01.23.05:47
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01.25.02:11
こども芸術大学 制作文 / おばけのぴーちゃん
<おばけのぴーちゃん>
澪が、「これでおばけをやっつけるねん。」と作ったおもちゃを持ってきて戦う様なしぐさをしました。
「おばけも悪いのもいるけど、いいおばけもいるよ。」と
その後、澪がぞうさんとかライオンさんに変身できるお面の絵本を探していてそれがどうしても見つからなくって、いつもだったら、「澪がちゃんと直しとかへんから、見たいときにないんやでー」と言うところを、
「もしかしておばけのお母さんがおばけの子供のために、澪ちゃんちょっと貸してねって持っていったのかもよ。」
「遊んだらありがとうって返してくれるんじゃないかな。それまで貸してあげていいかな?」
「いいよ。おばけー」
その次の日、澪は、「おかあさんおばけがいるねん。」と話をはじめました。
「黒くてー、目がひとつでー」というので、
黒くてまあるい目がかわいい子が誕生しました。名前はぴーちゃんだそうです。
ちょっと待ってともう一枚さらさらっと書いたのが、そのお友達のこーちゃん。
澪の中で、「おばけ」=「怖い」「敵」という意識から親しみに変わり、更にそれを通り越して澪ちゃんの一部になった様です。
01.25.02:09
こども芸術大学 制作文 / 澪のじゃんけん・お母さん何してるの?
<澪のじゃんけん>
「おかあさんシャンケンしよ、チョキ出してみて!」
「わかったよ、じゃあ最初はグー、じゃんけんポン!」
私のチョキの上に澪がグーを乗せてにこっと笑った澪ちゃんは
「かたつむり!」と言うのでした。1本取られた。
<お母さん何してるの?>
「おかあさんなにしてるの?」
「ジャガイモの芽を取ってるの。」
「なんで?」
「ジャガイモは生きてて、土に埋めると、ここからにょきにょき芽をだすんや。」
「でも、その芽を猪やら鹿さんやらに食べられたら、ジャガイモは大きくなられへんやろ。」
「だから芽のところに毒をだして食べられへん様にしてるの。」
「シャガイモってすごいね。そうして生きてるんやで。」
「そのいのちを、澪ちゃんやお母さんやひろくんやお父さんはいただいているんやで。」
そのままみていた澪ちゃんが
ジャガイモの皮むきを見て、
「おかあさんジャガイモが寒い寒いって言ってるで。」
01.25.02:08
こども芸術大学 制作文 / 耳あか、ひろくんの歯ブラシ
<耳あか>
「澪の耳の中がさがさ音がする。
シーほら音がする。お母さん聞こえる?」
<ひろくんの歯ブラシ>
「澪ちゃん。ひろくんの歯ブラシもって来てくれる?」
「いや」
「何で? ひろくんがおっぱい飲んでて、お母さん動かれへんねん。早よしなもう寝てしまうから持って来て。」
「いや!1回だけって言ったもん。」
「もう!澪ちゃんの歯ブラシ取りに行くついでやん。持って来てーな」
「いや。だって大変やもん。」
「ほんなら。もういいよ。そんなに嫌やったらいいよ。したくない事しなくていい!」
「あーん、あーん。1回だけって言ったのに、約束したのに…あーんあーん」
………………そうか。
前に1回だけ持ってきてあげるって澪が言うた時、それでいいからお願いって言うたから、澪ちゃんはその約束どおりにしているだけやのに、責められたり怒られたりして悲しいんや。…
「澪ちゃんごめんね。お母さんが悪かったね。」「澪ちゃんとお母さん約束したの忘れてた。ごめんね。許してくれる?」
「…うん。…」
「許してくれてありがとう。」「でも何時もじゃなくていいから、お母さんが大変な時だけでいいから、また歯ブラシ持って来てくれへんかな?」
「いや。」「でも、おしめは持っていってあげるよ。」
「そうか。そうやね。いつもお母さんが何も言わんでも、澪ちゃんが自分で考えてそうしてくれるもんな。ひろの鼻を拭くティッシュも持って来てくれるもんな。何時も助かってるよ。ありがとう。」
01.25.02:06
こども芸術大学 制作文 / 長いはなし
<長いはなし>
「澪ちゃん今日もありがとう。」「おやすみね。」
「あのね、お母さんが澪ちゃんに寂しい思いや悲しい思いをさせてたら教えてね。」
何かを思い出して、悲しそうな様子の澪…
「うん。」「昨日、歯ブラシ持ってくるの1回だけって言ったのに、約束やぶった。」
「ごめんね。」 「澪ちゃんをいじめた。」
「そうやね、ごめんね。澪ちゃんは悪くないのに怒ってごめんね。許してね。」
「許してくれる?」…
…うなずいてくれる澪。
「もう、そんな事がないように気をつけるからね。でもお母さん気をつけてても、また澪ちゃんのこと怒ったりしてしまうかも知れへん。もしまたそういうことがあったら教えてね。」
「澪ちゃんできひん。だって忘れちゃうもん。」 「え、何で?」
「長いと忘れちゃうから。」
「長いお話はー、ハートのゴミ箱にほかしてー、ハートの中にいれたらー、ちいさくちぎって短くして何回も繰り返して書いてそれを澪ちゃんがもらって、お母さんに渡す。…長いお話をどうしたらいいかと思って…。澪ちゃん覚えられへんし…。」
「そっか、すごいこと言うね澪ちゃん。」
------お父さんもお母さんもお話が長いのを、どうしたらいいのか、澪なりに考えたんやなー-------
「今、澪ちゃんが言ったこと日記に書くね。」
「澪ちゃんが言うた言葉とおり書けるなか?そうしたいけどお母さんもすぐ忘れちゃうねん。」
「わかった、今ひろくんがおっぱい離したら、行って書いたらいいねん。」
「そうやね。そうするね。」
01.25.02:05
こども芸術大学 制作文 / 日々のちいさな積み重ねを大切にする
<日々のちいさな積み重ねを大切にする>
手作りの料理、おやつ、パンなどを作る。
こども芸大に雨の日も風の日もがんばって通うという目に見える行為やかたちより、家のこども達がもっと奥で求めているものがあるのだと思う。
そうした事もがんばりすぎると、こども達にはありがた迷惑な状態になりかねない。
こどもは待てない。後でではなくて衝動が起こる今にしか生きていない。
私が気をつけないといけない事は、心に余裕がなくなるほど、忙しくしない事。
忙しいという字は心が亡くなると書くけれど、忙しいと本当にそうなってしまう。
央飛人は私が何かをしている時でも、いつでも「かーたん、どっちかなーしてー」を通してお母さんの自分に対する愛情を確認しているように思う。そんな小さな積重ねの大事さを感じる。
学校や周りの状況に自分たち合わせるのではなく、まず澪と央飛人の関わりと夫婦の会話を一番に、そしてそこで何をしていきたいのかを明確にしていきたい。その上で、自分たちとしてはどう関わりたいかを考えていきたい。
01.25.02:03
こども芸術大学 制作文 / これからこども芸術大学でしたいこと
第3章 これからこども芸術大学でしたいこと
<造形芸術大学の先生から学び、学生さんと動きを連動させる>
創作の時間や講義を学生さんと聴講させてもらったりして、大学の素敵な先生方と、出会わせて頂きました。
とても贅沢で、他では味わえない豊かな時間だったと感謝しています。
2年目はその出会いがますます発展する事を願っています。
私たち母親の中で、それぞれしたいことが芽生えはじめていますが、その事の相談に乗って頂いたり、いろいろ教えて頂いたり、協力して頂ければ、とても嬉しいです。
学生さんとも、何かを一緒に考え、共に学び、動きを連動していければ嬉しいです。
<日本の伝統の衣食住の文化を体験し、昔の日本人の意識に触れる>
縄文文化や日本の文化の様に、日常の暮らしと芸術との境目がなかった時代の生活そのものを体験して、その心や意識のあり方に触れ、様々な面で共に学ぶ事をこども達と体験したいと思っています。
衣について
ギャラリーオーブで韓国の伝統衣装の展示を見た時に、その衣装を身に着けていた人達に思いをはせてみると、こころがとても整っていただろうと感じました。そして死に装束を見たときにも、それを自分のために作った作家さんやその伝統を受け継いでいる人達は死に対しての恐怖心の様なものは少い様に思え、心がとても落ち着いていて穏やかにその時を迎えられる様な、生まれた時のように死も新しい旅立ちと捉えられている様な、祝福にも似た気持ちの現われを感じました。
昔の人達はとても大切に衣を捕らえていた様に思いました。
日本の着物を着る生活を現代のわたし達はしていませんが、もしそうした生活をしていたら、きっと何かが変わって来ると感じました。
こども達と一緒に、綿花を自分達で育てて、綿打ちをし、糸を紡いで、草木で染め、出来れば、機織りをし、布を作ってみたいです。
オーガニックコットンでこども達の制服を作ろうとしてくださっている学生さん達と、そうした事に取り組んでいけそうで、本当に楽しみにしています。
食について
日本の伝統の食文化を見直してみたい…と私は思っています。
例えばお味噌作りや漬物など、発酵食品や保存食を作ってみたいです。お味噌作りは、3月7日に子供たちと一緒に体験させてもらえて、本当に感謝しています。
お味噌の発酵とともに、そうした体験をした事が、こどもたちの中でどの様に発酵していくかも楽しみです。
出来れば、大豆も育てて、来年はそのお豆を使って味噌作りをしてみたいです。
生ごみで堆肥を作る事などにも、子供たちと一緒に取り組み、その土で種からお花や野菜などを育て、それを観察・観賞したり、おいしく頂き、お料理の後出た生ゴミは、また土に返して行く…、そうした小さな循環を体験したいです。
麦を育て、石臼で麦を挽き粉にし、粉をこねてパンをこねて焼く事もこども達としてみたい事です。もし、パン釜も手造り出来れば、最高です。
01.25.01:57
こども芸術大学 制作文 / 日本の伝統文化
<日本の伝統文化を学ぶことで、自分の奥にある感覚を確かめる>
この頃、職員室で遊ぶこども達の姿をよく見かけます。
2時のおかえりの集まりも、なかなか集まりません。
お弁当の片付けをしないで、遊びに行く事もあります。
多くの場合、こども達はするべきことはちゃんと知っていてそうしています。
そんな時子供たちに「~ちゃん、~しようか?」と
この頃そういうシーンに出会うと、私自身よく考えます。
そういう事を主人と話したり、先生方の対応を見ていて探った自分なりの答えは
言われるからでなくて、自分の収まるところ自然にさぐる感覚を身につける事が出来れば、自分から行動出来るんじゃないかと思います。
身が美しいと書いて「躾」というけれど、本来の躾は、<身を正して(収まるところを自ら探り納まって)気持ちの良い感覚をこども達が体験していく事>かと感じます。
千先生の家元の方にお茶を習ったとき、普段はじっとするのが苦手な男の子達も、みんな背筋を伸ばしきちんと正座をしてその時間に向き合いました。
澪が習っている日本舞踊でも、最初にみんな揃って「お稽古お願いします。」と背筋を伸ばし、正しい姿勢でお辞儀をしてその時間に向き合います。
そういうこども達の姿は、傍らで見ていても、とても気持ちが良い事です。
身を正した時の、ある種緊張感と、意識を集中する心地良さを、こども達は感じていると思うのです。
現代の日本では失われてしまった、良き日本人の精神は、お茶やお花、日本舞踊、武道、職人さんの仕事風景、伝統を受け継いだ世界には残っていると思います。
そうした伝統文化から日本人の精神を学ぶ機会をこども達にたくさん持ってもらいたいと思っています。
そうしたような時間をなるべく多くこども達に経験してもらう事で、自分の感覚や行動がブレた時に、「帰るところ」はどこなのか思い出す事が出来るのではないかと感じます。
それはだれが見ていても、見ていなくても同じ態度を保てる様な事にもつながると感じています。そして、『良い』『悪い』という価値判断から行動するのではなく、自分としてどうなのかという自分の感覚に聞いて行動できる様になるんじゃないかと思っています。
例えば、道端にゴミをほかしたりする事も、してはいけない事だからしないのではなく、そういう事は気持ち悪く出来ない…と云った様な感覚が自然と身についてくるのではないかと思うのです。
どこに行っても自分をしっかり持っていて、回りに流されない様な人に、こども達が成長してくれる事を、心から願っています。
01.25.01:55
こども芸術大学 制作文 / おじいちゃん、おばあちゃんとの触れ合い
<おじいちゃん、おばあちゃんとの触れ合いと、生活の知恵を学ぶ>
私は小学生の頃、おじいちゃん、おばあちゃんと暮らす経験をしました。
家の側には、天然の鮎の獲れる愛知川が流れていて、そこに行くまではうっそうとした藪がありました。
おじいちゃんは藪に行っては、アケビや栗を取ってきたり、竹を切って来てそれを裂いて、籠を編んだりしました。竹馬を作ってくれたり、わらじを編んでくれたりもしました。
私はおじいちゃんってすごいな、どうしてそんな事が出来るなかなと思って見ていました。
おばあちゃんも畑仕事が上手で、夏に食べた青い香りのするトマトや瑞々しい胡瓜のおいしさは今でも忘れられません。
桃の木を植え、最初の年はまずくて食べる事が出来なかったのに、おばあちゃんが肥えをやったり、一つひとつ新聞紙でカバーをかけたりして丹念に世話をした事で、何時しかその桃も他では味わえない様な美味しいものになりました。
お手玉なども作ってくれたり、お人形の着物を作ってくれたりもしました。
おばあちゃんは髪を結って着物を着た人の絵を描いてくれて、何でこんな絵が描けるのか、いつも関心して見ていました。
「やっぱり、おばあちゃんってすごいな。」と尊敬していました。
山村で自然の恩恵を活かして暮らす知恵を持つおじいちゃんおばあちゃんから、私は多くのことを学びました。
京都にも昔から大切に引き継がれている、生活の知恵がたくさんあると思います。
そうした生活の知恵をおじいちゃんおばあちゃんから学び、受け継いでいければと思っています。
例えば地元のおばあちゃんに、切干大根の煮物やちりめん山椒、昆布の佃煮など、京のおばんざいを学びたいです。
わらじ作り、竹篭編み、竹のおもちゃづくり、お手玉なども教わり作ってみたいです。
こども達もおじいちゃんおばあちゃんと接する事で、親しみと尊敬の念を持ってもらえたら、とても嬉しいです。
01.25.01:52
こども芸術大学 制作文 / あとがき
あとがき
現代社会に失われた、人と人の心が繋がり、助け合い、安心して自分らしさを発揮し、お互いを生かし合い喜び合える、そんな場をつくるにはどうしたら良いのか…。
こども芸術大学は、こども達や自然との関わりから、そこに参加する一人一人がそうした事を日々考え、行動し学び、実践していく場所だと思います。
こども達の素直な反応が何より、私たち大人にいろいろな事を教えてくれます。
実際に、心の繋がりや互いを尊重したり気遣ったりする気持ちが、この1年の日々の生活の中から培われて、こども達、お母さん達の中でしっかりと形成されている様に思います。
元々わたし達日本人は、おそらく縄文の時代より、この様な意識や感覚を大切にする感性や資質があったと感じています。
この羅針盤の様な自分自身の心のあり方を自分で受け止める力は、現代まで、お祭りや地域毎生活風習といった、季節毎に変化する日常の営みによって保たれていたと思います。
京都と云うロケーションにあって、また、このこども芸術大学の一年の中での行事を通じて、改めてそうした伝統的な生活風習、例えば、こどもの日や桃の節句、お月見、お茶を習わせて頂くといった行事を通じて、自分達の中にある大切な感覚や機能が、再起され強化される様な気がしています。
こども芸術大学の中で、ささやかながらでも、そうした平和な社会が実現するとき、そこで起こっている事々(状況)に出会った人の心に、何らかの共感が起こり、それぞれの中の何かを思い出す事が出来るのではないかと思っています。
また、その様な感覚を持ち帰った人たちが、それぞれ自分自身の場所から、その様な気持ちや感覚の輪を少しずつ広げていく事が出来れば、平和な社会の実現は何時しか可能になると信じています。
もうすぐこども芸大1年になろうとしていますが、今やっと少しずつその「何か」が膨らみ始めたような感じがしています。
それは不思議と、子供たちのおやつに時々作らせて頂いているパンの発酵にも似ている気がします。
こども芸術大学は、その道具と様々な材料と、発酵に必要な最善の環境を私たちに与えてくれていると思います。
その道具である器は、瓜生山の自然と、子供たちが裸足で駆け回れる無垢の木をふんだんに使った広い教室と、キッチンやアトリエなどが整った建物。
最善の『環境』は、私たちの主体性を引き出そうと心を尽くしてくださる先生方やスタッフの皆さんのご努力と取り組みによって醸しだされている自由な雰囲気。
『材料』は、様々なカリキュラムや日々過ごす時間を通して、こども達と私たち母親に起こる学びや知識。
一番の要の『酵母』は、
それを『こねてひとつにするという行為』は、そのひとつひとつが単体で存在するだけで終わらせるのではなく、それぞれを活かし融合させパンとう全く次元の違うものを生み出して行こうとする取り組み。
自分の内側に起こっている感覚を常に見つめ、それが発酵してゆくのをあわてず急がず待ち、タイミングを見極めてそして形成して焼く。
そのどれが欠けることなく整い、初めてみんなの心と体とそして魂の糧にもなるようなおいしいものが出来上がるのだと思います。
こうして縁あって出会うみなさんとも、かぐわしいパンの香りを嗅いだときに感じる様な、あたたかく幸せな気持ちを、こども芸大で共に味わえたらと思います。
2006月3月13日
以上がその内容になります。
長時間のお付き合い、ありがとうございました!