01.23.09:07
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01.25.01:52
こども芸術大学 制作文 / あとがき
あとがき
現代社会に失われた、人と人の心が繋がり、助け合い、安心して自分らしさを発揮し、お互いを生かし合い喜び合える、そんな場をつくるにはどうしたら良いのか…。
こども芸術大学は、こども達や自然との関わりから、そこに参加する一人一人がそうした事を日々考え、行動し学び、実践していく場所だと思います。
こども達の素直な反応が何より、私たち大人にいろいろな事を教えてくれます。
実際に、心の繋がりや互いを尊重したり気遣ったりする気持ちが、この1年の日々の生活の中から培われて、こども達、お母さん達の中でしっかりと形成されている様に思います。
元々わたし達日本人は、おそらく縄文の時代より、この様な意識や感覚を大切にする感性や資質があったと感じています。
この羅針盤の様な自分自身の心のあり方を自分で受け止める力は、現代まで、お祭りや地域毎生活風習といった、季節毎に変化する日常の営みによって保たれていたと思います。
京都と云うロケーションにあって、また、このこども芸術大学の一年の中での行事を通じて、改めてそうした伝統的な生活風習、例えば、こどもの日や桃の節句、お月見、お茶を習わせて頂くといった行事を通じて、自分達の中にある大切な感覚や機能が、再起され強化される様な気がしています。
こども芸術大学の中で、ささやかながらでも、そうした平和な社会が実現するとき、そこで起こっている事々(状況)に出会った人の心に、何らかの共感が起こり、それぞれの中の何かを思い出す事が出来るのではないかと思っています。
また、その様な感覚を持ち帰った人たちが、それぞれ自分自身の場所から、その様な気持ちや感覚の輪を少しずつ広げていく事が出来れば、平和な社会の実現は何時しか可能になると信じています。
もうすぐこども芸大1年になろうとしていますが、今やっと少しずつその「何か」が膨らみ始めたような感じがしています。
それは不思議と、子供たちのおやつに時々作らせて頂いているパンの発酵にも似ている気がします。
こども芸術大学は、その道具と様々な材料と、発酵に必要な最善の環境を私たちに与えてくれていると思います。
その道具である器は、瓜生山の自然と、子供たちが裸足で駆け回れる無垢の木をふんだんに使った広い教室と、キッチンやアトリエなどが整った建物。
最善の『環境』は、私たちの主体性を引き出そうと心を尽くしてくださる先生方やスタッフの皆さんのご努力と取り組みによって醸しだされている自由な雰囲気。
『材料』は、様々なカリキュラムや日々過ごす時間を通して、こども達と私たち母親に起こる学びや知識。
一番の要の『酵母』は、
それを『こねてひとつにするという行為』は、そのひとつひとつが単体で存在するだけで終わらせるのではなく、それぞれを活かし融合させパンとう全く次元の違うものを生み出して行こうとする取り組み。
自分の内側に起こっている感覚を常に見つめ、それが発酵してゆくのをあわてず急がず待ち、タイミングを見極めてそして形成して焼く。
そのどれが欠けることなく整い、初めてみんなの心と体とそして魂の糧にもなるようなおいしいものが出来上がるのだと思います。
こうして縁あって出会うみなさんとも、かぐわしいパンの香りを嗅いだときに感じる様な、あたたかく幸せな気持ちを、こども芸大で共に味わえたらと思います。
2006月3月13日
以上がその内容になります。
長時間のお付き合い、ありがとうございました!
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