02.03.00:00
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04.04.01:42
お味噌を送りたい
原発で被爆しながら命がけで作業してる人たち、原発から遠くない被災地で非難生活をおくられている方々に味噌を(できれば樽で)送りたい!
味噌(特に3年以上熟成した八丁味噌)は放射能から体を守ってくれる働きがあるそうなのです。
長崎に原子力爆弾が投下されたときに、爆心地から1.4キロ離れた病院で被爆者さんたちを診られていた秋月辰一郎先生が、その後、自分の食体験などから、『食物と体質』の要は『味噌』であると唱えられています。
1986年にチェルノブイリ原発事故が起きた時、 秋月先生のレポート『長崎原爆記』の英訳が西欧で広まり、味噌の出荷量も爆発的に伸びたそうです。
それまで海外の味噌出荷量は約2トンそこそこ。
しかし、チェルノブイリと秋月先生のレポート以降は年間14トンまで出荷量が増加したそうです。
ただ、主人の仕事が3月から始まり、1月2月はお給料がゼロだったので、やりくりが苦しい時です。
日々の食材やデリバリーしているパンなどの材料を買うだけで精いっぱい。
でも頑張って少しぐらいはなんとかしたい。
宜しければ、どなたか一緒に味噌を送りませんか?
放射能を被爆した、病院の医師、スタッフ、患者みな後遺症にならなかった、秋月博士(医師)の対策は、味噌の他、玄米、海藻、南瓜、自然塩などを積極的に摂り、砂糖やお菓子を禁止したところ、全員生き残ったそうです。
味噌(特に3年以上熟成した八丁味噌)は放射能から体を守ってくれる働きがあるそうなのです。
長崎に原子力爆弾が投下されたときに、爆心地から1.4キロ離れた病院で被爆者さんたちを診られていた秋月辰一郎先生が、その後、自分の食体験などから、『食物と体質』の要は『味噌』であると唱えられています。
1986年にチェルノブイリ原発事故が起きた時、 秋月先生のレポート『長崎原爆記』の英訳が西欧で広まり、味噌の出荷量も爆発的に伸びたそうです。
それまで海外の味噌出荷量は約2トンそこそこ。
しかし、チェルノブイリと秋月先生のレポート以降は年間14トンまで出荷量が増加したそうです。
ただ、主人の仕事が3月から始まり、1月2月はお給料がゼロだったので、やりくりが苦しい時です。
日々の食材やデリバリーしているパンなどの材料を買うだけで精いっぱい。
でも頑張って少しぐらいはなんとかしたい。
宜しければ、どなたか一緒に味噌を送りませんか?
放射能を被爆した、病院の医師、スタッフ、患者みな後遺症にならなかった、秋月博士(医師)の対策は、味噌の他、玄米、海藻、南瓜、自然塩などを積極的に摂り、砂糖やお菓子を禁止したところ、全員生き残ったそうです。
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