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陽・紫空雲舎/ラシクウシャ

ラシクウシャとは、あなたらしく、わたしらしくそんな自然体の人たちの集う場所という意味です。 周りの情報や環境に流されることなく、大人も子供も自分のもともと持っている感覚を信じ、それぞれが安心して自分らしく生きられる、そんな場所を作りたいと思っています。
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01.23.05:54

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  • 01/23/05:54

01.25.02:50

こども芸術大学 制作文 / こどもにとって輝く時間とは?

 


  

<こどもにとって輝く時間とは?>

こどもにとって輝く時間は?どんな環境がこどもにとって良いのか?

私にとっては、虫、土、花、木々、水、光、空、星、動物達、友達や周りの大人と対話して、探検、冒険、興味、憧れ、という自分を駆り立てる<わくわくするような感覚に沿って、目を輝かせて遊んでいる時間>…がそうでした。

いろいろな種類の土や砂を集めてきて、素材を生かし自分で工夫して、何層にもなった、泥団子をよく作りました。それを大きな葉っぱに盛り付けて、丸くきれいに形のそろったお団子を満足いくまで眺めた後、その葉っぱでくるんで切り株の秘密の隠し場所にしまっておくのです。

お母さん達が集まって井戸端会議をしている脇で、私達こどもは家の前の広場で、その様にして自由に土や水や草を採ってきて友達や兄弟で集まって遊んでいたました。

「蟻はお菓子のかすを持ってどこへ行くんだろう?」
「お月様はどうして私についてくるんだろう?」
「夕焼けって本当に綺麗だな!」
「ザリガニって進み方が面白い!」…

自然と自分が集中して向き合うための自由な時間や、それを共有できる友達がいて、大人は見守るだけで介在しない環境が私のこども時代には自然とありました。

そして、人と人があたたかい絆で結ばれ、暮らす環境もありました。

「妹がドブに落ちた」「池にはまった」…ちょっとやんちゃな妹が危ない目にあう度に、私はあわてて大人を呼びに行きました。

お母さんでなくても必ずそばに誰かがいてくれて、助けてくれました。ドブ臭い妹を沸かしたばかりのお風呂に入れてくれるおばちゃんに、こども心にその暖かさを感じました。
妹が夕方暗くなっても遊んでいてなかなか帰って来ず「親を心配させた」と隣のおばちゃんが、妹を外の柱に紐でくくりつけたこともありました。妹をかわいそうに思う気持ちも強かったけど、怒られている理由もちゃんと理解していました。

絵の上手な大きいお姉ちゃんの家の戸をたたき、絵を描いて欲しいと頼みにいったこともあります。そのときの私にとっては憧れの存在でした。

大好きなお兄ちゃんの後をついて公園に行くと、めんこや駒が上手で見とれていました。やり方を教えてもらってやってみると、お兄ちゃんのように上手にはできないけれど、とても楽しかったのを覚えています。

近くの神社の境内が遊び場所になっていて、ポコペンや鬼ごっこ、はないちもんめ、かごめかごめなど、何人か集まると自然と大きい子も小さい子も一緒になってみんなで遊んでいました。

編み物の上手なおばちゃんの家にもよく遊びに行きました。

いろんな機械が置いてあって興味津々で、これ何?これは?という質問にやさしく答えてくれていました。

よく声をかけてくれるおばちゃんの家にこどもだけで遊びに行ってお菓子やお茶をご馳走になったり、お買い物に一緒についていったりもしました。

十五夜のお月見はゴザを敷いて、みんなでお団子を食べお月様を眺めました。普段は夜にそんな風に集まることないので特別な感じがして、わたしたち子供はとても、はしゃいでいました。

おばちゃんたちが落ち葉を掃き集めて焼いていると、なんだかいいにおいがしてきます。落ち葉が灰になると中からホイルに包まれたおいもがでてきます。墨のように焦げていても、中のお芋の色は鮮やかな黄色でほくほくとても美味しかった。

 私は毎日今日はどんなことに出会うのかと、わくわくして生きていました。

 

小学校に入学してまもない頃に私は母に、
「保育園も嫌やった、幼稚園も嫌やった。でも学校はもっと嫌や。」
と言ったそうで、娘のために良いと思って保育園や幼稚園に行かせていいた母には「そんな気持ちだったの?」と、とてもショックだったそうです。

当の本人は全く覚えていなくて、自分がどんな気持ちでそんなことを言ったのかと、母がその話をするたびに思いました。

保育園や幼稚園の先生は優しかったし、友達もたくさんいたし、いじめられたとか、特別嫌な経験はしていないので、何か具体的な問題があったわけではないのです。

しばらく検証してみて、思い当たったことは、わくわくするような感覚を持って目をきらきらさせて自由に遊んでいた時間が輝き過ぎていて、園や学校で過ごす管理された時間と比べると雲泥の差があったという事です。

お遊戯や折り紙、油粘土遊びなど、決まった時間にみんないっせいにやりたくてもやりたくなくても決まったことをする事での<やらされている>という感覚や<出来るか、出来ないか><上手くできているかどうか>で表面的なことで評価される事への違和感もありました。

粘土ひとつとっても、べたべたする感じやにおいなど油粘土は好きではありませんでした。粘土を土の層から自分で見つけて、集めて捏ねてお団子を作っていた時の手の感触の心地良さを知っているからです。
そうした学び場には自分の感覚にフィットした、「衝動を持って、本当にやりたい事をやる」時間がそう多くは無かったのだと思います。


      
       「かえるさん…かわいい。 かえるさん、だいすき!」


こども芸大の制作文のご紹介の場を借りて、今現在のことを重ねさせていただきたいと思います。


ここ八瀬は比叡山の麓、鹿が鳴き、猿がいて、ホタルも飛び交う高野川が流れ「自然との対話が日々できるような環境」があります。
地域のお祭りや行事も盛んで人の心が絆で結ばる清らかな善き土地だと感じます。
今私たちが住んでいる所には深く共感しあえる仲間が次々と集まってきていて「人と人が繋がる、あたたかいぬくもり」の中で、子どもたちを皆で共に育むという環境がここにあります。

ここで日々子どもたちと感動や喜びがいっぱいの「輝く時間」を周りの皆と一緒に味わっています。

子ども達が大人になったとき、そうして蓄積された「輝く時間」は宝物となって「内なる力」となる事と思います。

自分の「内なる力」と繋がっていると、いつも屈託なく素の自分自身でいられて、自分が奥で何を欲しているか、何をしたいのか自分の感覚に聞けるようになると思っています。

本当に心からやりたいことをしていると、「人生そのものが輝く時間の連続!」です。

他に寄らず皆が自分の「内側の力」の源を起点とする、心からやりたいことをするシンプルでしなやかで力強い生きかたが、大人も子どももできるような環境づくりが私たち夫婦のしたいことです。


私は「自分の感覚」を信じ、子どもの頃に培った「内なる力」と繋がり、日々「魂の衝動から行動する」生き方を自分のペースで始めています。

見た目には何も変わったことのないシンプルなことなのですが…
例えばそれはお料理をすること、パンやお菓子を作ること、手作りの石けんを作ること、家のお掃除をすることなど日常の暮らしの中にもちりばめられ、子どもたちとお話する事、一緒に遊ぶ事、会いたい友人との手作りお菓子でのティータイム、お料理を持ち寄ってのパーティ、友人家族の家でのお泊り合宿、畑での野菜やハーブ作りなど全てが串刺しのように一貫しての魂からの私のやりたいことで、言葉を換えれば私の愛の表現です。
八瀬のこんな場所があったらいいなの拠点づくり、八瀬学校の今までになかったような体育館の構想などむくむくとやりたい事が湧いてきます。

こども達と共に「輝く時間の連続」の中に日々居させてもらっている喜びと感謝の気持ちを、このブログで少しでもお伝えできればと思っています。








         
            
         























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