01.23.05:51
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03.23.23:29
ガイヤ(地母神)の意識
広島、長崎の原爆、水俣など工場排水による汚染…
生き物が人が住めなくなってしまった環境…
でもそこに生まれる汚染物質を食べて浄化してくれる細菌たち…
私たちを生かしてくれている、母なる地球の愛を感じずにはいられません。
【日本での放射能消失の事実】
放射能、放射性物質が短期間で消滅した事例として挙げられるのが、日本の広島、長崎における原子爆弾被爆後の状況です。
原子爆弾を製造したアメリカの物理学者の多くは、被爆地は50~100年の間不毛の地と化し、植物は一切生息できないと予測していましたが、広島、長崎では半年後には雑草が生えだし、その数ヵ月後には草木が生えて花が咲き、木の芽が出て、一年後には放射能、放射性物質のレベルが激減し、人々の生活が可能になり、その時点の広島ではすでに20万人が爆心地を含む被爆地で生活していたのであります。
進駐軍はこの事実に驚き、調査のために科学者を送り込みましたが、ガイガーカウンターによる測定においても、すでに放射能は消えていたのです。
高嶋博士は「広島の土壌内の微生物および空中から運ばれる微生物、耐性放射性菌)が、放射能を気質として捉え、代と交代、置換と交換を行って放射能を分解消失したのである」と言われています。
この放射能消失の事実は公知のものですが、核実験が行われたネバダ砂漠や核事故が起きたチェルノブイリでは放射能、放射性物質の顕著な減少は見られない(ただし、最近、チェルノブイリの南に位置するキエフ周辺の放射能、放射性物質が微生物の働きによって非放射性核種に転換された事実を確認したとの実験例が公表されています。
キエフ・シェフチェンコ大学、V Iヴィソツキー教授他3名)のに、なぜ広島、長崎においてこのような事実が現出したのかは一般的には未だ認知されていませんが、多くの学者によって、広島、長崎の土壌中の微生物によって、放射能、放射性物質の分解消失が起きたのではないかと推測されています。
(高橋良二著『ミクロ世界の物理学-生命・常温核融合・原子転換』)
素敵な宇宙船地球号より
http://www.tv-asahi.co.jp/earth/contents/osarai/0539/
熊本県水俣市。その庭先にあたる水俣湾は、1956年、世界最大の水銀公害といわれる水俣病が発生し、悲劇の海と化しました。
そして1997年、ようやく水銀値が環境省の基準値を下回り、41年ぶりに県の安全宣言がなされたのです。
水中カメラマン・尾崎たまきさんは世界中の海と生き物たちを撮り続けています。
その一方でこだわり続けているのが、ふるさと熊本の海。
水俣湾には100回以上潜ってきました。
もぐり始めたのは13年前、まだ「死の海」と呼ばれていたその頃、海は汚染魚を封じ込める網で仕切られ、漁師も立ち入れない禁断の海でした。
悪い印象の海を想像して潜った尾崎さんは、驚きました。
そこにはたくさんの生き物たちが溢れる楽園だったのです。
「死の海で生き延びてきた生き物が命をつないできている」その感動を伝えたい、そんな思いで尾崎さんは潜り続けています。
水俣の海はいったいどのように回復してきたのでしょうか。
汚染の原因はチッソ工場の排水に含まれるメチル水銀でした。
水俣湾には36年間、150トンとも言われるメチル水銀が流されていたのです。
多くの命を奪った水銀はどうなったのでしょうか。
県は、湾内に堆積した25PPM 以上の高濃度の水銀ヘドロを14年かけて取り除き埋め立てたのです。
では残りの水銀はどうなったのでしょうか。
水俣湾の研究者である中村先生は、過酷な環境に適応して生きる細菌の中には水銀に耐えるものもあるはずと考え、ヘドロを採取し細菌を探し続けていました。
1983年、水俣湾の海底で独自に進化した驚異の細菌を発見。
水銀に耐えるだけでなく、分解、帰化させる能力を持っていました。
水銀耐性菌の一つ、わずか1ミクロンほどのシュードモナス菌は、自分たちの生存に不都合な水銀そのものを食べてしまうのです。
そして、そのメチル水銀を、金属水銀とメタンガスに分解、吐き出します。
分解されてできた金属水銀はやがて気化し、自然の水銀サイクルの中に組み込まれていくのです。
さらに驚くのはこの細菌はまったく違う種類の違う他の細菌にもコピーして伝達することができるのです。
海の中では莫大な数の細菌たちがもくもくと水銀を分解し、海のお掃除をしていたのです。
そして役割を終えた耐性菌はその能力の元となる遺伝子を捨て去り、またもとの普通の菌に戻ります。
自然の浄化のメカニズムは神秘そのものなのです。
尾崎さんは6年前から海のいのちを糧に生きる人たちにもカメラを向け始めました。
長く海から引き離され、また戻ってきた漁師たちです。
人が破壊した死の海をみたからこそ、この海のかけがえのなさを知る人たちです。
「漁師さんや生き物、この海の変化を長い目で見続けていきたい」と尾崎さんは言います。
水俣病との闘いは終わっていません。
人の絆やミクロの生命、そんな見えない力と一緒に海の再生はまだ続いていくのです。
でもその神秘な力があったとしても私たちが自らの身を滅ぼすような
選択を続けていてはしかたありません。
私たちは今回の震災での原発の事故により、安全な居場所や食べ物を失い怒りと悲しみの経験をまた新たにしています。
その感情の波を憤らせず声を挙げ、未来を明るい方向にしていく選択をする為に必要なエネルギーにできたら…
私たちの意識が変われば、原子力に変わるエコで安全なエネルギーは私たちのすぐそばにあります。
是非田中優さんのお話を聴いて下さい。
未来に希望が湧いてきます!
生き物が人が住めなくなってしまった環境…
でもそこに生まれる汚染物質を食べて浄化してくれる細菌たち…
私たちを生かしてくれている、母なる地球の愛を感じずにはいられません。
【日本での放射能消失の事実】
放射能、放射性物質が短期間で消滅した事例として挙げられるのが、日本の広島、長崎における原子爆弾被爆後の状況です。
原子爆弾を製造したアメリカの物理学者の多くは、被爆地は50~100年の間不毛の地と化し、植物は一切生息できないと予測していましたが、広島、長崎では半年後には雑草が生えだし、その数ヵ月後には草木が生えて花が咲き、木の芽が出て、一年後には放射能、放射性物質のレベルが激減し、人々の生活が可能になり、その時点の広島ではすでに20万人が爆心地を含む被爆地で生活していたのであります。
進駐軍はこの事実に驚き、調査のために科学者を送り込みましたが、ガイガーカウンターによる測定においても、すでに放射能は消えていたのです。
高嶋博士は「広島の土壌内の微生物および空中から運ばれる微生物、耐性放射性菌)が、放射能を気質として捉え、代と交代、置換と交換を行って放射能を分解消失したのである」と言われています。
この放射能消失の事実は公知のものですが、核実験が行われたネバダ砂漠や核事故が起きたチェルノブイリでは放射能、放射性物質の顕著な減少は見られない(ただし、最近、チェルノブイリの南に位置するキエフ周辺の放射能、放射性物質が微生物の働きによって非放射性核種に転換された事実を確認したとの実験例が公表されています。
キエフ・シェフチェンコ大学、V Iヴィソツキー教授他3名)のに、なぜ広島、長崎においてこのような事実が現出したのかは一般的には未だ認知されていませんが、多くの学者によって、広島、長崎の土壌中の微生物によって、放射能、放射性物質の分解消失が起きたのではないかと推測されています。
(高橋良二著『ミクロ世界の物理学-生命・常温核融合・原子転換』)
素敵な宇宙船地球号より
http://www.tv-asahi.co.jp/earth/contents/osarai/0539/
熊本県水俣市。その庭先にあたる水俣湾は、1956年、世界最大の水銀公害といわれる水俣病が発生し、悲劇の海と化しました。
そして1997年、ようやく水銀値が環境省の基準値を下回り、41年ぶりに県の安全宣言がなされたのです。
水中カメラマン・尾崎たまきさんは世界中の海と生き物たちを撮り続けています。
その一方でこだわり続けているのが、ふるさと熊本の海。
水俣湾には100回以上潜ってきました。
もぐり始めたのは13年前、まだ「死の海」と呼ばれていたその頃、海は汚染魚を封じ込める網で仕切られ、漁師も立ち入れない禁断の海でした。
悪い印象の海を想像して潜った尾崎さんは、驚きました。
そこにはたくさんの生き物たちが溢れる楽園だったのです。
「死の海で生き延びてきた生き物が命をつないできている」その感動を伝えたい、そんな思いで尾崎さんは潜り続けています。
水俣の海はいったいどのように回復してきたのでしょうか。
汚染の原因はチッソ工場の排水に含まれるメチル水銀でした。
水俣湾には36年間、150トンとも言われるメチル水銀が流されていたのです。
多くの命を奪った水銀はどうなったのでしょうか。
県は、湾内に堆積した25PPM 以上の高濃度の水銀ヘドロを14年かけて取り除き埋め立てたのです。
では残りの水銀はどうなったのでしょうか。
水俣湾の研究者である中村先生は、過酷な環境に適応して生きる細菌の中には水銀に耐えるものもあるはずと考え、ヘドロを採取し細菌を探し続けていました。
1983年、水俣湾の海底で独自に進化した驚異の細菌を発見。
水銀に耐えるだけでなく、分解、帰化させる能力を持っていました。
水銀耐性菌の一つ、わずか1ミクロンほどのシュードモナス菌は、自分たちの生存に不都合な水銀そのものを食べてしまうのです。
そして、そのメチル水銀を、金属水銀とメタンガスに分解、吐き出します。
分解されてできた金属水銀はやがて気化し、自然の水銀サイクルの中に組み込まれていくのです。
さらに驚くのはこの細菌はまったく違う種類の違う他の細菌にもコピーして伝達することができるのです。
海の中では莫大な数の細菌たちがもくもくと水銀を分解し、海のお掃除をしていたのです。
そして役割を終えた耐性菌はその能力の元となる遺伝子を捨て去り、またもとの普通の菌に戻ります。
自然の浄化のメカニズムは神秘そのものなのです。
尾崎さんは6年前から海のいのちを糧に生きる人たちにもカメラを向け始めました。
長く海から引き離され、また戻ってきた漁師たちです。
人が破壊した死の海をみたからこそ、この海のかけがえのなさを知る人たちです。
「漁師さんや生き物、この海の変化を長い目で見続けていきたい」と尾崎さんは言います。
水俣病との闘いは終わっていません。
人の絆やミクロの生命、そんな見えない力と一緒に海の再生はまだ続いていくのです。
でもその神秘な力があったとしても私たちが自らの身を滅ぼすような
選択を続けていてはしかたありません。
私たちは今回の震災での原発の事故により、安全な居場所や食べ物を失い怒りと悲しみの経験をまた新たにしています。
その感情の波を憤らせず声を挙げ、未来を明るい方向にしていく選択をする為に必要なエネルギーにできたら…
私たちの意識が変われば、原子力に変わるエコで安全なエネルギーは私たちのすぐそばにあります。
是非田中優さんのお話を聴いて下さい。
未来に希望が湧いてきます!
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