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陽・紫空雲舎/ラシクウシャ

ラシクウシャとは、あなたらしく、わたしらしくそんな自然体の人たちの集う場所という意味です。 周りの情報や環境に流されることなく、大人も子供も自分のもともと持っている感覚を信じ、それぞれが安心して自分らしく生きられる、そんな場所を作りたいと思っています。
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  • 05/02/05:17

01.25.02:59

こども芸術大学 制作文 / こども芸大に出会う前夜 何のために生まれてきたのか?

2005年、京都造形芸術大学に「こども芸術大学」が開校しました。
就学前の子どもとお母さんが一緒に通う他にないものです。

開校してから2年間、家族4人で通いました。
そこでは様々な出会いがあり、体験があり
学びがあり、とても貴重な体験をさせていただきました。

1年目に創作活動で文章をまとめて本にしたものを紹介させていただきますね。


       

第1章 こども芸術大学に出会う前夜

<何のために生まれてきたのか?>

「私は何のために生まれてきたのか?もし何か私にさせて貰えることがあるなら、そのお役を果たしたい。」

星空を見上げては感じる、自分の奥からふつふつと湧き上がってくる抑えられない思いがありました。

その答えは見つかっていなかったけれど、その突き動かされるような感覚にいてもたってもいられなくて、1998年の春、それまで勤めていた会社を辞めようと決めました。

経済的にはめどがなくなるけれど、不安はなく、むしろわくわくする感じがあります。

他の人の問題を自分の問題として抱えて苦しみぬき、自分の恐怖や不安と正面から向き合い、本当の自分の姿を見る事でその問題が一瞬にして自分の中から消え去った経験をし、その10年をかけた業が完了したと実感できた時から、徐々に芽生えた感覚です。

その様に実感できた時、同時に、<魂で決めてきた人と出会い、共に成長します>と自己宣言をしました。すると、そのすぐ後に、直感の働く知人から「こんな人が出雲に居るから電話してみて。」と、彼(今の夫)名前と電話番号が書いたメモを渡されました。

彼と電話で話すうちに、彼のそれまでの人生とわたしの歩いてきた道のりがあまりにも連動している事がわかって、とても驚きました。

不思議にも、彼は直感により、ずっと待っていた相手が私だと、出会う前から確信していました。

私も、彼が生まれる前に決めてきた相手だと自然に受け止めます。

彼は自分のことを『触媒』だと捉え、関東で様々な人との交流やその人達の活動きとつながりを持っている<普通と全く違う視点と意識を持つ>飛んだ人でした。

そんな彼と、自分達のするべき事をする旅の船に乗り込みました。
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01.25.02:54

こども芸術大学 制作文 / パートナーシップ









<パートナーシップ>

私達二人の本質は、水と火のように交わることがなく、また互いの強い自我や自身を守ってきた殻、それまでの信念がすべてぶつかって、どちらも一歩も引かず、毎日いやになるくらい、お互いを磨ぎあいました。

どちらも相手を見ていて気になるところを変えてもらいたいと伝え合い、小さな1ステップをクリアーすると、また次のセッションがまた浮上してくる…。そんな毎日でした。

大原で元ペンションの建物を預かり、『陽・紫空雲舎』(らしくうしゃ)を主催してからも、一言では語れないほど、いろんな状況が揃えられ、私たちの魂の成長にとって必要な貴重な経験をたくさんさせてもらいました。

そうした中、2人の心の奥底のどうしても譲れない最後の砦までいきついたのは、大原から上賀茂へ移って、澪がお腹にいた時でした。

私にとって自分でも解っていながらも、なんともならないところを辛らつに指摘されて、私は、彼に強く反発する気持ちしか感じることができませんでした。

自分の言う事を素直に聞き入れない頑固な私に彼は猛烈に憤慨して、「出て行け!」と物を投げて怒りを爆発させました。

その時わたしは、「お腹の子がびっくりするやろ!何するねん!」とそんな彼に怒りを反しました。

それと同時に、感情を溜め込む癖のある彼にとって、内在していたものが、一揆に表面に出てくるのを観て、彼自身その事を感じているのを確信して、「やった!」と彼を祝福している私もいました。

その後もいろいろやりとりがあり、このプロセスを通じて、自分の一番弱いところと彼の一番弱いところを知り、その両方を認めました。

この様にして、私と全く対極にいた彼をよく理解できる様になりました。

この出来事を境に私たちの関係は変わり、とてもスムーズに気持ちを伝え合える様になりました。そして、彼の悲しみや怒りの気持ちを自分のことのように感じ、自然と彼の喜ぶ事をしたいと思える様になりました。
「もう一人の自分」という感覚です。

同時に、2人の魂の奥底から望む<人生をかけて取り組む事>についても、足並みを揃え、互いに協力し合える準備が整った…とも感じました。

01.25.02:52

こども芸術大学 制作文 / 新しい魂







   <新しい魂>
 

業の消化にエネルギーを使うのは私たちの代で終わり、次の世代の魂はそうした修行の必要のない存在達だと感じています。

青い鳥の未来の部屋のワンシーンのように、それぞれが新しい地球の為に、重要な役割を担い、使命を持ってやって来た私達よりも一歩先を行く使者(新たな魂)だと感じています。

ピュアにそれぞれの魂が自分らしく成長するように見守ることを、普段から私達二人は意識しています。
 そのように意識してこども達と接していていると、<今までの古い常識に毒されている自分>を感じたり、ときには<親の都合を押しつけている自分>にも気づかされます。

 新しい魂と毎日を共に生きる機会に恵まれた私達は、新しい魂から多くを学び、できれば<これからの新しい世界を築く、新しい魂たちのための環境造りをしていきたい>と願います。

01.25.02:51

こども芸術大学 制作文 / 光の天使の絵本

<光の天使の絵本>

まだ、澪や央飛人(ひろひと)が私達のところに来てくれる前、大原で『陽・紫空雲舎』(『貴方らしく私らしく在る集いの場所』の願いを込めた二人の活動の名前)を主催していた時、私たち夫婦は絵本作りに携わりました。


その内容は…

お母さんや先生の言うような何でもできる子やいい子になれなくて、このままでは自分を失ってしまいそうで、以前から気になっていた森に女の子はその答えを探しにでかけます。

その行く道をお月様が照らし、天使がずっと見守ってくれています。

女の子はその森で清々しい朝を迎え、光の天使に出会います。その光はあたたかく体がリラックスし、心も軽くなってきます。そこで女の子は気づきます。

周りに無理に合わせたり、いい子になろうとしなくても良い、心から望む好きな事をすれば良い、自分の奥()からの感覚を信じて自分に正直に生きて良いのだと…。

森から帰り、お母さんにその事を伝えて、それで良いのだと確認し合います。



 「生きる希望を持てないこどもが増えてきている」…そういう衝撃的なニュースが伝わってくる時代にあって、大人の価値観や社会の常識やなどに自分を合わせ過ぎて自分自身が見えなくなり、苦しんでいるこども達に、なんとかエールを送りたいとう願いを込めてできた絵本です。


それは私達大人も同じで、それぞれが自分自身を取り戻す事の大切さを改めて感じています。



      












01.25.02:50

こども芸術大学 制作文 / こどもにとって輝く時間とは?

 


  

<こどもにとって輝く時間とは?>

こどもにとって輝く時間は?どんな環境がこどもにとって良いのか?

私にとっては、虫、土、花、木々、水、光、空、星、動物達、友達や周りの大人と対話して、探検、冒険、興味、憧れ、という自分を駆り立てる<わくわくするような感覚に沿って、目を輝かせて遊んでいる時間>…がそうでした。

いろいろな種類の土や砂を集めてきて、素材を生かし自分で工夫して、何層にもなった、泥団子をよく作りました。それを大きな葉っぱに盛り付けて、丸くきれいに形のそろったお団子を満足いくまで眺めた後、その葉っぱでくるんで切り株の秘密の隠し場所にしまっておくのです。

お母さん達が集まって井戸端会議をしている脇で、私達こどもは家の前の広場で、その様にして自由に土や水や草を採ってきて友達や兄弟で集まって遊んでいたました。

「蟻はお菓子のかすを持ってどこへ行くんだろう?」
「お月様はどうして私についてくるんだろう?」
「夕焼けって本当に綺麗だな!」
「ザリガニって進み方が面白い!」…

自然と自分が集中して向き合うための自由な時間や、それを共有できる友達がいて、大人は見守るだけで介在しない環境が私のこども時代には自然とありました。

そして、人と人があたたかい絆で結ばれ、暮らす環境もありました。

「妹がドブに落ちた」「池にはまった」…ちょっとやんちゃな妹が危ない目にあう度に、私はあわてて大人を呼びに行きました。

お母さんでなくても必ずそばに誰かがいてくれて、助けてくれました。ドブ臭い妹を沸かしたばかりのお風呂に入れてくれるおばちゃんに、こども心にその暖かさを感じました。
妹が夕方暗くなっても遊んでいてなかなか帰って来ず「親を心配させた」と隣のおばちゃんが、妹を外の柱に紐でくくりつけたこともありました。妹をかわいそうに思う気持ちも強かったけど、怒られている理由もちゃんと理解していました。

絵の上手な大きいお姉ちゃんの家の戸をたたき、絵を描いて欲しいと頼みにいったこともあります。そのときの私にとっては憧れの存在でした。

大好きなお兄ちゃんの後をついて公園に行くと、めんこや駒が上手で見とれていました。やり方を教えてもらってやってみると、お兄ちゃんのように上手にはできないけれど、とても楽しかったのを覚えています。

近くの神社の境内が遊び場所になっていて、ポコペンや鬼ごっこ、はないちもんめ、かごめかごめなど、何人か集まると自然と大きい子も小さい子も一緒になってみんなで遊んでいました。

編み物の上手なおばちゃんの家にもよく遊びに行きました。

いろんな機械が置いてあって興味津々で、これ何?これは?という質問にやさしく答えてくれていました。

よく声をかけてくれるおばちゃんの家にこどもだけで遊びに行ってお菓子やお茶をご馳走になったり、お買い物に一緒についていったりもしました。

十五夜のお月見はゴザを敷いて、みんなでお団子を食べお月様を眺めました。普段は夜にそんな風に集まることないので特別な感じがして、わたしたち子供はとても、はしゃいでいました。

おばちゃんたちが落ち葉を掃き集めて焼いていると、なんだかいいにおいがしてきます。落ち葉が灰になると中からホイルに包まれたおいもがでてきます。墨のように焦げていても、中のお芋の色は鮮やかな黄色でほくほくとても美味しかった。

 私は毎日今日はどんなことに出会うのかと、わくわくして生きていました。

 

小学校に入学してまもない頃に私は母に、
「保育園も嫌やった、幼稚園も嫌やった。でも学校はもっと嫌や。」
と言ったそうで、娘のために良いと思って保育園や幼稚園に行かせていいた母には「そんな気持ちだったの?」と、とてもショックだったそうです。

当の本人は全く覚えていなくて、自分がどんな気持ちでそんなことを言ったのかと、母がその話をするたびに思いました。

保育園や幼稚園の先生は優しかったし、友達もたくさんいたし、いじめられたとか、特別嫌な経験はしていないので、何か具体的な問題があったわけではないのです。

しばらく検証してみて、思い当たったことは、わくわくするような感覚を持って目をきらきらさせて自由に遊んでいた時間が輝き過ぎていて、園や学校で過ごす管理された時間と比べると雲泥の差があったという事です。

お遊戯や折り紙、油粘土遊びなど、決まった時間にみんないっせいにやりたくてもやりたくなくても決まったことをする事での<やらされている>という感覚や<出来るか、出来ないか><上手くできているかどうか>で表面的なことで評価される事への違和感もありました。

粘土ひとつとっても、べたべたする感じやにおいなど油粘土は好きではありませんでした。粘土を土の層から自分で見つけて、集めて捏ねてお団子を作っていた時の手の感触の心地良さを知っているからです。
そうした学び場には自分の感覚にフィットした、「衝動を持って、本当にやりたい事をやる」時間がそう多くは無かったのだと思います。


      
       「かえるさん…かわいい。 かえるさん、だいすき!」


こども芸大の制作文のご紹介の場を借りて、今現在のことを重ねさせていただきたいと思います。


ここ八瀬は比叡山の麓、鹿が鳴き、猿がいて、ホタルも飛び交う高野川が流れ「自然との対話が日々できるような環境」があります。
地域のお祭りや行事も盛んで人の心が絆で結ばる清らかな善き土地だと感じます。
今私たちが住んでいる所には深く共感しあえる仲間が次々と集まってきていて「人と人が繋がる、あたたかいぬくもり」の中で、子どもたちを皆で共に育むという環境がここにあります。

ここで日々子どもたちと感動や喜びがいっぱいの「輝く時間」を周りの皆と一緒に味わっています。

子ども達が大人になったとき、そうして蓄積された「輝く時間」は宝物となって「内なる力」となる事と思います。

自分の「内なる力」と繋がっていると、いつも屈託なく素の自分自身でいられて、自分が奥で何を欲しているか、何をしたいのか自分の感覚に聞けるようになると思っています。

本当に心からやりたいことをしていると、「人生そのものが輝く時間の連続!」です。

他に寄らず皆が自分の「内側の力」の源を起点とする、心からやりたいことをするシンプルでしなやかで力強い生きかたが、大人も子どももできるような環境づくりが私たち夫婦のしたいことです。


私は「自分の感覚」を信じ、子どもの頃に培った「内なる力」と繋がり、日々「魂の衝動から行動する」生き方を自分のペースで始めています。

見た目には何も変わったことのないシンプルなことなのですが…
例えばそれはお料理をすること、パンやお菓子を作ること、手作りの石けんを作ること、家のお掃除をすることなど日常の暮らしの中にもちりばめられ、子どもたちとお話する事、一緒に遊ぶ事、会いたい友人との手作りお菓子でのティータイム、お料理を持ち寄ってのパーティ、友人家族の家でのお泊り合宿、畑での野菜やハーブ作りなど全てが串刺しのように一貫しての魂からの私のやりたいことで、言葉を換えれば私の愛の表現です。
八瀬のこんな場所があったらいいなの拠点づくり、八瀬学校の今までになかったような体育館の構想などむくむくとやりたい事が湧いてきます。

こども達と共に「輝く時間の連続」の中に日々居させてもらっている喜びと感謝の気持ちを、このブログで少しでもお伝えできればと思っています。








         
            
         























01.25.02:48

こども芸術大学 制作文 / こども芸大との出会い



<こども芸術大学との出会い>

「私が育った時の様に、自然と向き合い、自由に興味のある事を深めていける様な、また、人との豊かな繋がりを感じられるような環境をこども達に与えてあげたい。」

そう思っていたところ、仲のいい友人から、こども芸術大学の開学を教えてもらいました。

そのタイミングは澪の年齢とぴったり合っていて、説明会でお話や作成された映像を見ていると、<私達の目指しているものとぴったり連動している>と感じ、嬉しくて夫婦揃って涙が込み上げて来ました。

こども芸術大学を作ることを祈願して努力を重ねてこられた、徳山理事長、坂本先生はじめ準備に関わってくださった皆さんへはもちろんの事、どこにどう感謝していいのかと云うぐらい、こども芸術大学に出会えたことが本当に嬉しかったのです。

 
     











01.25.02:47

こども芸術大学 制作文 / こども芸大へ通う日々 わたしのしたい事

第2章こども芸術大学に通う日々

2月のお誕生日会にて/おひさまパン

<わたしのしたい事は…>

2月のお誕生日会は私一人のみと聞いた時、せっかくだから、それまで暖めていた<ここで是非表現できたら…>と願っていた事をしたいと思いました。

それは「おひさまパン」という絵本を読んで、おひさまの形をしたパンを焼いて、みんなにプレゼントするという事でした。

おひさまパンという絵本は、すべてが凍ってしまったような世界におひさまを呼び戻したくて、犬のパン屋さんがおひさまパンを焼いたら、みんなの心の氷も解けて、おひさまも顔をのぞかせ、すべてが色づき、心が浮き立つ春がきたというお話です。

そこに語られていると感じる事は…、

-----犬のパン屋さんが希望を持って、自分なりに行動した事。

-----その希望が、パン屋さんの取り組みを通して、みんなの心に伝わった事。

-----そして、みんなが心から望むその願いがかなった事。

-----最後には、みんなで一緒にその希望に向かって取り組める喜びがある事…。

私がこのこども芸術大学でしたい事と重なっていて、このおひさまパンを焼こう…と決めた時、なんだかとてもわくわくしてきました。

しかし、こうした積極的な今の私も、こどもだった頃は照れ屋で、はずかしがり屋な一面もありました。

大人になっても、自分からは人前に立ちたいと思う方ではなかったので、そうすることを自分にかせたとき、ちょっぴりその感覚が残っていました。

でも、澪や央飛人、侃くんや論くんや理久くんが絵本を大好きで、「これよんでー」とせがまれてひざの上に乗せて読んであげると、とてもうれしそうにしてくれる事と、こども芸大の仲間の朋子さんにおひさまパンの話をすると、「それはいいね。」と目を輝かせてくれた事が、私の力となってそうした感覚も一掃されて、ますます体の中から力がわいてくるのを感じました。



 










01.25.02:44

こども芸術大学 制作文 / おひさまパンを作る

   

<おひさまパンを作る>

お誕生日会の前日にパン作りに取り掛かりました。

本に書かれているレシピより少しヘルシーなものがいいなと、卵をたっぷり入れる代わりに、かぼちゃのマッシュにしておひさまの色をだしました。

バターの量も半分に減らして、代わりにスキムミルクでみるくの甘い香りをだす様にしました。

おひさまの形にするのも、とても手間がかかることだけれど、出来上がったおひさまの顔にそれぞれ個性があって、いとおしく、こどもたち一人一人の笑顔と重なって、たくさん作るその作業も喜びにかわります。

そして、大きな大きなおひさまパンも作りました。それは、わたしたちが一番感謝している人にプレゼントしたいと思っての事です。

それは、何年も掛けてこのこども芸大を作って下さった徳山理事長にです。

 

01.25.02:43

こども芸術大学 制作文 / 央飛人の自己主張・根源

<央飛人の自己主張>

私が、うきうきパンを作る作業をしていると、2歳の央飛人(ひろひと)がダダをこねてはじめました。それが本当に激しいので困ってしまいました。

私の気持ちが自分から離れていると感じるのでしょう。

「今な、おひさまパンを作ってるんやで。ほらこんなんやで。焼けたらたべよな。」

パンを見せてそう説明しても全くおさまりません。

他の事なら少々中断できるのですが、パンの形成となると、生地が乾燥して、硬くなったり発酵度合いもまちまちになってしまい、仕上がりに大きく影響してくるので手を休めるわけにいきません。

「ごめんね。終わるまで待ってね。」そう言っても、こんな時の彼の耳には届くはずもありません。

<自己主張の根源>

その様子を見ていると、あるひとつの出来事を思い出します。

それは彼が1歳になるかならないかの時、家に泊りがけで来られる5人のお客さんの夕飯と宿泊の準備を1人で用意した時の事です。

親しい人たちなのでそんな準備も苦にはならず楽しいのですが、やっぱりこども達の相手をしながらだと思うようにいきません。いよいよ予定の時間が迫っているとなると集中しないと事が進みません。そういう空気を察知して央飛人はそれまでなかったように泣き、足元から離れず、余裕のない私はそうした央飛人の気持ちに答える事なしに準備をこなしました。

それまでの彼は非常に安定していて、夜泣きもした事がなく、いつも笑顔で本当に純真無垢な存在そのものの様に思えていたのが、そのでき事を境に彼の様子が変わりました。

そのとき彼は、<お母さんに拒絶された>…という強い感覚を持ってしまった様に思います。

何か、それに近い様な事があると、彼にその感覚がよみがえっているのを感じます。その感覚を感じ激しく泣いて訴えている様に思います。

忙しい日常の中でも、私が彼と真剣に向き合い、じっくり時間をかけてその氷が自然にとけるのを待つしかないと思っています。

       













01.25.02:41

こども芸術大学 制作文 / お誕生日会の当日



<お誕生日会の当日>

お誕生日会当日、その月にお誕生日を迎えるお母さんは、こどもの頃の写真を何枚か紹介する事が恒例となっています。

生後4ヶ月の児は頃の歩行器に乗って笑う写真は、目元が娘の澪そっくり。

今の澪と同じぐらいの写真は、お父さんお母さん、1つ下の妹と一緒にお正月の初詣の写真。

生まれながらに動物たちが大好きで、心が通っていました。やっとよちよち歩けるぐらいの時に、自分より背丈のある大きな犬に抱きついた事と、住吉(神社)さんの白馬にニンジンを手の平に載せたてあげるのが大好きだった話をしました。

小学校5年のときの巫女さんの写真。

お正月の着物や巫女さんの体験は、今澪が日本舞踊と縁あって出会っている事にもつながっていると改めて確認します。

高校生のときの写真。

私が絵を描くのが大好きというのはクラスのみんなが知っていて、文集の表紙や学園祭のバックの6畳もある大きな絵を描いたり…など、そういう類の仕事は必ず回ってきた事。高校を卒業するとき、本当は芸大に行きたかったけど、家の都合もあり断念しました。けれど、今こうして子供たちと一緒に通えているので思いがけない形で願いが叶っていると云う話をしました。

 

写真の紹介の後、こども達が「わーっ」と、私を取り囲んでいっせいにプレゼントを持ってきてくれて、そのこども達の純粋な思いを感じて感無量になりました。

ひとつ、ひとつ、こども達が書いたものや作ったものを説明してくれたり、躍ちゃんのお兄ちゃんの雄大くんまでロウソクのたくさん乗ったバースデイケーキを描いてくれたり、それぞれこども達が説明してくれるその姿に、こらえようと思っても、涙が溢れて止まりません。

芙耶ちゃんが「どうしたん?ないてんの?」と質問してくれて、「うん。みんなの気持ちがうれしくて…感激屋さんやねん。」とやっと答えました。

大人の私が自分たちのプレゼントに感動して涙している様子はこども達にとって、

印象に残った様子で、花練ちゃんはそのときいなかった聖美さんに、「泣いてはった。」と伝えてくれているのが聞こえました。

01.25.02:40

こども芸術大学 制作文 / 躍ちゃんの優しさ





<躍ちゃんの優しさ>

おひさまパンの絵本を読もうとした時、央飛人がお気に入り電車の本を持って来て「かあたん、これ、よんでー」と自己主張して来ました。お母さんが外のこども達から何かをプレゼントされて嬉しそうだったり、いつもと違う様子なので、自分の存在がおかあさんの中から消えてしまったと思えたのか、疎外感のようなものを感じた様な気がします。

私も、その央飛人の自我をどこまで通すべきか悩んで、困ってしまいました。でも、央飛人は、母親が今からみんなに絵本を読もうとしていることをよく分かっていてやっているので、生半可に付き合うぐらいでは納得しません。ここではこども達みんなとの時間を優先しようと「後から読んであげるからね。後でね。」と言うと、央飛人は泣き出してしまいました。手足をばたばたさせて泣いている央飛人を主人が他の部屋へ連れて行くかたちになってしまいましたが、しかたないかなと思って絵本を読み始めました。

央飛人には、また別に時間をとって央飛人が納得してくれるように、お話をしようと思いました。

後で知ったのですが、そんな央飛人をかわいそうに思った躍ちゃんが、「本を読んであげようか?」と、ずっと主人が連れて行った央飛人の傍についていてくれたのです。

私が出来なかった事を、躍ちゃんが代わりにしてくれようとしてくれたのです。

人に何かをしてもらうより、人に何かをしてあげたいと思う躍ちゃんの優しさに心を打たれました。

01.25.02:39

こども芸術大学 制作文 / 自分なりの答え

<自分なりの答え>

お誕生日会が終わったあと、山本先生が央飛人に対してとった行動について、思うところを話してくださる機会がありました。

「あの時、10分でも20分でもみんなに待ってもらって、絵本を読んであげるとかひろくんも納得し、みんなも納得するようにできなかったか?こども芸大はそうした時間はとれるところなのでそのように対応できないものだろうか?」

そう言われて、私は、「自我の満足を通すことを覚えることは、央飛人にとってどうなんでしょうか?」

「彼自身の心の奥からきている衝動は本当に大切にしてあげたいと思うけど、自我の欲求、わがままが混ざりこんだものを、どこまで満足させていったらよいのかと考えているところです。」
「先生に戴いたご意見とお気持ちにはとても感謝します。でも、これから同じことが起こった場合どう対応するか、その答えは考えさせてください。」と自分の内にある感触を確かめながら、そう伝えさせてもらった。

次の日もまた、みんなの前で塩本先生が同じことをおっしゃり、「お母さんが変わって欲しい」とはっきり言われました。

でもやっぱり、山本先生に伝えたことを繰り返し、まだ私のなかでは答えがでていないと伝えました。

その時間のすぐ後に朋子さんと話した時、「そうしたことは難しい問題やね。でも私と季穂は、せっかくの楽しい時間なんやけど、ひろくんのことが気になって100%その場を楽しめなかった。」と素直な感想を言ってくれました。

--------参加してくれた人達みんながそういう風に央飛人のことを気にしてくれるなら、考えなきゃな。---------

刹那思い返し、「次にもし同じことがあった時は、躍ちゃんが自分で考えて行動してくれた事も踏まえて、央飛人の気持ちや状況を子供たちに伝えてどうしたらいいと思う?と聞いて、子供たちと一緒にどうしたらいいか考えてもらうようにしたらいいかな…。」と、自分なりの答えをみつける事ができました。














01.25.02:38

こども芸術大学 制作文 / こどもたちの中の宝物





<こどもたちの中から自然にでてきてくれたのもが最高の宝物>

お誕生日会の次の日のお弁当の時間、となりに座った 理恵さんが1枚の絵を出して来られました。それは昨晩アキちゃんが、書いてくれたものでした。

そこには、にこにこのおひさまパンと、「おひさまパンありがとう」のメッセージが書いてありました。

アキちゃんは今まで人に絵を書いたり、プレゼントするような事がなかったのに、はじめて自分から行動出来た様です。またその絵を書いた後掛かってきた電話にも、アキちゃんは自分から進んで出る事が出来たりしたそうで、その事を理恵さんはとても喜んでいました。

私も、意図していなかったものの、そういう事が結果的に起こってくれて、本当に何より嬉しかった。勇気をもって、やりたい事をやってみて良かったと実感した出来一日でした。

花練ちゃんも、翌日かわいい『おひさまパン』の絵を描いてくれて、てこ、てこ、てこっ…と自分で私のところまで持ってきてくれました。

花練ちゃんの首をかしげて笑う顔がなんとも愛らしくて、きよみさんのメッセージも嬉しくて喜んでいると、その様子を見ていた躍ちゃんがすかさずさらさらっと赤いクレヨンでおひさまパンの絵を描いて満面の笑みで持って来てくれたのです。

私もまた嬉しくなって、「躍ちゃんありがとう」と言うと、躍ちゃんは、「これ火で焼いたから燃えてるねん。」と…。

私が「今日は少し寒かったけど、躍ちゃんのおひさまパンのお蔭で、なんだかぽかぽかしてきたわ。」と言うと、本当にすてきな笑顔を返してくれました。

きらきら光る宝物がこども達の中からたくさん溢れて来て、そうしたこども達の様子に、私は幸せな気持ちでいっぱいになりました。

01.25.02:36

こども芸術大学 制作文 / おやつ作り



       

ブルーベリースコーンのおやつ

<スコーン作り>

朋子さんが、「ブルーベリーのジャムがあるけど、なにかに使える?」と聞いてくれました。

私は、「えー!いいね。何にでも使えるやん。なんかおやつ作ろう!」と喜んでいると、そこに聖美さんが来て、「スコーンはどう?マクロビのいい本があるよ。」「わー、いいね。お願い。」

…ということで、次の日ブルーベリースコーンを作る事になりました。

家に帰って、家でスコーンを作るときに使う、丁度良い大きさのグラスを2つ用意していると、ふっと、「聖美さんは石鹸のワークショップの後だし、この間は少し風邪ぎみだって言ってたし、ゆっくりしたいんじゃないかな?小さい陽くんがいて大変なのに、本を持ってくるために早く学校に行かないととか、それだけでもかなりプレッシャーをかけるんじゃないか?」…と思いました。

でも、それに気がついたのは夜中の11時で、今さら電話もできないし、インターネットでマクロビのレシピを検索するとでてきたので、聖美さんにレシピみつけたので大丈夫とメールをしました。

8時半ごろ、メールを見ていない可能性もあるので、電話すると聖美さんたちは、すべてを用意してちょうど家をでるところでした。朝のあわただしいなか、電話してかえって悪かったかなと思っていると、聖美さんから、「花練が佳代子さんのお菓子づくりお手伝いしたい。」と言ってくれていると聞いて嬉しくなりました。

前に2チームに分かれて子供たちとピザづくりをした時、花練ちゃんは、みんなのトッピングが終わった後、みんなに見守られながら、本当に丁寧に素晴らしく仕上げてくれたのでした。

「花練はそれが楽しかったみたい。」と聖美さんが言ってくれましたが、実はもう一つ、後で知る事になる別の大切な訳があったのでした。

朝、学校に着くと、花練ちゃんは玄関のところでゆっくり腰をおろして靴を脱いでいました。そして嬉しそうに、「今日はお父さんのお誕生日。」と教えてくれました。

聖美さんが持ってきてくれたのは、マクロビオティックをされている中島デコさんの本と、レシピにでているりんごジュースの変わりのりんごとくず粉とオートミール。陽くんをおぶって、かれんちゃんを後ろに乗せて、自転車に乗って来ていてそれでなくても大変なのに、快くそうしてくれる頑張り屋さんの聖美さん。

央飛人が自転車で寝てしまったので、出来る時に出来る事をと、山から帰ってきた朋子さんと一緒に朝から生地作りを始めました。

すると、興味を持ったこども達が集まって来ます。澪はいつも家でしているから、今日はいい。と自転車に乗って遊びます。季穂ちゃんがおかあさんと材料を計るのを手伝ってくれます。論くんと芙耶ちゃんがりんごをミキサーにかけるのを手伝ってくれます。そういう時のこども達の目は真剣でとても輝いています。

その日は、京都タワー体操のお姉さんたちがやって来て、こども達と交流して下さる日で、白い衣装に身を包んだ3人のかわいいお姉さんたちと楽しそうに体操しているこどもたちを見ながら、朋子さんと生地をこねたり、後片付けをしたりしているのもいい感じです。

お昼ごはんを食べた後に生地を繰り抜こうと言い合っていたけれど、央飛人が少し風邪気味だったせいもあり、ご機嫌が悪く私は作業にはかかれません。ごめんねー。と聖美さんと花練ちゃんが生地を伸ばしたりするのを見守ります。

すると朋子さんがやってきて一緒に作業しているとまた、ほかのお母さんやこども達が入れ替わり立ち代り、スコーンが完成していきます。朋子さんと躍ちゃんや論くんや季穂ちゃんが並んで作業している姿は本当にほほえましく素適でした。

焼き上がると、躍ちゃんが来てその仕上がりに満足そう。

わたし達3人が主体になりそれぞれ自然に出来ることを出来る時にして、みんなが楽で、みんなに感謝できて、こども達もやりたい事が出来て、満足のゆく進め方が出来た、うれしい出来事でした。

01.25.02:34

こども芸術大学 制作文 / 花練ちゃんの願い

<花練ちゃんの願い>

帰り際に朋子さんが「伸一さんに」…と、一つだけ残ったスコーンをホイルに包んで持ってきてくれました。朋子さんの気持ちに感謝して、それを預かることにしました。

お話したい事があって聖美さんのところに行くと、ちょうど聖美さんが花練ちゃんに「朋子さんに自分で聞いてきたら?」と言って、花練ちゃんがとことこっと朋子さんの所に行こうとしているところでした。どうしたの?と聞くと、「お父さんのお誕生日に今日作ったおやつを、お父さんに持って帰りたい。」と言ってるのだそうです。

―そうか、朝、花練ちゃんが朝お父さんのお誕生日のこと教えてくれたね。

お父さんにあげたくてお菓子づくりを手伝いたかったんだ。

そういえばお昼にお父さんにケーキをあげるって言っていた。

それらが全部つながって、花練ちゃんの本当にしたかった事が、やっと私にわかりました。

偶然、朋子さんにひとつだけ残ったスコーンを預かっていて、その場に居合わせることが出来た事に本当に感謝しました。無事に花練ちゃんの手に渡り、そのスコーンの価値は計り知れないものになったように感じました。

花練ちゃんのお誕生日のお父さんに、自分で作ったおやつを持って帰ってあげたいという願いが叶って、本当に本当に良かった。花練ちゃんの、お父さんを想う気持ちを表現された素敵な出来事の立会い人になれた事は、私にとって、とても幸せなことでした。

こども達が本当に心から願う小さな願いが、一つひとつ聞き届けられて、いつもいつも叶います様に…。














01.25.02:33

こども芸術大学 制作文 / 澪と央飛人の遅めのお昼ごはん

<澪と央飛人の遅めのお昼ごはん>

スコーン作りの作業が進む中、澪は私と央飛人がいるテーブルの少し離れたところで、一人遅いお昼ご飯を食べ始めました。

みんなかお弁当を食べる中、ずっと三輪車仲間のやくちゃんと論くんと遊んでいて、声を掛けても、おなかが空いていなかったのか食べなかったのでした。

そして澪は、三輪車に乗ったままお弁当を開き始めました。

その時わたしは、風邪気味で食欲のなかった央飛人にお弁当を食べさせていたところだったので、しばらく澪の様子を見ていました。

そのままお弁当を食べ始めようとする澪に、

「澪ちゃん、自転車に乗ったままお弁当食べるの?それってどうかな?」

澪のところにいこうとするのと同時に、聖美さんが気を利かしてイスを持って来てくれました。

「澪、いつもごはんを食べるとき、いただきますって食べ物にありがとうって気持ちで言ってるよね?その格好じゃありがとうって思っているように見えないよ。澪はどんな感じがする?」と聞くと、「分かった。」とすぐにイスに座りなおして背筋をのばして食べ始めました。

すると今度は、央飛人が、「おにぎりちょうだい、おにぎりちょうだいっ」と言い出してぐずりだしました。

その日は私が自分のお弁当を忘れて、央飛人のお弁当をお昼に半分食べていたせいでご飯が足らなかったのでした。

「澪、ひろにおにぎりひとつあげてくれる?」
「いや。」「おねがい。」
「いや。」

「あのね。おかあさんがお弁当忘れて、ひろのおにぎり半分たべちゃってん。だからひろの分が足らへんねん。お母さんが悪いねん。

またお家に帰ったら何か、澪にお礼に何かいいものあげるから、このおにぎり分けてくれへんかな?」と言うと、やっと澪が納得しておにぎりをひとつ分けてくれました。

央飛人にもお母さんがおにぎりを食べたことをあやまり、澪ねえちゃんも食べたいのに央飛人のためにおにぎりを分けてくれたよ。と言ったら、「ねーちゃん、あーと」と言い、央飛人はもらったおにぎりを満足げに食べました。

澪のこころが納得して、澪自身も央飛人も満足している2人の姿を見て、私も嬉しくほっとした気持ちになれました。

 
   





01.25.02:29

こども芸術大学 制作文 / ある日のお母さんの立ち話

ある日のお母さんの立ち話

<答えを暗記するのが勉強?>

上の子が行っている塾のやり方は、プリントされた学習内容を大量にこなす事で、答えが出てくるディスポンスを上げる様だ。なせそうなるのかを学ぶより、多くの公式をたくさん暗記する事をする。リンゴやミカンが出てくる問題の様で、その問題を解く前にいろいろ疑問点がでてくる子がいても、その感性は大切にはされない。

子供の頃、その塾に通った主人は、計算が速くなる利点はあるが、失う何かがあると言っている。ある女の子はそろばんを習っていて、相当の腕前なのに、日常の買い物などの簡単な計算はできないのが不思議。 応用が利かないという事か?

その話を聞いていて、こどもの感性を大切にし、こどもの考えるちからが育つ様な教育の方法はないものだろうか? と思う。

こども芸術大学のアーツリーダー養成講座で来られた、理性と情緒の調和した教育を目指しておられる、佐治晴夫先生のお話や本にそのヒントを感じる。

01.25.02:28

こども芸術大学 制作文 / 男の子の子育て

<男の子が男性に育つには、お母さんはどう接すればいい?>

「自立した男性が育つには、お母さんの接し方が大きな鍵をにぎる様に思う。」

そう言うと、恵子さんが「えー」と声を上げました。

なぜそう思うか?それは、わたしが高校を卒業して何年かして、10代の男の子の服を扱うショップの店長をしていた頃、中学生の男の子とお母さんが服を買いに来ている際の親子のある場面に遭遇しての事でした。

「どんなんがいいの?」
「これはどう?」「これなんかいいんやない?」
「もう!この子はなにも言わへんのやから。」「はっきりしいな。」
お母さんがいらいらまくしたてて、こどもの言葉をさえぎって、全部取り上げているように感じました。

その男の子の心は硬く閉じてしまって、貝のように口を閉ざし、表情も変えませんでした。その姿に私の心は痛みました。

その時私の中では、その子のお父さんも力なく、お母さんに支配されている姿が目に浮かんできました。

「その男の子は今頃、こころの中では反発していたお母さんのような人と結婚してまた同じような状況を繰り返して、またそのこどももお母さんから同じ目にあっているのかもしれないね。」

そんな話をしたら、さとえさんがそう思うと実感を持ってうなづいてくれました。

恵子さんは、「そんな時からもうそんなことを考えていたの?」と驚き、「私もこども芸大に入ってから、親の子供に対する心無い対応を見てしまうと、胸が痛んで…」と話されました。

お父さんの支配するこうした事の反対バージョンもあったり、いろんなパターンがあると思いますが、そんな風に因果が繰り返す仕組みが、どこかで変わっていく事が出来るのだろうか?どうなれば、また何をもって人は救われた状態になるのだろう?

ずっとそういうことを今まで、追及して生きて来た様に思います。

私も、こどもを持つ身になって、こどもに対するその母親としての影響力に責任を感じています。

01.25.02:25

こども芸術大学 制作文 / みちくさ

<みちくさ>

韓国のアリラン放送局の方が、こども芸大と、そこに通う子供の家に取材に来られました。

韓国と中国と日本の幼児教育の現場を取材される中、日本での新しい教育の取り組みをしているところはないかと、こども芸大に白羽の矢があたったそうです。

こども芸大では、自由にこども達が遊ぶシーンを撮影されました。

私たちの家にも2日にわたって来られ、こどものためにお弁当を作るシーンや自転車で学校へ通うシーンを撮影され、日々こども達と接する中で、何を大切に過ごしているのかを尋ねられました。

韓国も少子化が進んでいるそうで、夫婦共働きをしながらこども達の教育にはかなりのお金が掛けられ、学校の後、こどもたちは塾や習い事に通うバスで次から次へと送るようなシステムがビジネス化されていると聞き驚きました。

合理的といえば合理的ですが、こどもの特権とも云える遊びの時間がなさそうで聞いているだけで息がつまりそうになりました。

私達の子供の頃は、学校の帰りに田んぼの畦道に生えているクローバーで遊んだり、てんとう虫を手に這わしたり、筆箱で飼うゾウムシを探したり、思うままみちくさをして遊んで、時間もゆっくり流れていました。

こども芸大に着くと、今日は何をしてあそぼうかな?

こども達はしたいことを自分の心に聞いて、思い思いに過ごします。

みちくさしているような、ゆっくりした時間がここにも流れています。












01.25.02:24

こども芸術大学 制作文 / 澪のわがまま

<澪のわがまま>

「抱っこして」

「ひろをだっこしたら、澪も抱っこして欲しくなるもん。」

2人は無理やねん。」

「エーンだっこしてー。」と泣き出す澪。

駐輪場から立ち往生です。

「学校に行かれへんで。2人を抱っこして歩くことはできひんもん。どうする?このまま帰るか?」「いやーーー!」

央飛人をひざの上に階段にしばらく座って、泣いている澪の気持ちを感じてみる。

いつもは言わないけれど、我慢してるんやな。そう思うと、澪をいとおしく思えてきて、央飛人を膝から下ろして、

「ひろはいつも抱っこって言うたら、お母さんは抱っこしてるやろ。」

「お姉ちゃんも抱っこして欲しいなと思うときがあっても、ひろくんをだっこしてるからって我慢してるんや。ひろくん順番な、今はおねえちゃんの番な。」

そう言うと央飛人はちゃんと聞いてくれて納得して待ってくれました。

「澪、今ここで抱っこするんでいいか?抱っこして歩かれへんでもいいか?」

と言うと、うなづく澪。

「ほんなら、澪がもういいって言うまで抱っこしてあげるからな。」

しばらくぎゅっと抱きしめていると、もういいとするっとひざから降りて歩き出す澪。

親としての立場や都合を押し付けている間は、何と言っても子供は納得してくれない。

その点、山本先生は子供の気持ちを感じて、それに沿って対応してくれる本当に良いお手本です。

01.25.02:23

こども芸術大学 制作文 / お弁当の時間 侃くんの水筒

お弁当の時間

<侃くんの水筒>

ある日のお弁当の時間。央飛人と私の前に、座っていた侃くんが、「うー水筒固くて開けられへん。」と困った顔をしていました。
それを見て「じゃあ、どうしたらいいかなー」と言うと「私が開けてあげる!」と隣に座っていた、ちょっとお姉さんの季穂ちゃんが一番に声をあげました。

でも季穂ちゃんが顔を赤くして開けようとがんばったけと開きません。

「わたしもやる」っと芙耶ちゃん。「おー!芙耶ちゃんも挑戦か?」普段はちょっとクールな芙耶ちゃんが、顔をしかめて一生懸命開けようとするしぐさが本当にかわいかった。
やっぱりそれでも開きません。
その隣はアキちゃんだけと、アキちゃんはマイペースでお弁当を食べていて、そのまた隣の論君が「論君もー」と嬉しそうに言いました。

そんなみんなの様子を見ていた侃くんが、「僕もちょーせんしてみるー!」…と目をきらきらさせて、大きく手を振り上げて言いました。

「ちょっと待ってな。」「論くんもやりたいって。論君が先に言うたから、先に挑戦させたげてな。」論くんも一生懸命がんばってみたけど、やっぱり固くて開きません。

そして、最初の様子と大違いのやる気満々の侃くんの手に戻って来て、水筒のふたをひねると、“きゅっ”と音をたてて魔法のようにふたが開きました。

「侃くんーすごーいい!」「やったー!」ちょっと感動して本気で声をあげました。

するとすかさず「みんなが手伝ったからやん。」と芙耶ちゃん。「そうやね。みんなの力があわさって開いたんやね。」

水筒のふたが開かないことが、こんなに楽しい事とは知りませんでした。










01.25.02:21

こども芸術大学 制作文 / 躍ちゃんのお箸

<躍ちゃんのお箸>

躍ちゃんが「ひろくんの隣がいい」と、一度開いたお弁当を持って引っ越して来てくれました。

いつもこども達の様子をじっくりと見守ってくれている中尾先生が、

躍ちゃんが残していったランチョンマットやお箸を、持って来てくれました。

躍ちゃんはお箸箱は開いた様子はなくお弁当を食べているので、

「これ躍ちゃんのおはし箱?どうやって開けるの?」「こーするんやで」

「へーそうするんや。」

「どうやって使うの?ひろくんに教えたげてくれる?」

「わー。すごい。上手に使えるねー」

少しの間はお箸で食べていたけど、すぐに手で食べていた様です。こっちに意図があると、どこかで敏感に感じるのでしょう。

なかなかこども達は手ごわいです。

手で食べるほうが、躍ちゃんにとっていい理由があるのだと思います。

それを今度聞いてみたいと思います。

 

01.25.02:19

こども芸術大学 制作文 / ある日の央飛人のお昼ね





<ある日の央飛人のお昼ね>

お昼ごはんの後、おっぱいを吸ったままで、央飛人がうとうとして来ました。

いつもそのまま抱っこして、布団を用意して央飛人が深く眠って口元が少し緩むまで、添い寝をします。いつもはそうした時間も頭の中ではあれをしなきゃこれをしなきゃと考えていて、その場にいていないような感じなのが、その日はいつもよりゆったりした気分で、窓の外に広がる木々の木漏れ日を眺めていました。

すると、ぱっと少し暗くなりました。ふと顔を上げて様子を伺うと、中尾先生と目が合い、笑顔でうなずいてくれていました。私も先生に寝たままの姿勢だけれど、会釈して答えました。央飛人がまぶしくなくゆっくり休めるようにと、電気を消してくださる心遣いが心にしみて涙が溢れました。

01.25.02:17

こども芸術大学 制作文 / 澪への声かけ

<澪への声かけ>

「明日は学校やから、おもちゃ片付けてもう寝よう、まだ片付いてないの?何回同じこといわせるの?」とよく澪を叱ってしまいます。
ふと振り返ると、親の立場や都合を押し付けているなと反省させられます。

それを心理学で習ったアイメッセージで言い換えると…

「ここを澪ちゃんが片付けてくれたらきれいになって、お母さんは気持ちよくなって、澪ちゃんのおかげでお母さんは明日もガンバローって気持ちになるわ!」となって

「自分のおかげでお母さんがガンバロウってゆう気持ちになるんやったら、やろう!」
と、ウキウキお片づけしてくれる澪の姿が浮かんで来ます。

忙しさにかまけないで、心に余裕を持って澪や央飛人の気持ちを考えて、対応していかなきゃと思う今日この頃です。

 

アイメッセージの「アイ」とは「私」のことです。これはアドラー心理学で使われる「アイメッセージ・ユーメッセージ」という表現方法です。

 
「あなたは~~です。」という言い方をすると相手を責めたり、非難したり、行動をかえさせたいという指示をする言い方になります。

YOU(ユウ)メッセージ・・相手に対して要求がはじめにある。相手に求める。命令する。
   
「私は~~です。」「私が~~してほしい。」の様に「私は」を主語として、相手の言動によって自分がどう感じたのか、相手に何をわかって欲しいのかを真直ぐに伝え理解してもらいます。

I(アイ)メッセージ・・・自分の状況を説明する事により、相手に理解してもらう。

 











 

01.25.02:14

こども芸術大学 制作文 / 休日の澪 澪の中のりんごちゃん

休日の澪

<澪の中のりんごちゃん>

朝、起き掛けに澪が突然うなされ、泣き出しました。

央飛人がおなかにできたときの、澪の夜鳴きを思い出す激しさでした。

いろんな感情がたまっているのでしょう。

そんなときは、抱きしめて「よし。よし。」と声をかけて澪の感覚がおさまるのを、ずっと抱っこしたり、さすったりして時間をかけて待つしかありませんでした。

そのときは、ふっと思い立って、澪に聞いてみました。

「今、澪のどの辺にどんな感じがするの?」

そうすると、澪が泣くのを止めて、自分の感覚を内観しながら答えてくれました。

…この辺に…

…そうその辺にどんな感じ?とげとげしてる?ごあごあしてる?つるつる?どんな感じ?…

…つるつるしてる。…  
…そう。それは色がついてる?どんな色?…

…赤い色。……
…へーそう。赤い色なんや。名前はある?
…うん。りんごちゃん。…

もうそう答えている澪は落ち着いて、にこにこしていました。

…りんごちゃんは何か言ってる?…悲しいって。…

…そう。どうして欲しいって言ってる?

…ぎゅーっと抱っこしてって。…そう。ぎゅー。こんな感じ?

ぎゅーっと抱っこすると、澪はすり抜けて笑って走ってゆきました。

そのとき試してみようと思ったのは、ある感情や感覚があるとき、その感覚を内観して具体的にイメージして見つめてみるという、心理学のフォーカシングという技法でした。

いままで、苦労していたことがうそのように感じられた時間でした。

 フォーカシング(Focusingは、静かに、心に感じられた「実感」に触れ、そこから意味を見いだす方法です。シカゴ大学教授ユージン・ジェンドリン(Eugene Gendlin)の心理療法の研究によって生み出されたこの方法は、心理療法や自己理解、夢理解の方法として米国をはじめ、ヨーロッパほぼ全域に普及しています。