01.23.05:54
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04.23.01:09
子どもとゲームについて話す
子どもが3年生にもなると、大抵DSなどのゲームを持っている。
私は絶対に買わないと決めて子どもたちにもそう伝えている。
みおの同級生の友達が一人、二人とDSを買ってもらい始め、持っていないのは考えの良く似た私のお友達のところと家だけになってしまった。
家にはお父さんが作ったドームがあり、展望台があり、橋があり、ハンモックがあり、段ボールハウスがある…「お家の遊園地」と呼ぶ子ども達のスペースはみんな大好きで、みおが1年生のころから家によく友達が集まって、お家ごっこや動物ごっこ、みんな考えたおんぶおばけごっこなどをして遊んでいるのを、こども達っていろんな発想が面白いなと家の用事をしながらほほえましく見ていた。
春休みも誘いあって何人も家にみおの友達が遊びに来た。
その中の2人がDSを持ってきた。
「ごめん。家ではゲームはなしなの。せっかくみんなが集まったのだから家でしかできない遊びをしてもらいたいの。」と伝えるとがっかりしたようにゲームをしまう。
家でやっていた続きが早速したかったのだと思う。
気持ちはとてもわかるのだけど、”それが家のルールよ”みたいな態度できっぱり言った。
中には「ゲームは面白くないからもうやめた。」と宣言する子もいたりして
へー!と驚いた。その子は冬でも半そでで元気に走り回って遊んでいる。アクティブなのが性に合っているのだと思う。素適!
おやつに抹茶ういろうを作っていると何をしてるの?と子どもたちは興味しんしん…「やってみる?」「うん!」競い合って手伝ってくれる子どもたち。
何か新しいことにチャレンジする子どもたちの目は輝いている。
私はそんな子ども達の姿が好き。
こうやってものを生み出す豊かな時間を共有するのがとても好き。
新学期が始まって、ゲームが大好きなお友達の家によく遊びに行くみお。
私はお友達の家でゲームをさせてもらうことまでは禁じていない。
けれど私がゲームをすることを良く思っていないことを知っているみおは
少し後ろめたそうな感じで、前みたいに何をして遊んだか多くを話してくれなくなった。
ゲームはね、なんでお母さんがキライなのか言おうか?
子ども達に話しかける。
「うん聴きたい。」
二人のこどもたちが耳を傾けてくれる。
それはね…
子どもたちの中には想像の世界が広がっているいるでしょ。
もえぎちゃんもいつもいろんなお話をいっぱいつくっているでしょ。
想像の世界はどこまでも広がっていけるよね。
深い海の底だって、高い山の上だって、宇宙にだって広がって行けちゃうでしょ。
お母さんは子どもには大人にないすごい力があるって思ってるの。
ゲームやテレビは子どもたちの自由な世界をどんどん食べて減らしてしまうの。
ゲームは大人も子どもも面白く感じるように作られているけど、大人が考えた小さな世界なの。その中に閉じ込められて、いつもピコピコピーって頭の中でおとが鳴る感じになって、その世界から離れられなくなるの。
子どもたちにはそれぞれ自分らしいすごい力があるの。
でもゲームをいっぱいすると、頭の中のどこかがみんな一緒になってきてしまうの。
子どもにしかないすごい力が減ってしまってもいい?
「いや!」
子どもたちは真剣な面持ちで聞いてくれて即座にそう答えてくれる。
「ほんとかどうかは別にしてこれはお母さんが思っていること。」と付け加える。
もしゲームがしたかったら、大人になって仕事をしてお給料もらったら買って、いくらでもゲームをしたらいいよ。
ゲームをしていたら会社で嫌なことがあっても忘れることができるものね。
でもゲームをしないでどうやったら嫌な思いをしなくてすむか考えることもできる。
ゲームや何かで嫌なことを忘れるとまた同じことを繰り返して嫌な思いをする。
また忘れるためにゲームや何かをする…
ちゃんと考えて嫌な事が無くなる様にしていくのがいいか、ゲームや何かをして、嫌なこと忘れて、また同じことを繰り返すのがいいか、どっちがいいかな?
「考えるほう」
と二人は答える。
今、娯楽とされるものの大抵のしくみはそうだと思う。
自分らしい感覚を麻痺させ、楽なような楽しいような錯覚を味わう為のもの。
お金をどんどん落す仕組み。
自分で物を生み出すこと、人と心が触れ合う事、自分らしい好きなことをすること、自然の美しさにうっとりすること…
日々のささやかな感動の連続の日常がゲームよりもっと味わい豊かだよ。
自分らしい人生を歩むことは、ゲームの中のどんな冒険より面白いよ!
勇気をもって自分の感覚に忠実に生きると、ワンダフル!ビックリするような奇跡がいっぱい起こるのだよ!
これがゲームにハマる子どもたちへ、私が日々感じている事とささやかなメッセージです!
私は絶対に買わないと決めて子どもたちにもそう伝えている。
みおの同級生の友達が一人、二人とDSを買ってもらい始め、持っていないのは考えの良く似た私のお友達のところと家だけになってしまった。
家にはお父さんが作ったドームがあり、展望台があり、橋があり、ハンモックがあり、段ボールハウスがある…「お家の遊園地」と呼ぶ子ども達のスペースはみんな大好きで、みおが1年生のころから家によく友達が集まって、お家ごっこや動物ごっこ、みんな考えたおんぶおばけごっこなどをして遊んでいるのを、こども達っていろんな発想が面白いなと家の用事をしながらほほえましく見ていた。
春休みも誘いあって何人も家にみおの友達が遊びに来た。
その中の2人がDSを持ってきた。
「ごめん。家ではゲームはなしなの。せっかくみんなが集まったのだから家でしかできない遊びをしてもらいたいの。」と伝えるとがっかりしたようにゲームをしまう。
家でやっていた続きが早速したかったのだと思う。
気持ちはとてもわかるのだけど、”それが家のルールよ”みたいな態度できっぱり言った。
中には「ゲームは面白くないからもうやめた。」と宣言する子もいたりして
へー!と驚いた。その子は冬でも半そでで元気に走り回って遊んでいる。アクティブなのが性に合っているのだと思う。素適!
おやつに抹茶ういろうを作っていると何をしてるの?と子どもたちは興味しんしん…「やってみる?」「うん!」競い合って手伝ってくれる子どもたち。
何か新しいことにチャレンジする子どもたちの目は輝いている。
私はそんな子ども達の姿が好き。
こうやってものを生み出す豊かな時間を共有するのがとても好き。
新学期が始まって、ゲームが大好きなお友達の家によく遊びに行くみお。
私はお友達の家でゲームをさせてもらうことまでは禁じていない。
けれど私がゲームをすることを良く思っていないことを知っているみおは
少し後ろめたそうな感じで、前みたいに何をして遊んだか多くを話してくれなくなった。
ゲームはね、なんでお母さんがキライなのか言おうか?
子ども達に話しかける。
「うん聴きたい。」
二人のこどもたちが耳を傾けてくれる。
それはね…
子どもたちの中には想像の世界が広がっているいるでしょ。
もえぎちゃんもいつもいろんなお話をいっぱいつくっているでしょ。
想像の世界はどこまでも広がっていけるよね。
深い海の底だって、高い山の上だって、宇宙にだって広がって行けちゃうでしょ。
お母さんは子どもには大人にないすごい力があるって思ってるの。
ゲームやテレビは子どもたちの自由な世界をどんどん食べて減らしてしまうの。
ゲームは大人も子どもも面白く感じるように作られているけど、大人が考えた小さな世界なの。その中に閉じ込められて、いつもピコピコピーって頭の中でおとが鳴る感じになって、その世界から離れられなくなるの。
子どもたちにはそれぞれ自分らしいすごい力があるの。
でもゲームをいっぱいすると、頭の中のどこかがみんな一緒になってきてしまうの。
子どもにしかないすごい力が減ってしまってもいい?
「いや!」
子どもたちは真剣な面持ちで聞いてくれて即座にそう答えてくれる。
「ほんとかどうかは別にしてこれはお母さんが思っていること。」と付け加える。
もしゲームがしたかったら、大人になって仕事をしてお給料もらったら買って、いくらでもゲームをしたらいいよ。
ゲームをしていたら会社で嫌なことがあっても忘れることができるものね。
でもゲームをしないでどうやったら嫌な思いをしなくてすむか考えることもできる。
ゲームや何かで嫌なことを忘れるとまた同じことを繰り返して嫌な思いをする。
また忘れるためにゲームや何かをする…
ちゃんと考えて嫌な事が無くなる様にしていくのがいいか、ゲームや何かをして、嫌なこと忘れて、また同じことを繰り返すのがいいか、どっちがいいかな?
「考えるほう」
と二人は答える。
今、娯楽とされるものの大抵のしくみはそうだと思う。
自分らしい感覚を麻痺させ、楽なような楽しいような錯覚を味わう為のもの。
お金をどんどん落す仕組み。
自分で物を生み出すこと、人と心が触れ合う事、自分らしい好きなことをすること、自然の美しさにうっとりすること…
日々のささやかな感動の連続の日常がゲームよりもっと味わい豊かだよ。
自分らしい人生を歩むことは、ゲームの中のどんな冒険より面白いよ!
勇気をもって自分の感覚に忠実に生きると、ワンダフル!ビックリするような奇跡がいっぱい起こるのだよ!
これがゲームにハマる子どもたちへ、私が日々感じている事とささやかなメッセージです!
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