01.23.09:03
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01.25.01:57
こども芸術大学 制作文 / 日本の伝統文化
<日本の伝統文化を学ぶことで、自分の奥にある感覚を確かめる>
この頃、職員室で遊ぶこども達の姿をよく見かけます。
2時のおかえりの集まりも、なかなか集まりません。
お弁当の片付けをしないで、遊びに行く事もあります。
多くの場合、こども達はするべきことはちゃんと知っていてそうしています。
そんな時子供たちに「~ちゃん、~しようか?」と
この頃そういうシーンに出会うと、私自身よく考えます。
そういう事を主人と話したり、先生方の対応を見ていて探った自分なりの答えは
言われるからでなくて、自分の収まるところ自然にさぐる感覚を身につける事が出来れば、自分から行動出来るんじゃないかと思います。
身が美しいと書いて「躾」というけれど、本来の躾は、<身を正して(収まるところを自ら探り納まって)気持ちの良い感覚をこども達が体験していく事>かと感じます。
千先生の家元の方にお茶を習ったとき、普段はじっとするのが苦手な男の子達も、みんな背筋を伸ばしきちんと正座をしてその時間に向き合いました。
澪が習っている日本舞踊でも、最初にみんな揃って「お稽古お願いします。」と背筋を伸ばし、正しい姿勢でお辞儀をしてその時間に向き合います。
そういうこども達の姿は、傍らで見ていても、とても気持ちが良い事です。
身を正した時の、ある種緊張感と、意識を集中する心地良さを、こども達は感じていると思うのです。
現代の日本では失われてしまった、良き日本人の精神は、お茶やお花、日本舞踊、武道、職人さんの仕事風景、伝統を受け継いだ世界には残っていると思います。
そうした伝統文化から日本人の精神を学ぶ機会をこども達にたくさん持ってもらいたいと思っています。
そうしたような時間をなるべく多くこども達に経験してもらう事で、自分の感覚や行動がブレた時に、「帰るところ」はどこなのか思い出す事が出来るのではないかと感じます。
それはだれが見ていても、見ていなくても同じ態度を保てる様な事にもつながると感じています。そして、『良い』『悪い』という価値判断から行動するのではなく、自分としてどうなのかという自分の感覚に聞いて行動できる様になるんじゃないかと思っています。
例えば、道端にゴミをほかしたりする事も、してはいけない事だからしないのではなく、そういう事は気持ち悪く出来ない…と云った様な感覚が自然と身についてくるのではないかと思うのです。
どこに行っても自分をしっかり持っていて、回りに流されない様な人に、こども達が成長してくれる事を、心から願っています。
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