院工学研究科教務係 TEL:06-6877-5111

よろしくお願いします。

01.16.10:04

京都から脱原発を!

昨日、京都市長候補 中村和雄弁護士が大原の朝市に来られました!
中村さんは「原発NO]とはっきり打ち出して下さってます。
human ERRORを歌っている京都のロックバンド、フライングダッチマンとの対談でどういう考えを持つ人なのか良く解ります。
私は中村さんの考えに共感し、応援したい気持ちでいっぱいです。




















11.23.00:26

原子力時代の終焉


http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011112201002278.html

東電が“原発抜きの夏”を試算 今年上回る供給力

 東京電力が来年の夏に向け、保有する全ての原発が東日本大震災の影響や定期検査で停止しても、火力発電や揚水式発電の増強により、今夏の最大供給力を上回る約5700万キロワットを確保できるとの試算をまとめたことが22日、東電関係者への取材で分かった。

 東電は福島第1原発事故後も「原子力は重要な基幹電源」との立場を変えていないが、実際には原発がなくても計画停電などの影響が出ない可能性が高い。原発を中心とした供給計画を立てているほかの電力会社にも影響を与えそうだ。

 国内の商業用原子炉54基のうち、東電は電力会社トップの17基を保有している。

2011/11/22 17:38 【共同通信】


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

東電自らの試算で、原発が無くてもピーク時を上回る供給ができるとでました。
これで誰がどう見ても、放射能による被曝といいう苦しみと故郷を汚染されてしまう悲しみを生み続ける原発を続ける意味はありません。



河野太郎さんの「ごまめの歯ぎしり」
に「原子力時代の終焉」との記事を感情論ではなく、データーをもとにして誰にも解り易く書いて下さっています。
テレビしか情報源がない人たちに是非読んでもらいたい内容です。

http://www.taro.org/2011/11/post-1122.php


原子力時代の終焉 トルコエネルギーフォーラムから

2011年11月21日 13:03|自民党役職停止中|電力自由化


第8回トルコエネルギーフォーラム。原子力、再生可能エネルギーと石油の三つの分科会にわかれる。

原子力の分科会の議論はおもしろかった。
問い:福島の事故は「原子力ルネッサンス」にどういう影響を与えたのか。
答え:何も影響していない。なぜなら、福島の事故がなくとも原子力ルネッサンスなんかとっくに終わっていた。

原子炉の建設は確実に減りつつあり、建設されている原子炉も非常に偏った国々に限られている。

1989年に世界中の原子炉の数は424だった。2002年に原子炉の数は最多の444まで増えたが、その後減り始め、2011年には427まで減った。

2008年以降建設が始まった原子炉は世界中で40基。そのうち25基は中国、6基はロシア、この2カ国で新設の4分の3を占めていて、さらに韓国とインドが3基ずつ、この4カ国で37基、9割以上だ。

この新規原子炉の供給元企業を国別にみると、中国が20基、ロシアが6基、韓国とインドが3基ずつ。

原子炉は、すでに新興国企業が新興国市場に供給するものになりつつある。

日本の原子炉メーカーはこうした世界市場の中で、競争ができるのかという質問が多く飛んだ。

新興国市場のなかで、中国やロシアの低コストにまともにぶつかって競争になるのか、スペアパーツの保管やメンテナンスを継続して赤字にならないのか等々。

また、安全審査に関して、中国、ロシアの原子炉の安全審査について、本当にオープンな審査ができるのかという疑問が投げかけられた。

残念ながら、日本の安全規制についても、まともに行われているのかわからないという指摘がされた。当然のことだろう。

さらにその中で原子炉建設のコストは上がりつつある。

アメリカの原子炉の建設コストはkWあたり2008年価値のドルに換算して、1973年の実績では1000ドル以下だったのが、2009年には新設の推計コストが7000ドルを超えた。

切り札となるはずだった第3世代プラスとよばれる新型原子炉も問題を抱えている。

kWあたり$1000以下になるはずだった建設コスト見込みは、現時点で$6000を下回ることはない。今後、さらに上がることは予想される。

AREVAが建設中のフィンランドのオルキルオト3号機は、2001年には建設コストが25億ユーロ、建設期間4年という計画だったのが、最近では60億ユーロ、9年といわれている。

2005年8月 オルキルト3号機建設開始
2006年   予定より18ヶ月遅れ
2007年   予定より24ヶ月遅れ
2008年   予定より36ヶ月以上遅れ
2010年   予定より42ヶ月以上遅れ
2011年   予定より54ヶ月遅れ

フランスのフラマンビル原子力発電所は、33億ユーロで5年の建設計画が、コストが2倍で建設にやはり9年間という見込みになってきた。

オルキルオトの現実があり、さらに福島の事故で安全規制が強化されるようになると、もはや原子炉の建設にターンキー契約などできなくなっている。

この結果、原子力関連企業の経営は悪化しつつある。

フランスのAREVAは、2007年から時価総額を72%減少させた。フランス政府の保証がないAREVAの格付けはジャンクボンド扱い。同じフランスの原子力関連企業EDFは、2007年から今日まで時価総額が78%減少した。

シーメンスは原子力の分野から撤退を決めた。

アメリカで原子力発電所を運営する48の電力会社のうち、40社は格付けが下がり、その他変更なしが6社、格付けが上がったのはわずか2社に過ぎない。

原子炉建設のための日本政府のファイナンスが納税者につけ回しになるのではないか、日本の納税者はそのリスクを受け入れるのか等々の質問が出る。

世界中の原子炉を経過年数ごとに並べると、最も多いのが26年目の原子炉で38基。40年以上経過した原子炉は21基、40年が9基、41年が6基、42年が4基、43年が最長で2基(2011年4月1日現在)。

運転が停止された原子炉は何基もあるが、廃炉費用については未だに不明な点が多い。

それに比べて新エネルギーへの投資は世界的に急増している。

世界的なクリーンエネルギーへの新しい投資は、
2004年  517億ドル
2005年  763億ドル
2006年 1129億ドル
2007年 1508億ドル
2008年 1801億ドル
2009年 1865億ドル
2010年 2430億ドル
と平均して年率29%伸びている。

2010年には、中国1カ国で540億ドルを投資。これは2004年に世界全体で投資された金額よりも多い。

2000年から2010年の間にヨーロッパにおけるエネルギー別の導入量は
天然ガス  118GW
風力     74GW
太陽光    26GW
大規模水力   3GW
バイオマス   3GW
ゴミ発電    2GW
小水力    0.2GW
地熱     0.1GW
原子力    -8GW
石炭    -10GW
石油    -13GW

2011年から2025年の間にヨーロッパで見込まれる投資額は2011年のKPMGの「保守的な推計」で
      設備容量   投資金額
原子力    0GW     0
石炭   126GW  2010億ユーロ
天然ガス 122GW   978億ユーロ
石油     2GW    17億ユーロ
風力   107GW  1496億ユーロ
太陽光   24GW  1212億ユーロ
その他自然 21GW   736億ユーロ
大規模水力 35GW   886億ユーロ

それに比べて、日本では、野田政権が発表した再生可能エネルギーの固定価格買取制度の調達価格等算定委員会のメンバーが発表されたが、野田政権の再生可能エネルギーに対するやる気のなさが際立っている。

かつて電力会社と経産省の提灯持ちをして2000年の新エネ法をつぶし、RPSなどという糞の役にも立たない制度の導入の後押しをした主犯格2人をメンバーに入れた。民主党政権は、まだ、電力会社の労組に遠慮して再生可能エネルギーつぶしをやろうとしている。

さらに世界ではスマートグリッドの開発競争が熾烈になっている。

2011年8月8日にボーイングとシーメンスはマイクログリッド開発のための戦略的な提携を発表。2009年からGEはカリフォルニアの海兵隊基地でスマートグリッドの実験を開始。ワールプールは2015年に全ての白物家電をスマートグリッド対応に。

日本は依然として電力会社が邪魔をしてスマートグリッドの開発がまともに進まない。このままでは世界の流れから置き去りにされてしまう。

海外に出て議論すると、いつも日本のエネルギー政策の過ちと電力会社を中心とする夢を忘れられない原子力関連産業のひどさを思い知る。

日本の電力産業を普通の産業に戻そう。







08.16.17:08

山本太郎弾丸移動!今度は北海道


山本太郎さん本当に本当にありがとう!!!


http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110816-820883.html

俳優山本太郎(36)が15日朝、インドネシアのジャカルタから帰国後、その足で午後に北海道寿都郡黒松内(くろまつない)町役場をアポなしで電撃訪問した。自身のツイッターで、若見雅明町長との面会が目的だとつぶやき30分間会談した後、近隣の蘭越町、ニセコ町を相次いで訪問し町長、副町長と会談。その後、3号機が調整運転中の北海道電力泊原発がある泊村に入り、目前となった3号機の営業運転再開に対しツイッターで痛烈に批判した。

 山本は7月末にロケのためパプアニューギニア経由でジャカルタに入り、14日夜に空港で会った海江田万里経済産業相に、原発の再稼働をやめるよう訴えた。約11時間後の15日午前に成田空港に帰国し「さて国内移動♪」と明かした移動先は、なんと北海道だった。午後3時に「黒松内町役場へアポ無し訪問。原子力からのうまみが一銭も入らぬこの町は原発から32km。町長さん、いらっしゃるのか!?」とつぶやいた。

 同町役場職員によると、山本は名前も名乗らず「町長さんと面談したいです」と要求し、所用で役場にいた町長と30分程度話して帰ったという。山本は同6時50分に「黒松内町長、副町長、話をよく聞いて下さった。フットワーク軽く、道議の方にも連絡」と道議会議員に働きかけたことを示唆。その後蘭越町の宮谷内留雄町長と面会し、「沢山の資料を見せて下さった。『人間として逃げずに向き合う時に来ている』と町長」と会談内容を公表した。

 さらにニセコ町役場を訪問し、周辺自治体の寄り合いにも顔を出した。「聞いた話に驚いた。今まで反対してきた首長が、ある会合の多数決で推進に寝返ったと。もちろん交付金をもらってる4町村以外の者がである。甘い汁を吸い続けたい者は必死に買収を試みたり、脅したり、とにかく、元気いっぱいの様です(笑い)」と“暴露”した。

 山本が半日程度で移動したとみられる距離は、ジャカルタから成田まで約5811キロ、成田空港から新千歳空港まで約822キロ、新千歳空港から黒松内町まで約160キロ、黒松内町から蘭越町、ニセコ町を経て泊村まで約60キロの、合計6853キロ。無謀ともいえる“弾丸ツアー”の背景には、経産省原子力安全・保安院が安全上問題ないと判断し、泊原発3号機の営業運転再開が迫っていることへの危機感があるようだ。

 原発10キロ圏内4町村が交付金に加え、道や北海道電力から原発関連情報の提供を受ける一方、約30キロしか離れていない黒松内町、蘭越町、ニセコ町は情報の提供すらなく強い不満を訴えている。山本は「暮らし、未来をめちゃ苦茶に破壊、毎日気前良く、半永久的に続く毒を撒き散らし、収束させる術さえ持ち合わせぬ原発事故から何を学んだのだろう? もっと本気で怒らなきゃ、声にしなきゃ終わるな。地震の活動期にノンビリしすぎ! 、と泊で反省なう」と訴えた。

 ◆泊原発の現状 泊原発3号機は1月から定期検査を行い、3月7日に調整運転に入り4月上旬に検査終了、営業運転へと移行するはずだった。ただ3月11日に東日本大震災が発生し、最終検査をしないまま約5カ月も調整運転を続けてきた。北海道の高橋知事は、原子力安全・保安院が9日に北海道電力に対し最終検査を受けるよう指導したことに対し、地方軽視だと反発した。ただ10日の最終検査終了後、原子力安全・保安院が内閣府原子力安全委員会に結果を報告したことを評価し、営業運転再開に前向きな姿勢に転じている。

 [2011年8月16日8時37分 紙面から]

08.11.22:44

電気は足りている!



2011年7月14日のテレビ朝日の報道番組「報道ステーション」は東電新社長西澤俊夫氏の初インタビューに成功。そのインタビューの中で西澤氏は「西への電力の融通」について言及。事実上電気がたりるであろうことを認めた形となり波紋をよんでいる。
VTRには環境エネルギー政策研究所の飯田哲也氏が出演し、企業の自家発電による電気があまっていることを指摘。国や電力会社が、電力不足を回避するためのベストの努力をしていないと警鐘を鳴らしている。






愛川欽也パックインジャーナル7/9(土)
【今週の出演者】(敬称略)
早野 透(桜美林大学教授)
霍見芳浩(ニューヨーク市立大学教授)
二木啓孝(ジャーナリスト)
田中 優(文筆家、未来バンク事業組合理事長)
横尾和博(社会評論家)

普段テレビはあまり見ないのですが、ちゃんとした番組があるのですね! 嬉しいことです。 京都の門川市長に手紙を書こうと思って、原発が無くても電気が足りていることを認識してもらいたいと探して出会った動画です。 市長への手紙で伝えたいと思います!

07.27.22:21

93年、ウラン露天掘りによる北米インディアンの聖地の汚染について



廣海緑朗(ヒロミロクロウ)さんは「ホピの予言」で知られる、故 宮田雪監督を師事。
京都の反原発運動の背景に沈潜。知る人ぞ知る潜龍のひとり。
いま世に問う!警世のウラニウム採掘現場での体験回想シリーズ 

93年に プエブロインディアン方々の所に、ウラニウム鉱山の採掘現場の悲惨な就労実態を取材に出向かれた時の様子を語って下さっています。

私たちの知らないところで起こっている本当に悲しい事実です。
どこをとってみても原発は人を幸せにしてくれません。

今すぐ、みんなが豊かで幸せになる世界に移行してゆきたいです。

今すぐ、世界すべての原発を止めたいです。

07.25.17:40

『100,000年後の安全』国会にて上映会開催!


田中康夫氏(新党日本代表)、河野太郎氏(自由民主党)、
柿沢未途氏(みんなの党)とてもいい動きをして下さっています。


『100,000年後の安全』がついに国会にて上映会開催!

渋谷アップリンク1館の上映から始まった映画『100,000年後の安全』が
田中康夫氏(新党日本代表)、河野太郎氏(自由民主党)、
柿沢未途氏(みんなの党)の3代議士の企画により、
7/26(火)に国会での本作上映会が開催決定いたしました。



↓以下、田中康夫氏の告知文より引用

「今この瞬間も排出・蓄積される放射性廃棄物を如何に処理するのか。
更には不毛な二項対立を超えた原子力との向き合い方はどうあるべきか。
洞察力と構築力に富んだ「決断」が日本の政治に求められています。
私たち3人は、その思いで今回の上映会を企画しました。
既に渋谷のアップリンクを始めとする全国の映画館で話題沸騰の『100,000年後の安全』は、
オンカロを建設する民間企業ポシヴァ社の協力を得て撮影したマイケル・マドセン監督の作品。
故スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』を想起させる映像美です。
国会議員、そのスタッフ、「政治」の周囲で取材を続ける表現者の方々を対象に開催する無料上映会です。」


http://www.nippon-dream.com/?p=4627#more-4627
HPより転載

田中康夫連載「にっぽん改国」

11/07/21 「オンカロ」が示す10万年後の未来◆日刊ゲンダイ

最早(もはや)「3・11」以降、100%の「ステイタス・クオ(status quo)=現状維持」を原子力発電に関して唱える人は居ないでしょう。
 が、であればこそ、今この瞬間も排出・蓄積される放射性廃棄物を如何に処理するのか、洞察力と構築力に富んだ「決断」が日本の政治に求められているのです。
「リサイクル」を謳(うた)ったプルサーマル方式の原子炉からも例外なく、高レベル放射性廃棄物は生み出されます。にも拘(かかわ)らず現在、世界中の原子力発電所から排出された高レベル放射性廃棄物は、暫定的な貯蔵施設に蓄積されているのです。  フィンランドは、高レベル放射性廃棄物の「永久地層処分場」建設を、世界で初めて国会が承認した国家です。
 地震等の天災、テロリズム等の人災から高レベル放射性廃棄物を護(まも)る為、首都ヘルシンキから北西へ240km離れたオルキルオト島の地中奥深くに。その名前は「オンカロ」。フィンランド語で「洞窟、空洞、渓谷」を意味する“隠された場所”が選定されました。
 20世紀末に始まったプロジェクトは、私達が骨に戻った後の22世紀に完了します。廃棄物が一定量に達すると封印され、2度と開封される事はありません。地下都市とも呼ぶべき、この巨大施設の耐用年数は10万年です。
 ネアンデルタール人は約20万年前に出現し、約2万数千年前に絶滅しました。果たして10万年後、この地球に暮らす未来の子孫は、封印した入口に私達が書き記した言語や記号を理解するでしょうか。ピラミッド同様、宝物が隠された遺跡だと勘違いするかも知れません。
 “問題先送り”を続ける他国と異なり、一歩先に踏み出したフィンランドは、真剣に突き詰めれば突き詰める程、終わりなきトートロジー=同語反復の隘路(あいろ)へと入り込んでいく苦悩と直面しています。放射能。それは無色透明で、臭いも匂いもない、人間の五官が察知し得ぬ、五感を超えた存在です。
 マイケル・マドセン監督「100,000年後の安全」は、そのオンカロを巡る作品。渋谷のアップリンクを始め全国の映画館で話題沸騰。「2001年宇宙の旅」を想起させる映像美で我々に迫ります。
 柿沢未途、河野太郎の2代議士と共に僕は来週26日(火)、衆議院第一議員会館で上映会を企画しました。国会議員、そのスタッフ、「政治」取材を続ける表現者の鑑賞を期待します。


「電力マフィア」の闇経産省解体!?岸博幸氏

にっぽんサイコー!の映像をご紹介します。


07.25.13:52

脱原発と再生可能エネルギーin京都

7/23龍谷大学大宮キャンパスでの「脱原発と再生可能エネルギー」
飯田哲也さん、アイリーン・スミスさん、朴勝俊さんの講演とディスカッション行ってきました。
来場者の約4割を学生など若手市民が占め450名定員の会場が満員で、サプ​ライズゲストの山本太郎さんと取材に駆けつけてられたIWJの ​岩上安身さんが一同に会した活気のある会でした。
輪の確かな広がりを実感することができました。
7/24京都新聞朝刊に記事が掲載されたそうです。

会場ではバイバイ原発・京都の藤井さんとも偶然お会いすることができました。
みなさん素晴らしい企画本当にありがとうございました!







以下バイバイ原発・京都のメーリングリストで頂いた案内の転載です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「さよなら原発9・11市民の行進(仮称)」第2回実行委員会のお知らせ

                地球温暖化防止京都ネットワーク

3月11日の「東日本大震災」は、「マグニチュード9.0」という巨大地震と、 それにともなう大津波、さらに福島第一原発での炉心溶融と大量の放射能の漏出という、未曾有の災害となりました。
被災地では必死の努力で復興・再生の取組みがはじまっているというものの、原発は、いまなお収束のめどがつかないだけでなく、さらに被害拡大をまねくおそれもある状態が続いています。まさに、原発が最大の妨げとなっています。
 日本は地震とむきあっていかねばならない国です。このような日本に54基の原発がつくられてきたということの重大さを、いまあらためて直視しなければなりません。
 原発の「安全神話」は完全に崩壊しました。多くの原発が運転開始から
30年以上経過し、その老朽化が心配されています。原発が生み出してき
た「死の灰」を処理することができないことももはや明らかです。
 原発が苛酷事故をおこしたとき、その被害がどれだけになるのかを考え
た時、原発の経済性を評価することはとてもできません。
 私たちの住む京都は「若狭原発地帯」と隣り合わせです。いったん事故
がおきたとき、何がおきるのか想像力をはたらかしてください。
 原発から30km圏がすめなくなるとしたら・・・。
 「近畿の水がめ・琵琶湖」が汚染されるとしたら・・・。
とんでもないことです。
 覚悟をきめましょう。決断しましょう。日本の未来のために、子供たちの未来のために、私たちが選択する道は「原発ゼロの社会をめざそう」という道しかありません。
 この思いをはっきりと示すために、「東日本大震災」から半年という9月11日、「さよなら原発9・11市民の行進」(仮称)を、別記のとおり、企画しました。
 この「市民の行進」を成功させるために、下記により実行委員会を開催
します。ごいっしょできる方は、ご参加ください。まわりの方によびかけてください。


●日時 7月26日(火)夜7時から
●場所 「せいきょう会館」4F会議室
 アクセス http://www.doko.jp/search/shop/sc70386863/
  最寄駅は
  京都市地下鉄東西線・烏丸線「烏丸御池」駅
  または烏丸線「丸太町」駅

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「さよなら原発9・11市民の行進(仮称)」企画要綱(原案)

●日時 2011年9月11日(日) スタート 午後2時46分
●コース(案)  円山公園ラジオ塔前集合―祇園石段下―四条通り西進―
           四条河原町―河原町通り北進―京都市役所前流れ解散 
●主催 賛同団体、賛同者連名の一日実行委員会形式で
●財政 現物もちよりを基本にするが、最低限の経費をまかなうために、
      実行委員会への参加登録料として
     団体 2000円/ 個人 1000円  をお願いする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで

藤井悦子
http://www3.to/agenda/

07.25.12:26

「河野太郎・脱原発 in 京都」

河野太郎さんの京都での講演会行ってきました。

原発の原料のウラン燃料(あと70~80年で無くなる)に限りがあり、使用済み燃料という核のごみがいっぱいになりプールがいっぱいであと7年もたないという問題が解決できていず、核のごみは気が遠くなるほど長期に管理しなければならず、使用済み燃料の再処理にして原料にするという構想も技術的に近未来には難しく、「原発に未来がない」お話を分かりやすくして下さいました。
新規立地をせず、40年で原子炉を廃炉にすることを決めると、黙っていても2050年に原発はゼロになる。
省エネと再生可能エネルギーの普及が進めばもっと早くゼロにすることも可能。
エネルギーに対しての考え方で200人中50人の自民党員が河野太郎派だそう。素晴らしい。

河野太郎さんのような感覚の方が政治家の場にいて下さって本当に嬉しく思います。




07.24.00:48

電力不足は本当なのか?名大・高野准教授が「電源開発の概要

07.20.17:56

ダッ!ダッ!脱・原発の歌/制服向上委員会

「よし、これで中高生の心はつかんだ!とツイッターで音楽家ウォン ウィンツァン さんがリツイートしていて知った『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』率直なとてもいい歌詞です。ご紹介します。



『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』(詞)鈴之助 (曲)AKIRA
B,B,Break out Nuclear Power Plant

That it really unforgivable story
それはそれは とても許せないお話
Even if these are national policy
例え例え 国の政策だとしても
But lying about it had a dangerous
危ない事が 起きてしまったのに嘘ついて
"Not immediately affect the human body is!"
直ちに人体に 影響はないなんてネ 

Even if it's a wonderful invention
それがそれが 素晴らしい発明だとしても
Full of words that never learned
それはそれは 習わない言葉が溢れ
Becquerel, Cesium, Meltdown, Turbine building
ベクレル セシウム メルトダウンにタービン建屋
Monitoring and High microsievert, oops
モニタリングに 高い マイクロシーベルトもう


Remember Proponents of nuclear power
忘れないから  原発推進派
You can stay if you say it's safe
安全だったら  あなたが住めば良い
Greenhorn who cause trouble
みんなに迷惑かけちゃって
Aren't you ashamed?
未熟な大人で  はずかしいよネ

B,B,Break out Nuclear Power Plant
ダッダッダッダッ脱!   原発を!
B,B,Break out, Big whoop
ダッダッダッダッダツ   大きな声で
Shout to the world that the real danger
世界へ向けて叫ぼう    危険な現実を



Politicians do not work in case of like this
こんな時も 政治家さんはダメですネ
Always keep hold honor and wealth
いつもいつも 富と名誉のことばかり
The migratory birds fly now over the unexpected nature
自然を生きる 渡り鳥たちには想定外
Do not know where the evacuated area is
避難地域が  どこからどこかわからない

All we do remember Nuclear power plant accident (Fukushima)
もう 忘れないよ  原発事故のこと
All we do remember the magnitude of the damage
覚えておこう    被害の大きさ
Land and sea,
大地と海
Secondary disaster,
2次災害
Up to people's minds
人の心にまで
 
☆Repeat

07.04.09:05

脱原発 経営者 地域対立 それぞれ 報道特集7月2日

07.03.22:06

核の清算





原発をまだ続けようとする人たち全てに観てもらいたい。
この現実。
もうこれ以上、核廃棄物という負の遺産を未来の残すのは止めよう!

06.29.08:24

原発にさようなら

http://www.peace-forum.com/no_nukes/2011/06/110615action-news.html

鎌田慧さん、澤地久枝さん、内橋克人さんが出席「さようなら原発1000万人アクション」記者会見を開催
2011年06月15日

原発にさようなら
内橋克人さん、鎌田慧さん、澤地久枝さんからの訴え

「原発にさようなら集会」&「原発にさようなら1000万人署名」記者会見








はじめに
 六月十五日に東京千代田区の「アルカディア市ヶ谷」で、「原発にさようなら集会」と「原発にさようなら一〇〇〇万人署名」の二つの脱原発行動のスタートを告知する記者会見が行われました。この二つの運動は、内橋克人さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、坂本龍一さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、辻井喬さん、鶴見俊輔さんの九人が呼びかけたものです。記者会見には、内橋克人さん、鎌田慧さん、澤地久枝さんの三人が出席し、原子力発電を止めるための思いを語り、原発を無くすための行動への参加を訴えました。


澤地久枝さん
 おはようございます。澤地久枝です。呼びかけ人のうち、この時間に出席できる三人が顔を揃えました。この運動を始めるにあたって、まだ何の下相談もしていません。ただ共通しているのは、「原発を止めたい」ということです。
 自民党の石原伸晃幹事長は、脱原発を「集団ヒステリー」と言ったそうです。新聞やテレビを見ていても、「もう大丈夫」であるとか、「原発を止めたら日本は滅びる」とか、原発に対して疑問を持つ人たちを引き戻そうとするものが、本当に目に付きます。
日本は世界に先駆けて、核兵器はもとより原発を無くす方向へ、はっきりと国の政治を変えていくべきだと思います。これは本当に正論だと思います。だけれども、そう考えている人たちが、テレビや新聞に出てきて、物を言える社会でしょうか。そうじゃありません。
 ここに来る途中に乗ったタクシーで、運転手さんにそういう話をしたら、「どうそ、がんばってください」と言われました。「何かやらないのか」と思っている人は、たくさんいると思うのです。何もしないでいたら、このまま進んでしまいそうです。知らない間に、原発が五十四基もできてしまったのです。そして案じていた通りに原発の事故が起きて、水素爆発も起きてしまったのです。私は最初からメルトダウンが起きていると思っていましたから、子どもたちの集団疎開も必要だと思いました。
 でも政府や、原子力安全・保安院の発表は、一日一日と変わりましたね。はっきりとした数字も見せません。つまり私たちは、知る権利があるのに、知らされていない状態に放置されていたのです。
 政権が交代するのかどうかわかりません。国会では「政治ごっこ」をしているとしか思えません。この事態に対して具体的な手を打てる、一人の政治家もいないのです。それなら、いまこそ衆智を集めなければならないと思うのです。その時に誰が首相かは、二の次です。勇気を持て、やれる人を、私たちは首相として選びたいのです。そのことで菅さんを変えなければならない理由はありませんが、新聞やテレビを見ているとその話ばかりです。

 そうした事態の中で、自分に何ができるのかを考えました。私一人の力は本当に小さいけれども、原発はいやだという気持ち、危ない物を持ってしまった、世界に対して恥ずかしい気持ちがあります。なぜなら、広島・長崎があり、第五福竜丸があり、東海村のJCO事故があり、日本は他の国にはない被ばくの歴史を背負っているのです。
 その国に原発が五十四基あり、保安管理が実に杜撰であることが、明らかになりました。今度の事故でも、最初に被爆した三人の作業員のうち二人は、長靴も履かずに放射能に汚染された水に入って、被爆したのです。こういう核のエネルギーに対する無警戒、あるいは無知な態度は、被ばくした人たちに対して痛ましいと思うと同時に、一人の日本人として、世界に対して恥ずかしいと思うのです。
 致命的なダメージは、これから育っていく子どもたちの身の上に起きるということが、チェルノブイリ事故の実例などをあげて、さんざん語られてきました。いまも安全だと言いながら、でも屋外では遊ばせないで、窓を閉めて部屋の中で遊ばせるようにとか、全然安全でない指示が出されているのです。こうしたことに対して、はっきりと疑問を投げかける場所がないのです。

 一人の力は小さいです。しかし一千万人が「原発はいやだ」と署名したら、いくら頭の良くない政治家であっても、それは無視できないと思うのです。これは百万人では、ダメだと思うのです。人を動かすことができる数字は、一千万人だと思うのです。鎌田さんから提案をもらった時に、鎌田さんにそういう話をしたら同じ意見でした。
 一千万人の署名はできます。いまバラバラに運動が始まっていますが、一つの形を作って、呼びかけ人の責任で取りまとめて、政治家たちに突きつます。その実績を早く作りたいのです。
署名に際しては、自分の意思で名前を書ける人は、年齢制限は必要ないと思います。ハンディキャップを持っていて自筆で書けない人は、そのむね記して誰かが代筆する。そうした幅の広い署名をやっていきたいと思います。最初は十八歳以上とか、二十歳以上とか、有権者とか、年齢制限を考えたのです。でもいま関心を持っているのは、子どもたちも同じです。ですから年齢制限なしで、自筆の署名を一千万人集めます。

 この事故は、日本だけの問題では済みません。海には仕切りはありません。空気にも仕切りはありません。ですから、朝鮮半島や、アメリカ西海岸や、台湾で、福島原発の事故による放射能被害が出て、その国からクレームが来る可能性もあります。地球に対する致命傷になるようなマイナスなことを、日本はやってしまったのです。世界に対して、私は恥じたいと思います。恥じるだけでなく、行動に移したいと思います。
亡くなった小田実さんがいたらと思います。小田さんは、いつも、「一人でもやる、一人でもやめる」と言っていました。「小さな人間が、大きな人間を動かす」とも言っていました。思ったことを口に出し、政策として実行することを小田さんは実現していました。
 その小田さんが亡くなりました。加藤周一さんが亡くなりました。井上ひさしさんも亡くなりました。日本の良心だと思われていた人たちが、亡くなり、年齢が高くなり、病気になり、こうした場所に出てこられなくなりました。出てくることができない人たちも、「やらなければならない」という意思があることは、はっきりしています。ですから私は、出てくることができない人、亡くなった人たちも含めて、そうした人たちの思いを背負って、この場に来ました。
 みなさん、どうぞこの問題を理解していただき、人々に広めていただきたいと思います。よろしくお願いします。


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内橋克人さん
 内橋克人と申します。みなさん、おはようございます。今日は本当にありがとうございます。鎌田さんから、声かけられました。今、やはり声を上げて行動しなければいけないとこういう決意、非常に深いものがあります。
 私は、経済の世界、世界経済と日本経済ですけれども、ちょうど五十四年目に入りますが、半世紀以上、眺めてまいりました。私は当初、経済、それから技術、とりわけ匠の時代という日本の技術の先端というのですか、技術大国といわれるとようになった開発という形で、そのきっかけを作った人々、そういう人から取り掛かったわけです。

 ちょうど今から二十五年前に、『原発への警鐘』(講談社文庫)という本を、書きました。この本は絶版になってしまいましたが、先日、一部を抜粋して、『日本の原発、どこでまちがえたのか』(朝日新聞出版)として復刻しました。いまから三十年前に、アメリカから原発が導入されてくる。福島第一原子力発電所の一号炉の開発が、どのようにして行われたのかというところから歩き始めました。そして、関わった人たちの証言をそれぞれ得ながら、現場を歩きました。
 当初は、原発に対して賛成でもなく反対でもない、皆さん方と同じような関心の持ち方、立場でした。それで取材し、とにかく自分の目で確かめるということを始めたわけです。今も覚えていいますけれども、原子力発電エネルギーに対して、疑いを持つ、意義を呈する者は、「科学の国のドン・キホーテ」だと言われたのです。先端的な科学立国である日本の中で、本当に遅れた前世紀の遺物であるようなドン・キホーテという扱いだったのです。あるいは異端者ですよ。三十年前にそういう経験をして、それを書きました。
 もっと覚えておりますのは、島根原発の第二号炉を増設するときです。原子力安全委員会が、公開ヒアリングを行いました。地元の人たちの、住民の意見を聞くということです。ところが、それがまったく儀式に過ぎない。取材しまして、行くところ行くところ、全て儀式なのですね。
 子どもさんを二人持っている若いお母さんが、「島根原発で事故があった場合に、私たちに宍道湖を泳いで逃げろというのか」と、本当に胸詰まる質問を発するのです。そうすると、原子力安全委員会の委員長が議長をしておりましたけれども、一切無視したのです。「私たちはあなた方の話を聞くだけだ」、「私たちは意見を述べない」という態度、これを終始貫いたのです。こういう事態を長い時間をかけて取材をし、発見いたしました。

 そうして何ができたかといいますと、「合意なき国策」です。原子力エネルギーは国策と言っているけれども、国民的な合意は、いつ誰が与えたのか。いまは、稼働している原発五十四基と、さらには計画が十四基。当時は、原発百基構想がありました。海の景観を見ようと思うと、原子力発電所の設備が目に入ってくる。日本列島を原発で囲い込んでしまおうという事態が進みつつあったのです。一時は、原発百二十二基構想が唱えられたこともありますね。
 『原発への警鐘』の中で、原子力発電、もちろん技術も含めてですが、それの「合意なき国策」を進めていくそのやり方、これに対して大変に怒りをもつにいたりました。そういう中で「科学の国のドン・キホーテ」でした。
それから、市民の漠然とした不安です。生きている人間が、生きている身体として、ごく自然に、どっかやっぱり不安なのではないでしょうか。科学者はそういう風に言うけれども、技術者はそういう風に言うけれども、漠とした不安というものを持つというのです。それを一切、考慮することない。そういう漠とした不安こそが、実はこれからの、二十一世紀のリスク社会といわれる世の中で、最も大事な平衡感覚なのです。それを全て無視してしまって、果たして、本当に安全な技術開発、人間の幸せにつながる技術開発はあるかと、そうそういう疑問をどんどんどんどん含めてきたわけです。
 そういう意味では私は、原子力発電に対する疑問を、三十年前に一つの形として、既にまとめているわけです。その中で、「合意なき国策」です。

 原子力発電そのものを、人間の制御下、アンダーコントロールにおけるものではないということが、事実を調べる中で十分わかってきました。とりわけ、地震列島、活動期に入った狭い日本列島の中で、原発過密立国というのが、はたして人々の安全、幸せにつながるのかという、大変深い疑問を持ったのです。
いま問題になっております福島の一号炉、これが作られる過程も、詳細に証言を得て再現いたしました。これはフルターンキーです。ターンキーというのは、キーをいただいて、ぐるっと回せば、ダダッと工場が動くというものですね。全てをアメリカのGEからいただいた。しかもGEの技術者が福島にやってきてビレッジをつくった。そして最後にキーをいただいて、それを差し込んで回せば稼動する。何にも疑問をさしはさむことが許されない。与えられるものは何でもいただく。そっくりいただくという、そういう状況です。こうした技術開発は、とても危ないと思うのですね。
 その結果、アメリカにおいては、一部報道に出されましたけれども、私のコメントも入っていますけれども、台風とかハリケーンとか、そういうものに備えた、原子力発電の設備が造られていたにもかかわらず、日本にそういうものを持ってきていない。日本は一応台風の心配もありますけれども、もっと心配なのは、地震であり、津波なのですね。地震、津波という日本列島の自然の固有の脅威に備える施設、システムになっていない。それをいただいてくる。これは日本の戦後の技術開発、大変そういう部分が多いのです。とりわけフルターンキーということがあるのです。私は大変疑問もちました。そして当時の日本の技術者はアメリカに、わずか二週間研修に行っただけなのですよね。

 さらに申し上げたいことは、「合意なき国策」と言いましたけれども、いうまでもなく、原発利益集団ができ上がっていきます。原発マネーフローですよね。それは、不毛の民主主義です。民主主義とは異なります。私たちは一人一票しか選挙権がないのに、もうひとつの選挙権、もうひとつの選挙民集団、これが日本の経済界で、経済権力を持っている人々が行使しているのです。
 例えば某経済団体は、当時の政権政党の自民党、あるいは野党の民主党に対して政策評価をやって、ABCDとランク付けをして、政治献金の斡旋をするのです。その政党が原子力エネルギーに対して前向きなのか、否定的なのか、それをランキングして政治献金の額を割り振る。斡旋する金額を決めていく。もう一つの選挙民集団、経済権力なのです。これが原子力というものを取り囲んだ、利益集団を形成している。その実態も十分にわかってきました。

 アメリカに、トーマス・F・マンクーゾというピッツバーク大学の医学博士がいました。原子力発電や放射線障害について詳しい調査をしておるのですね。「マンクーゾ報告」というのがございますけれども、『原発への警鐘』の中でそれも紹介いたしました。その中で出てまいりますが、スロー・デスという言葉があります。緩やかなる死です。晩発性の二十年、三十年かけてゆっくりとやってくる死、これはスロー・デスなのですね。津波で即、亡くなってしまう、それはサドン・デスです。サドン・デスに対してスロー・デス。臭いもなければ、香りもなく、色を見ることもできない。眼鏡でも見えない。何の音もしない。そういった不気味なる放射線で、二十年、三十年後に障害が現れて、ゆっくりとした死に向かうというケースが、実際に疫学的調査その他で、実に明快にアメリカで調査されていたのです。
 私は、これを書きました。そして京大の原子力実験室の、大変良心的なある先生に、正当な評価をしていただいたのです。三十年前ですが、その方は助手でした。いまでも助手なのです。大変に優れた原子力の科学者であるにもかかわらず、日本の国策に反するということから、いまでも教授になれない。
こういう、学問研究における差別があります。そうして原発やエネルギーに対する不都合な言質を排除していくのです。そうして、エネルギーの多消費社会、電力エネルギー多消費社会を作り上げていく。国策としての原子力発電所の建設をすればするほど、原子力以外の自然な再生可能エネルギーへの意思というものを摘まんでしまうのです。エネルギー選択の幅を、自ら狭めてしまうのです。とても残念です。
 私は、北欧デンマークにおけるエネルギー選択、ヨーロッパにおけるエネルギー選択、ずいぶん早く書いてまいりました。九十年代半ばに、『共生の大地』(岩波新書)を書いて、その中に詳しく、各国におけるエネルギー選択のあり方を書いてまいりました。こうした自由なエネルギー選択というのがあるからこそ、技術は進むわけです。
 それを、原子力発電、原子力エネルギーに特化させることで、本当はもっと幅の広いエネルギー選択の幅を自ら狭めてしまった。そして、ここに至ったのだと思います。今回の三・一一が、人々に及ぼす、世界に及ぼす影響、これは申し上げるまでもありません。結局、人間の制御下置けるものではない。そういう事故の悲惨について、私は強調したいのです。
 そして、戦前における軍需産業、これが戦後における原発産業でした。ですから、原発産業で数千億、こういったものを作り上げていくことによって、国内での個人消費がたとえ豊かにならなくても、経済が成長できるような構造を作っていったのです。戦前は、昭和恐慌から脱出するために軍事産業を興していく、戦争につながったのです。戦後は明らかに、原子力エネルギーという部分に、私たちはかつての軍需産業の姿を見ることができるのです。これはどうしても止めなければなりません。
 その方法は、様々あると思いますけれども、次に来る世代、さらに次に来る世代のために、どうしても原子力発電をやめなければならない。私たちの国、とりわけこの活動期に入った地震列島日本、これを過密原発立国、原発過密列島にしてはならない。そういうことを何とかして、皆さん方に伝えていただきたいし、私自身もこれからも発言を続けたいとこういうことでございます。ご理解いただきたいと思います。以上です。


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五島昌子さん(瀬戸内寂聴さんのご友人)
 一昨日の午後、瀬戸内寂聴さんに会ってきました。とても元気でした。脊髄圧迫骨折を患っていたのですが、会ったときには、ご自分で歩いていました。
 鎌田さんから、署名の呼びかけ人になって欲しいと手紙が来ていたけれど、その時には痛くて、ちらりと見ただけで返事ができなかったそうです。でも、もちろん賛成してくれるということでした。瀬戸内さんも、被災地を訪れて、お寺で講話もしてきたそうです。
 瀬戸内さんは、寂庵で毎月講話をされています。「そこに来る人たち、みんなに署名を頼むから、用紙をたくさん送って」と言っていました。一千万万人の署名を集めて、日本国民の意地を知らせなければいけない。私たちは、あまりにも、怒りが少なすぎるとおっしゃっていました。こういう事態で、一番エネルギーになるのは、怒りであり、愛であるとも、おっしゃいました。
 それから、被災地の学校に行って、子どもたちと話をしたそうです。みんな、明るくて元気だった。瀬戸内さんは来年で九十歳、卒寿だそうです。卒寿とは、生きることを卒業することだそうです。瀬戸内さんは、子どもたちの未来のためにと言い尽くされているけれども、生きている限りは怒っていく、がんばっていくとおっしゃっていました。
 会には出ていかれないけれども、皆さんによろしくお伝えくださいと、記者会見には出られないけれども、自分のできることは何でもしていきたいとのことです。


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鎌田慧さん
 いま原発のある地域は、全部、反対運動のあった地域です。反対運動があったけれども、潰されてきた地域なのです。お金で潰された地域です。僕は全て回ってきましたが、全部お金で潰されているのです。買収されています。電力会社が、何でも寄付し、お金で買ってあげてしまう。それは電力料金にそのまま加算されていますから、ものすごいお金をばら撒くということなのです。
 電源三法で、原発を一基作りますと、最初の建設までの十年間で五百億円、稼働してから十年間で四百数十億円、二十年間で一千億円が入るのです。建設でも五千億円くらいのお金が入りますから、膨大なお金が地域に流れ込んでいくのです。
 ですから反対運動も、なかなか成立しません。いまでも、ほんの少数の人たちが残っていますが、ほとんどが負けてしまっています。反対すると、「いままでのお金を返せ」といわれるのではないかという話もあります。原発は、アン・モラル、非道徳な存在だと思います。全てをお金で解決してきたのです。
 原発体制として、国・官僚・政治家・学者・マスコミ・裁判所が一体化して、頭の上に乗っていました。それがいま、不幸なことですが事故が起きて、それがはじけて、語りやすくなったのです。そういう時に、大きな運動で押し返していく、そのチャンスなのです。なんとか署名と集会を、やり遂げていきたいと思います。ヨーロッパに負けないような、大きな力を発揮したいと思います。


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~記者の質問に答えて~


質問 これまでの反原発運動の弱さ、限界などについて。

鎌田慧さん
 私は運動の中心にいるわけではないので、口はばったいです。私の個人的な感想ですが、いままでいろいろな地域で、反対運動が負け続けてきたのは事実です。裁判をやっても負けました。地域別に各個撃破されてきて、そのことで諦めてしまって、全国をつないで盛り返そうという力が、無くなってしまったのだと思います。大胆に、積極的に、どんと開いていく、そうした運動が作れませんでした。
住民運動や民衆運動は、大胆な構想で大胆な行動を提起したことがありませんでした。これまでは政党や労働組合が中心で、市民自らが手を結んで、大胆に全国的にやっていこうということが少なかったと思います。それは、いろいろな人たちが、力を失っていたからだと思います。
 でも、もうそうしたことではいけません。死に物狂いでがんばらなければなりません。それで私たちはロートルですが、いま若い人や女性たちが、あちこちでいろいろな集会をやっています。それは、どこかが司令するのではなくて、本当に個人個人がやっていて、それが段々と大きくなってきています。これは従来の様な中央司令部が命令する運動とは違って、リゾーム型、根っこ型、ネットワーク型で、いろいろな人が、いろいろな所で、いろいろな思いでやっていま。そうして、反原発、脱原発の運動が広がってきています。そういう人たちと、どうやって一緒にやっていくのかが、今後の課題になります。

 今日の記者会見で、「やりましょう!」ということをお伝えして、今後はインターネットやチラシなどでお知らせして、実行委員会にも加わってもらいたいと思います。またいろいろな集会に、私たちが出かけて行って話をして、そうしたことで違った流れを作っていきたいです。
 海外の状況を見ても、どんどん脱原発の方向に向かています。簡単にいいますと、核武装しない国は、反原発の方向に向かっていくのですよね。核武装を念頭にないところが、「もう原発はやめよう」となってきているのです。私はそう考えています。
 被ばく者の連帯の問題、つまり広島と長崎の被ばく者と、これから出てくる福島の被ばく者の連帯の問題も課題になってくるでしょう。やはり、「核」をどう無くしていくのか、そういうところに向かっていく運動だと思います。

内橋克人さん
 これからの進め方について、乗り越えるべき困難は大きいと思います。国策として原子力エネルギーを進めてきました。そこにはPA戦略があります。どういう戦略で国および電事連が行ってきたのかを、知れば知るほど、手ごわいことが分かります。
 もちろんいまは、世界の流れも変わってきました。当時とは、事情は違ってきたと思います。しかし、大変な勝負です。乗り越えるべき困難は、依然として大きいのです。
 PA戦略を、簡単にお話します。三本の柱があります。一つはマスコミのOBを通じての、様々なブラフです。その背後にあるのは、電気事業連合会です。週刊誌やその他の雑誌の、一つ一つの記事をチェックして、厳しい抗議を、くり返し、くり返し行うのです。ちょっとした記事に対して、詰め方が甘いところがありますと、そこを何度も、何度も抗議するのです。そすると記者やライターは、萎縮する、自己規制するようになります。それにOBを通じて、企業内の上層部が関わっている場合もあるのです。それがこれから、どう動くのか。

 二番目は教育です。先日、『世界』(五月号・「原発安全神話」はいかにしてつくられたか)に書きましたが、教育が徹底して行われています。小学生・中学生・高校生に至るまで、原子力発電、原子力エネルギーが、いかにあなた方の世代のクリーンなエネルギーであるかを、徹底して教え込んでいくのです。成績評価の対象にもなるのです。教師が児童・生徒を見ながら、どこまで理解したか採点をするのです。ですから、原子力発電は未来にふさわしいエネルギーであることを理解したと示せば、成績も上がる仕組みなのです。それから副読本です。それには巨大な資金を投入しています。『わくわく原子力ランド』(作成:文部科学省・経済産業省)などの副読本を、無料で配っています。ワークシート、つまり教師のための指導要領も緻密に作っています。教育の面で、徹底して原子力の安全教育を行っています。原子力安全神話は、いかにして造られたのかを考える場合に、教育が効果を発揮しています。
 三番目は、パブリシティーです。商業マスコミですから、新聞もテレビも雑誌も、採算が合わなければ困ります。常にスポンサーを必要としています。そういう中で、スポンサーとしてお金を出しながらパブリシティーをやっています。著名人も、ありとあらゆる人々がその中に入っています。いかに原子力が極めて科学的なエネルギーであり、これを疑う者は時代遅れだと宣伝しています。それをメディアがやってきました。例えば雑誌の巻頭グラビアで、著名人や著名なキャスターを、通常は公開しない施設に連れて行って、彼らに語らせるのです。それで原子力発電を、一般の人々にイメージ付けていくのです。
この三つの柱を、とりわけ電気事業連合会として、組織的にやってきました。文部科学省とも、二人三脚でやっていると思います。そうして人々の、漠とした不安を、片隅に追いやっていくのです。それを長年にわたって行ってきました。

 いま人々は、身にしみて危険性を感じている時期ですけれども、この時期が一過性で過ぎてしまうかもしれません。リーマンショックの後も、新自由主義に対する批判などがありましたが、通り過ぎてしまいました。
 しかし今回は、そういうわけにはいきません。スロー・デスという言葉のように、影響は二十年、三十年と続くのです。いかに賢明な、聡明な市民になっていくのかが、試されているのだと思います。東北の人々には、本当にいいところがたくさんあります。でも、あまりにも我慢強い。「なぜ分からないのか」と思うぐらいです。それには理由がありますから、よくわかります。でもいまは、本当の意味で、怒りと憤りを日本中が取り戻す、そうした時期に来ているのではないでしょうか。

質問 広島・長崎の被ばく者と、福島の被ばく者の連携について。

鎌田慧さん
 これから、残念なことですが被ばくの影響が現れてきた時に、問題になるだろうと思います。いま具体的にどうするのか、それはありません。問題が出た時に、具体的な連携が迫られるでしょうし、私たちも連携の努力をする必要があると思います。いままで、反核と反原発は、結びついていませんでした。ようやく、同じ核の被害として、被ばくの問題がつながり始めたのだと思います。

澤地久枝さん
 いま、いろいろなところで福島を考える集会、原発を考える集会を行うと、予想以上に多くの人々が集まり、熱心な会をやっています。私が出席した会の一つは、吉祥寺のお寺の本堂で行われて、五十人以上が参加しました。アメリカ男性の尺八や、非常に珍しい楽器のコンサートをやって、そのあと、福島から来た人たちが福島の状況を訴えました。「ひどいけれども、私たちは福島でがんばる」と、発言していました。女性が多く、若い人も含めて、非常に熱のある集まりでした。主催者たちは、大変喜んでいました。
 みんな、「本当のことを知りたい」と言っています。情報が足りなさすぎます。私は日本という国は、市民を本当にばかにしていると思うのです。事故が起きてしまったときに、言うべき言葉があったと思います。
 それは、「残念なことだけれども、こういう事故が起きた。そして最悪の事態についての見通しはこうだ。それを避ける努力をしてきているが、避けきれないときにはこういうことが起きる可能性がある。その可能性が不幸にも実現してしまったときには、我々はこうする。それでも犠牲が出るかもしれないけれども、冷静に一緒にやっていこう。我々も全力を尽くす」と国民に向かって、呼びかけるべきでした。
 少し時間が経ってから、世界に向かって「救援に感謝します」と言いました。でもその前に「皆さんに対して申し訳ないと思う。我々の国こそが、こういう事故を起こしてはならない国であった。なぜなら過去に、核がいかに恐ろしいかを体験した世界で唯一の国なのに、事故を起こしてしまった。その事故の影響は我が国に留まらずに、世界中に影響していくだろう。我々は恥じるし、申し訳なかった」と、まず言ってもらいたいと思います。その上で、各国からの救援に対してお礼を申し上げる。人が何かをするときに順序があるように、国が何かをするときにも順序があると思うのです。しかし、そういう認識が無いのです。

 先ほどの質問に関わりますが、広島と長崎について、記憶が風化してきたのだと思います。原爆投下直後に広島・長崎を通った人、身内に被ばく者を抱えている人、被爆についてこだわって仕事をしてきた人たちは、ずっと同じことを言い続けてきました。それでも力は弱かったのでしょう。
 では、ダメかというと、そうではないと思います。私は、ドン・キホーテと言われてもいいと思うのです。いま生まれた赤ちゃんが、大人になって、親になる時代が来ます。その時にどうなのかという問題があります。さらには、その子ども大きくなってどうなるのか。五十年、百年の時間をおいて、核の利用を考えなければならないのです。
 いま非常に巧妙な議論がでています。新聞で読んだのですが、アメリカの学者が、核は非常に怖いけれども、核の研究は欠かすことができないと言っているのです。それは、ガンに対する闘いにも有益なことがあるから、やめる事はできないというのです。
 これは一種の脅しだと思います。核から、何かいいことが生まれてくる可能性は無いと思った方がいい。核兵器はもちろんですが、原発を含めて、人間が核エネルギーを引き出した時に、私たちは終末に向かって歩きだしたのだと思います。

 私は一九五〇年に、夜間大学の一年生でした。教室で席に座っていると、署名用紙が回ってきました。それは「ストックホルム・アピール」でした。戦後に反核の署名運動が世界中で行われましたが、その最初が「ストックホルム・アピール」です。私は何もしないで、次の人に回しました。戦争で、いかに自分が馬鹿であったか痛いほど思い知っていたのに、無知を恥じていたのに、「ストックホルム・アピール」を見て、「これに署名したら赤に利用される」と思ったのです。赤が何かも分かっていないのですよ。戦争が終わって、わずか五年ですよ。その時に、人並みの感性があると思っていた私のような人間でも、もう考えが汚染されていたのです。
 第五福竜丸の久保山愛吉さんを取材したことが、ジャーナリストとしての最初の仕事でした。私はずっと、一人のジャーナリストとして、核兵器に反対する、戦争に反対する姿勢を保ってきました。
 私が勤めを辞める直前のことですが、バートランド・ラッセルという伝説的な偉い人、高齢な人ですが、核兵器に反対してロンドンでデモをやって、警察に捕まることがありました。私はラッセル夫人に、原稿を書いてくれと依頼しました。そして原稿が来ました。『婦人公論』に載っています。その中には、夫がどういう気持ちでデモを行い、捕まって、牢屋にいるのか、それを書いています。そうした仕事をしてきました。
 原発ができ始めた最初のころに、どこかの原発で冷却水が漏れ出す事故が起きました。どういう処置をしたかというと、箒(ほうき)と塵取り(ちりとり)なのです。これは新聞で読みました。非常に科学的で、高度な技術を必要としている場所で、箒と塵取りとは、まさかと思いました。東海村のJCOの事故でも、ステンレスのバケツですよね。それで被ばくして犠牲者が出ています。

 フリーの物書きとしてスタートして、一冊の本を書きました。しかし次の注文はこないという状態でした。そしたら亡くなった評論家の草柳大蔵さんが、東北電力が春秋にやっている定期講演会の講師にあなたを推薦する、と言ってくれたのです。私はそれを受けました。春秋二回、二か所ずつで、一年に四回、私は東北電力のある、ほとんどの街に行きました。
 その頃にも反原発署名がありました。私は反原発の立場でした。でもその当時、東北電力は原発を持っていなかったのです。それだけが、唯一のエクスキューズでした。でも署名はできないと思っていました。
女川が講演会場だったことがあります。扇谷正造さんという『週刊朝日』の名編集長と、女川に行きました。講演会の前に、町長だったと思いますが、「澤地さん、原発の話はしないでください」と言うのです。女川では、原発の受け入れを巡って、町が割れる騒ぎになっていました。特に漁業の人たちが、「魚が獲れなくなる」、「女川の魚はだれも食べなくなる」と絶対反対でした。
 しかし給付金が来るのです。貧しいところを、海ぎわを狙い撃ちにするようにして来るのです。そうして悲しいかな、お金に目がくらんで、昨日まで「絶対反対」と言っていた人たちが、だんだんと落ちて行って、最後に女川原発を作られてしまいました。
 私は、自分の発言が抑制されることに耐えられません。私は私の責任において物を言います。私には良識もあるし、女川で何が起きているのか分かっていて、そこに火に油を注ぐようなことは言えないと思っている。でも、その程度の人間であるとも認めてもらえなかった。その時に決心したのです。
 家に帰ってすぐに、反原発署名に参加しました。草柳大蔵さんには、「反原発署名に署名しました。東北電力の講師は辞退します」と告げました。有名な人たちが、講師に名前を連ねていました。でもその人たちが、私と同じ理由で辞めたとは、聞いたことがありません。警戒していないと、いつの間にか、お金や外国旅行で取り込まれていくのです。実に巧妙に、広がっていたのです。
 原発事故の直後は、いろいろな人が発言していました。でもいまは声が小さくなっています。自分の人生を振り返ってみて、発言できないという人もいるのでしょう。それぐらい浸透してしまったのです。

 なぜそういうことが起きたのでしょうか。それは、効率主義の利益最優先の戦後日本の国の在り方が、問題だと思うのです。アフガニスタンで砂漠に水を引くために活動している中村哲さんが言っていました。アフガニスタンの農民に「幸せは何か」と聞くと、「家族が揃っていて、三度の食事ができる事。それが一番のしあわせ」と言うのだそうです。
 そこまで戻ろうとは、言いません。しかし、それが、かけがえのない大切な物だということを、例えば両親を失った子どもたちは分かっています。家族が一緒にご飯を食べられる、その平穏な日々が、どんなに大切なものなのか。それをいま痛切に感じている人たちが、避難している人の中には、たくさんいると思うのです。
 福島の人たちは、私たち全員が直面したかもしれない原発事故による被害を、私たちの代わりに身に受けているのであって、福島で起きたことを忘れてしまうのではなく、福島と一緒に生きていくことを確認したいと思うのです。福島の人たちは、日々の事柄に追われているかもしれません。そうではない私たちにできることは何か、それがここに来た理由なのです。
 私は八十歳になりました。子どもも孫もいません。でも小さい子どもたちを見ると、この子たちの未来は私たちに責任があると、いつも思うのです。
 また、人間のことも大切ですが、何万羽もの鳥が死んでしまう。牛が餓死してしまう。汚染された地域でまだ生きている牛や、その他の生き物は、「残虐で無い手段で安楽死させる」と政府は発表しました。これが平和憲法を持っている国で、起きていいことなのでしょうか。つまり、人間を助けて、お金をもたらし、慰安をもたらした生き物たちを、餓死させたり、安楽死させたりする。それを子どもたちの目の前で行う。逆な意味で、ものすごい教育効果でしょう。子どもたちは、何も言いません。でも自分たちが見聞きしたことを、絶対に生涯忘れないでしょう。悲しみや怒りは、刻まれるものなのです。
 広島と長崎を背負って、私たちは六十六年間、生きてきました。その歴史の上に立って、いま発言する意思と勇気のある人たちには、署名に参加して、まわりに呼びかけて、一千万人を超える署名を集めましょう。九月十九日の集会には、会場がはち切れることを目標にしましよう。

 先日、「九条の会」の関係で、日比谷公会堂に行きました。その途中でタクシーに乗っていると、背広を着た公安警察官がたくさんいるのです。「私たちのような平和な集会になぜ」と思っていたら、タクシーの運転手さんが、「この先の東電本社を守っているのですよ」と言うのです。機動隊の車もたくさん来ていました。東電に対して怒りがあったり、デモがあったり、抗議があったりするのは、当然だと思います。でも警察は、しっかり守っているのですね。変なものです。東電はその防護の内側にいて、テレビに出ては、キョトンとして、ウソを言うのです。具体的なデータは出さないで。
 昨日のテレビで言っていましたが、アメリカは、日本が情報を出さないために、日本不信のようですね。アメリカにはアメリカの思惑もあるのでしょう。為にする発言もあれば、国家的な発言もある。地震の救援にきた原子力空母は、原発事故が明らかになったら退避しまいましたね。また在日のアメリカ人に避難指示を、大使館が出しました。
 アメリカは、スリーマイル島原発の事故以来、新しい原発は建設していません。でもアメリカと日本の原発関連の大きな資本が、ベトナムへ原発を輸出しようとして、フランスと争っています。前原誠司さんが売り込みに行ったりしました。自分の国で起きた事故もコントロールできないのに、他の国に持って行っていいのでしょうか。アメリカはそれをやったのです。そのアメリカ政府も、市民の意思表示で態度が決まります。
 最近ではイタリアで、原発の再開に関する国民投票が行われました。投票率が低いのではという予想に反して、多くの人が投票にいって、九十パーセント以上が、原発NOでした。デモのプラカードなどを見ていると、「FUKUSHIMA」の文字がありました。では、日本は何をしているのでしょう。私たちに返ってくるのです。原発はいや、命をいとおしむ、かけがえの無い命を大切にする。だから私は、原発をやめる方向へ、国の姿勢を変えたいのです。

 結論を先に出して、そこに向かって進んでいく。そのためには、在野の人たちの技術も必要でしょう。その人たちの協力を得る。衆智を結集して対処する時代なのです。
 その為には第一に、どうか署名に参加してください。小さなグループも、大きなグループも、それぞれが動いて、一つのものになれば、署名運動は成功するし、集会も成功すると思うのです。
私たちは、政治に絶望すると同時に、日本人であることに絶望しかねない状況にあるのです。それは自分に絶望することでもあります。でも希望を捨てたら、生きていけないですよ。また未来の世代のために、希望の明かりを守る義務があると思うのです。
 自分が仕事をしてきて、実に多くの、名もない人々の、人生や無残な死を書いてきました。原発という人的事故を、くり返したくないのです。無残な死は、もう見たくないのです。そのために第一歩が、今日なのです。
みなさん、一歩前へ出るのは怖いかもしれません。それなら半歩でも、三分の一歩でもいいから前へ出て、周りの人に話をする勇気が、試されているのではないかと思います。

■ビデオ 6月15日「さようなら原発1000万署名・全国集会」記者会見

06.28.06:40

福島県知事、脱原発を明示 県議会で姿勢転換を表明

http://www.asahi.com/politics/update/0627/TKY201106270501.html

2011年6月27日21時12分

 福島県の佐藤雄平知事は27日、県議会で「福島県としては原子力に依存しない社会を目指すべきであるとの思いを強く持つに至った」と述べ、初めて「脱原発」の姿勢を鮮明にした。慎重姿勢でありながら原発を容認してきた従来の姿勢から転換した。東日本大震災のあと、原発立地県の知事で「脱原発」の姿勢を示したのも初めて。

 有識者による県復興ビジョン検討委員会は今月15日、福島復興に向けた提言の基本方針(素案)の中で「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」と明記。佐藤知事は検討委の考えを「重く受け止める」としていた。検討委は7月に、「脱原発」を盛り込んだ提言を知事に出す予定だ。


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110627-OYT1T01019.htm

「原子力に依存しない」福島知事、脱原発を表明

福島県の佐藤雄平知事は27日の県議会で、「原子力に依存しない社会を目指すべきだとの思いを強く持つに至った」と述べ、東京電力福島第一原子力発電所の事故後、初めて「脱原発」の姿勢を明確に示した。

 自民党県議の代表質問に答えた。

 佐藤知事は「県民は日々、放射線の不安にさいなまれ、子供も安心して学校に通えないなど、原発の安全神話は根底から覆された」とした上で、「多くの県民が原子力依存から脱却すべきだという意見を持っていると考えている」と説明した。

 同県の有識者委員会は今月15日、復興ビジョンに「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を目指す「脱原発」の理念を盛り込む方針を決定。佐藤知事は雇用への影響などに配慮し、記者会見では「尊重する」と述べるにとどまり、明確な支持は示していなかった。

(2011年6月27日20時36分 読売新聞)

06.28.06:33

関電は原発から撤退せよ 1000人が支店前をデモ

http://www.kyoto-minpo.net/archives/2011/06/27/1000_18.php

2011年6月27日 12:36



「原発なくそう」と約1000人の市民が26日、京都市下京区内をデモ行進し、京都駅前の関西電力京都支店前で、「関電は原発から撤退せよ」「福井の原発を停めよう」とアピールしました。個人と市民団体でつくる「バイバイ原発・京都」実行委員会が呼びかけて行ったもの。

 梅小路公園でのデモ行進出発前集会で、同実行委員会代表の佐伯昌和氏は、「子どもたちの未来に、放射能をまきちらす原発はもういらない」と訴えました。
 市民環境研究所代表の石田紀郎、福井県・高浜原発から10キロ圏内の綾部市に在住するトレーシー・グラス、福島県飯舘村の農家・村上真平、使い捨て時代を考える会の松本愛の各氏が、原発からの撤退や放射能の危険性などを述べました。

 参加者らは「放射能はごめん」「子どもたちに原発のない未来を」などアピールしながら同公園から東本願寺まで行進しました。

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子ども達と行こうと思っていたのですが、駅からの利便が良くないところでの集合と解散、一番暑い時間帯のパレードだったので、子ども達の参加した時の様子を思い浮かべ、無理をしないでおこうと断念しました。

でも気持ちはひとつです。
参加して下さった皆さん、本当にありがとうございました!

06.25.11:42

民放で「原発のウソ」小出裕章先生紹介




近頃本屋さんでコーナーが出来るほど注目を浴びているのが原発の本なんですが
今日発売になります小出裕章さんが書かれた「原発のウソ」という本がネットの予約でも殺到しています
著者の本音に迫りました

東京渋谷のMARUZEN&ジュンク堂書店、ここで人気なのも小出さんの本
「原子力の専門家のかたで、リスクをきちんと語って下さっているというところに
読者の信頼が言っているのかなと感じます」

著者の小出さんは東北大学で原子力を学び
1974年から京都大学原子炉実験所で働く専門家
しかし、福島原発の事故が起きる前から原発は危険だと主張
反対活動にも参加している

「私は電気が欲しくて原子力発電所を都会に建てるというなら
まだ認める余地があると思いますけれども
自分達が欲しい電気のために危険だけは別の所に押し付けるということは
基本的にもう認めることができない」

その姿勢をかわれて先日福島原発事故を受けて開かれた
参議院行政監視委員会にも参加した


「私達がどんなに事故が起きて欲しくないと願ったところで
破局的事故の可能性は常に残ります。
そこで原子力を推進する人達がどういう対策をとったかというと
想定不適当という烙印を押して無視してしまうということにした」

今回委員会はあえて40年ちかく原発反対を訴え続けた厳しい意見が必要と感じ参考人を依頼したという
しかし、その反原発の立場のせいか原子力の最前線で働きながらも
小出さんの肩書は37年間助教
すなわち助手だ

玉川・国が認めている様な推進の方向でですね
原子力の研究をやっている人は
たとえば研究費なんかも潤沢にもらえたりとか
それだけじゃない余禄も色々あるように聞いているんですけれども

小出:ま、あるでしょうね
別にそんな事は生きるという事と関係ない事です

玉川・かりそめの名誉だと思いますけど
お金、ポスト、これ以上に大事だったものは小出さんにとって何なんですか?

小出:自分が嫌だと思う事はしないという事ですね

玉川・助教という立場ですね。今。ポストとしては

小出:そうです

玉川・あの、同期の方なんかで教授になっている方もきっといらっしゃると思うんですけれども
そういう自分の人生で、あれ、チョットもしかしたら損したかもしれないと思った事とかは無いんですか?

小出:一度もありません。
37年間、最下層の教員なんです
私はその最下層の教員でい続けたがために誰にも命令をしないで
自分のやりたいことだけをやり続けることができたという意味で
最高のポストだったと思っています


玉川・少なくとも京大の教員の一人という事で居続けるという事自体も
もしかしたらその立場だったら無くなってもおかしくなかったんじゃないかって私は思うんですね

小出:京都大学という大学は一人ひとりの教員の自主性独創性を重んじるという
そういう校風の、日本の中でも一番に強いと言ってもいい位の大学ですので
そういう大学で私がハレンチ罪も犯さなければウソも付かないと
自分なりの信じた仕事をし続けるということであれば私をクビにするという事は
京都大学としては事実としてなかったという事です


なるほど
こういう方の考えが今受け入れられているという事なんですね

長年反原発をうたってきた小出裕章さんの「原発のウソ」は
アマゾンのベストセラーランキングでも11位に入っているほどの人気ぶりだという事です

羽鳥:玉川さん実際にお話し聞いてみてどうですか
やなことはやらないってなかなかこれは言いきれないし実践できないと思うんですけど

玉川:いや、そういう表面的な話しじゃなくてやっぱり反骨なんですよこの人は
反骨というのは 一つは生き方でもあるし・・・魂なんだなって思いましたね
だから、それは
明らかにその生き方は損だと分かっていても もうそれは止められないんですよ 魂がそうだから
で、小出さんはそういう人だと思う

松尾・ご本人は損だと思った事は一回もないとおっしゃっていますから

玉川:ま、それは彼のプライドだと思うんですが
損だって事は、現実に損だって事は現実的にあるんです まちがいなく
この、京大だからのこれたって言う話しの後に
東大だったら残れてないと思うって
編集で落とされちゃってますけど
東大だったら私は残れていないと思いますと

羽鳥・それはなんでですか?

玉川:東大と京大ってすごい違いがあるんですよ。ええ。

赤江:つくづくね玉川さん、 あの安全神話のもとで想定することすらしない
考える事すらを止めるというという事態が続いていたんですね

玉川:国会に行ったのも
私は政治は大嫌いだとおっしゃっていました
だから、そういうところには行きたくないんだと
だけど、反原発ではあっても私は専門家としてこうしてやってきて
で、こういう事態になった事にやはり責任があると思う
だから、行きたくないけど行ったんだというふうにおっしゃっていました
国会には・・
御用学者といわれる人はホイホイと行きますよ。国会に
でも彼は行きたくないから行かなかった
でも今回はそれでも責任があると思って行ったって言うんです

羽鳥・国策として原発が推進され、安全だと言われている中で
こういう主義主張をし続けたというのは
これは相当な精神力で、辛い事もあったとおもうんですけれども

松尾・一番注目を集めているのが 
こういう悲劇的な恐れていた事が起きたことがきっかけになっているという事も皮肉ですよね

玉川:それもおっしゃっていましたね

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民放で小出先生が紹介されました。
番組に出ている人達は先生の生き方の損得というある意味どうでもいい話が多く、小出先生のされている真髄がちゃんと理解はされていないようでした。
でもテレビを通して沢山の人たちが小出先生に出会ってくださったと思うと本当にありがたいです。
心と魂で感じてくれた人がひとりでも多くいらしたことを祈ります。