01.23.05:54
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03.24.10:28
浜岡原発は止められる
http://greenerw.exblog.jp/15689015/
小澤祥司さんブログより転載
小澤祥司 おざわ・しょうじ
環境ジャーナリスト/環境教育コーディネーター 季刊ソーラーシステム・エディター 日本大学生物資源科学部講師
静岡県生まれ。田んぼと茶畑に囲まれた田園地帯で育つ。学生時代は海をフィールドに、現在は東京郊外の里山をフィールドに活動。執筆・研究テーマは、生物多様性保全、再生可能エネルギー、環境エネルギー政策、持続可能な地域社会、環境保全活動や企業の社会的責任(CSR)など。自宅には、3kWの太陽光発電、240リットルの太陽熱温水器とペレットストーブを導入。日本太陽エネルギー学会、西多摩自然フォーラム、トウキョウサンショウウオ研究会、ペレットクラブ、各会員
浜岡原発は止められる
静岡市で脱原発の活動を続けるグループが、今回の東北関東大震災で危機的な状況に陥っている福島第一原発以上に、危険な場所に立地している浜岡原発の運転停止を求めてネット署名を集めたところ、3日間で2万7000もの賛同があった。そのことをツイッターで紹介したら「浜岡の代替案はあるのか」というリプライが来た。
代替案というのは、短〜長期的にいくつかの段階に分けて考えなくてはならないが、短期的に見ても、浜岡原発を今すぐ止めてもなんら問題はないとブログ氏は考える。中部電力の資料によれば、電力量構成比に占める原子力の割合は14%程度(09年度)で、もともと東京電力(28%)や関西電力(45%)に比べ小さい。設備容量でいえば、全体の11%である。
中部電力管内のピーク電力は近年最も大きいのは08年の2821万kWだが、2009年は冷夏と不況の影響で2433万kWである。中部電力は火力発電だけで2400万kWの設備容量を持ち、水力発電と合わせると2500万kWあるので、2009年ピークであれば原発なしでもぎりぎり何とか乗り切れることになる。08年のピークであっても、夏期に一時的に供給不足が生じるおそれがあるということで、この時期の徹底的な省エネと、工場の輪番操業停止(休業)などで当面はしのげるはずだ。
数年単位では、天然ガス焚き発電設備を導入するのがいいだろう。既存火力発電所内か新設で300~400万kW分を増設、並行して事業所単位で、数十~数百kWのガスエンジン・ガスタービン発電を、できればコージェネレーションシステムとして導入する。100kWの設備を1万基導入すれば100万kW。もちろん、これではCO2排出が増えてしまう可能性がある。本質的には、エネルギーシステムのシフトを考える必要があるのだが、そのことについてはまたこのあと書く。
それでも1〜2年間は夏場に地域的な停電が起こることはありうると思う。暑い夏にエアコンを使えないのはつらいかもしれない。しかし浜岡原発は、近い将来間違いなく発生する東海地震の想定震源域の中心に立地する。東海地震では大規模な津波発生も予想されており、遠浅の遠州灘の海岸に立地する同原発への被害は福島第一以上と考えられる。破滅的な原発災害を受けるよりは、多少不自由でもそれを耐え、原発に頼らない安心できる社会を築き直した方がずっといいと思うのだが。
まず止めよう。それから議論しよう。今中部電力管内の人たちはその準備ができていると思う。
中部電力にとっても、浜岡原発は大きなリスクです。安全対策にこれからどれだけコストがかかるか見当もつきません。大事故が起これば会社が潰れます。もはやお荷物以外の何者でもないでしょう。今のうちにやめておいた方がいい。営利企業ならメンツは捨て、実利を取ることが大事だと思います(赤字部分3月24日加筆)。
“原発後”の世界へ向けて その2
福島第一原発では、危機的な状況がまだ続いています。「その1」で書いたように、避難地域の周辺でも、最悪の場合を想定して集団避難するところが出てきました。正確な情報を出さずただ安全というばかりの国はもはや何の頼りにもならない状況で、自治体が自主的に判断せざるを得ない状況になっています。それを受け入れる自治体もまたあり、図らずも上意下達・先例主義が崩れ、新しい自治が始まるのかもしれないとも思い始めています。もちろん状況は切迫しています。病院や養護老人ホームのような施設では避難が難しく、また避難地域に「火事場泥棒」が出没しているなど許し難い事態も発生しています。とまれ、切迫した状況の中で、地域は情報や支援がない中ぎりぎりの判断を迫られています。国家とは、平時は統治し非常時は見捨てるものなのだと思わずにはいられません。
戦後のエネルギー体制と戦前の軍国体制はよく似ています。戦前の軍国体制は無謀な戦争に突き進み、戦後のエネルギー体制は危険な原子力政策を推進しました。そしてどちらも破局を迎えました。実は、敗戦で解体され出直したはずの軍事体制の中で、電力体制だけは生き残ったのです。
沖縄電力を除く9電力の地域独占は、日中戦争さなかの1938年に電力管理法・日本発送電会社法が成立、全国の発電会社と送電会社を一本化し「日本発送電会社」という国策会社が誕生したことに始まります(あまり知られていないことですが、それまでは電力の売買は基本的に自由でした)。41年には配電会社が地域ごとに9社に統合されました。電力管理法によって設けられた電気庁が電力供給計画をつくり販売価格を決め、それにしたがって日本発送電と地域ごとに縦割りにされた9配電会社が事業を行うというしくみでした。こうして電力、エネルギーは完全に国家(実質的には軍)の管理化におかれ、戦時体制下に組み込まれました。
敗戦後独占企業であった日本発送電は解体され、配電会社の地域割りを元に民営化された9電力会社が発電から配電までを一貫して行う地域独占体制に変わりました。一方、電気庁はその後電力局となって逓信省、軍需省、戦後には商工省、通商産業省と所管が移り、73年に誕生した資源エネルギー庁へと引き継がれています。このように体制や名称は変わりましたが、エネルギー政策を決定し、それを実行する一連のプロセスはいまだ戦時体制を引きずっているとしか思えません。情報(戦況)を隠し、安全と恩恵(戦果)を強調する──今回の福島第一原発の事故に至るプロセスを見るとつくづくそう思います。
この大きな不幸をきっかけに、私たちはエネルギー政策の真の民主化を目指さなければなりません。戦後電力体制の象徴とも言える東京電力の解体が現実的なものになってきた今、その瓦礫の中から電力体制の「戦後」を築き上げる必要があると思っています。まずは制御が利かず利権・隠蔽主義を生みやすい巨大な電力システムから、分散型で効率のよい民主的な「コミュニティエネルギーシステム」への転換を進めましょう。
“原発後”の世界に向けて その3
■小規模分散型システムに抵抗してきた電力業界
首都圏の計画停電もが今夏のみならず、今冬も続くということです。ようやく東電は火力発電所の状況を公表しました。原子力発電のバックアップとして用意されている火力発電と水力発電の設備容量は、フル操業すれば原発なしでもほぼ電力需要をまかなえるほどあります。しかし、今回はその一部が地震や津波で損壊しているということなので、残念ながら時期によっては不足するおそれがあるのは事実なのでしょう。しかし、この時期に中期的な停電の可能性まで言及するのは、原発延命のための一種の脅しのように思えてなりません。問題は夏場と冬場の電力需要ピークに発電容量が足りなくなることで、そのしのぎ方をとりあえず考える必要はありますし、数か月〜1年間は何かと不自由するにしても、小回りが利き設置に時間もかからないガスタービン発電機を至急導入すればいいと思います。しかしそうすると設備容量が足りてしまう、つまり原発不要論に結びつくことを彼らは怖れているのでしょう。
電力会社は「電気を大切に」といいながら、電気を大量に使わせる“オール電化”を進めてきました。それが結果的に夏期と冬期の電力ピークを生み、停電の可能性を高める原因となっています。
電力業界は電力自由化にも強硬に反対し、結局完全自由化は見送られました。かつてマイクログリッドというシステムが注目されたときも、この導入・普及に抵抗しました。マイクログリッドとは、小型~中型の発電機や燃料電池・太陽光・風力など、地域の分散型電源をネットワーク化しITで制御、ナショナルグリッド(国家あるいは電力会社レベル送配電網)のマイクロ版を構築する考えです。2000年代の中ごろNEDOの実証実験が行われましたが、いずれも中途半端なまま、事実上失敗に終わりました。
マイクログリッドの弱点は、バックアップにあります。再生可能エネルギーのような不安定電源を抱えたり、点検や故障などもあったりして、一時的にどうしても電力容量が足りない場合、ナショナルグリッドから、あるいはナショナルグリッドを経由してのバックアップを受ける必要があります。先の実証実験では、電力会社はマイクログリッドの自社電源への接続を認めず、独立で運用せざるを得なかったり、別々の発電所をネットでつなぎ、発電容量と需要を仮想的に運用したりするしかありませんでした。当時電力の自由化論議が進んでおり、マイクログリッドが進むことで市場を奪われることを怖れた電力会社が導入に抵抗した、卑近な言葉でいえば邪魔をした、とブログ子は見ています。マイクログリッド熱はその後急速に冷めました。電力会社としてはしてやったりだったでしょう。
電力市場も受電容量50kWまでは自由化されたので、学校や事業所、公共施設に電力を売る事業が出てきてもいいものですが、これが進みません。設備コストの問題に加え、バックアップ時には電力会社から割高な電力を買わなければならないことも理由になっています。
■大規模集中型電力システムの脆弱さ
原発では原子炉内で核分裂反応を制御しながら、約300℃で水を熱し、蒸気を発生させます。その蒸気をタービンに吹き付け、復水器で蒸気を冷却して水に戻します。タービンの回転を発電機に伝えて電気を作っているわけです。核分裂を熱源にしてはいますがやっていることは古典的なランキンサイクル発電で、発電効率はカルノー効率の限界から最大35%程度です。発生した熱エネルギーの過半は大量の温排水となって海を温めています。
原子力の魅力、いや魔力は、重量当たりにして天然ガスや石油の5〜6万倍にも及ぶその膨大なエネルギー密度にあります。しかしエネルギー密度が高ければ高いほどそれが暴発したときの被害は大きくなります。そのことを今回の福島第一原発事故で私たちはまざまざと思い知らされることになりました。
よく再生可能エネルギーを否定する人たちは、不安定だ、お天気まかせで使えないといいますが、原子力は暴走すれば手がつけられなくなり破滅をもたらします。それならば、使いにくい再生可能エネルギーをうまく使えるように工夫すればいいだけの話で、原子力を推進するための悪質な方便に過ぎません。再生可能エネルギーに効率のよいガス焚きや石油焚きのタービン・エンジン発電機を組み合わせ、需要と再生可能エネルギーの発電状況に合わせてこまめに追随運転していくことは、現在の技術ではそれほど難しいことではありません。事実デンマークでは発電電力量の20%が風力からのものです。平均ですから時間帯によってはもっと高くなるわけです。同国では出力一定で運転する石炭火力をベースに、小回りの利く火力電源を組み合わせ、天候予測と需要予測に応じて追随運転させて、需給をマッチングさせています。実は日本の電力会社も需要に合わせてこうしたこまめな運用を、原発をベースにしながらバックアップの火力発電を使って行っているのです。その技術には十分に誇るべきものがあると思っています。
しかし、大規模システムに頼っていると、今回のように発電所のある地域が大規模に被災した場合、一気に電力不足に陥ります。需要に対して発電容量が足りなくなると、供給地域全体が一斉停電になるおそれがあります。しかし、分散型電源やマイクログリッドのような分散型電力システムの導入が進んでいれば、少なくともここまで混乱することはなかったかもしれません。公共施設や事業所、学校単位でシステムを持っていれば、停電の間も照明や通信機能などもある程度維持できたはずです。
しかも大規模システムの欠点は、エネルギー効率が極めて悪いことです。先ほど書いたように、原子力はあんな危険なものを燃料にしながら熱の3分の2を捨てているのですから。最も効率のよいのは、ガスタービンの冷却熱からさらに蒸気を作り蒸気タービンを回すコンバインドサイクル(CC)という発電システムですが、それでも45~50%程度。全体を平均して40%未満で、送電・変電時のロスを考えると電力として需用者に届くのは、投入エネルギーの3分の1だと考えればいいでしょう。電力とは、これほどエネルギーを浪費しながら送られてくるものなのです。ここに今後のエネルギーシステムを考えるカギがあるので、このことについては、後で詳しく説明します。
その2で書いたように、電力行政と電力会社は一蓮托生です。最近、資源エネルギー庁長官が東京電力に顧問で天下りましたが、逆に電力会社から資源エネ庁への出向も当然あるわけで、彼らは一体的に電力利権を牛耳っています。その利権を守るために政治家も使えば御用学者、御用タレントも使うわけです。原発を賛美していたこれらの御用学者や御用タレントが、今後どういう言動をするのか、注意深く見ていたいと思います。
“原発後”の世界に向けて その4
■2050年までに自然エネルギー100%の日本を
原子力資料情報室のページに「なぜ『脱原発』か」と題する共同代表の西尾漠さんの文章が掲載されています。2000年に書かれた文章とのことですが、今回の事態は起こるべくして起こったことだと今さらながら痛感すると同時に、こうした警告に耳を貸そうとせず今回の事態を招いた政府・電力業界にあらためて強い怒りを覚えました。
「なぜ『脱原発』か」
http://www.cnic.jp/modules/about/article.php?id=15
2005年に、藤井石根明治大学名誉教授が座長になり『2050年 自然エネルギー100%』(フォーラム平和・人権・環境編、時潮社刊)という本をまとめました。先の西尾漠さんやブログ子(小澤)も共同執筆に加わりました。この本の中では、タイトル通り2050年までに原子力も化石燃料も使わないで、国内で得られる再生可能(自然)エネルギーだけでまかなえる社会をつくる、という目標の下、風力・水力・太陽光(熱)・バイオマスなどの再生可能エネルギーの利用可能性を、専門家の皆さんとともに議論し、シミュレーションしました。原発に関しては設計寿命が来たものから順次廃炉し2030年に全廃、さらに化石エネルギーからも2050年までには脱却するというシナリオです。結論から言えば、それは可能であるということになりました。もちろん人口の減少、ということも加味してあります。ただそれ以上に大きいのが、エネルギー効率を高め、投入エネルギー(一次エネルギー)を大幅に減らすということです。
■原発のない未来を描く
2003年に『コミュニティエネルギーの時代へ』(岩波書店)という本を書くために、ドイツとデンマークを訪れました。いずれも風力発電を始め再生可能エネルギーの導入で先進的な国です。ドイツ南部のフライブルクは、「ソーラーシティ」という別名を戴くほど太陽エネルギーの利用やビジネスがすでに盛んでした。フライブルク市の環境部長にインタビューすると「この町ではわれわれがやることはあまりない。なんでも市民が率先してやってしまうから」と笑っていたのを思い出します。
そのフライブルクが再生可能エネルギー利用に舵を切ったのは、近くにあるヴィールという村に原子力発電所の計画が持ち上がったことがきっかけだといいます。その計画は市民の根強い反対運動により撤回されるわけですが、フライブルク市民たちは原発のない未来に向けて、地域のエネルギーの将来を真剣に考え始めました。というのも、フライブルクはフランス国境に近い町で、フランスから原子力による電気が送られてきていたからです。
一方のデンマークは、70年代初めの石油ショックをきっかけに原子力の導入を進めようとした当時の政府に対して、環境NGOが原子力のないエネルギーの将来計画「代替エネルギー計画76」を提案、それがデンマーク国民の広汎な支持を得て、原子力導入計画は見送られました。
奇しくも、再生可能エネルギーの先進地は脱原発の先進地であったわけです。
■カギはエネルギーの効率的利用
さて先のフライブルクの環境部長さんが見せてくれたのは、同市のエネルギー政策の「3本の柱」でした。それは、エネルギーの効率、省エネルギー、再生可能エネルギーの導入、です。エネルギーの効率化と省エネルギーは混同されることもありますが、ここでは、はっきり区別されています。省エネルギーはあくまで使う場面でのエネルギー消費削減であり、白熱電球を電球型蛍光灯やLEDに替えたり、建物の断熱性を高めたり、あるいはコンセントを抜いたりすることがそれに当たります。
これに対してエネルギー効率化とはエネルギー変換(発電など)や輸送時における損失を減らすことです。前回述べたように、現在の発電システムでは大量の熱を環境中にムダに放出するばかりか、熱汚染をもたらしています。また遠距離を昇圧・降圧を繰り返しながら送電することによる損失があります。しかし、今発電所で捨てられている熱は、まだまだ十分に使えるものなのです。
家庭やオフィスで使う熱の最も大きな用途は給湯や冷暖房です。これはたかだか50℃あればすみます。80〜90℃もあれば、吸収式冷温水機という装置で冷水をつくることもでき、夏も冬も空調に使えます。発電をしながら、そこで出てくる廃熱を利用する──むしろ熱利用しながら発電するといった方が正確かもしれません──しくみをコジェネレーションシステムと呼んでいます。
こうした使い方をすれば、極端な話、エネルギー投入量(一次エネルギー)は半分以下ですみます(下図参照)。電気には電気にしかできないことをやらせればいいのです。むしろここにこそ、エネルギー消費削減の大きなカギがあることがわかると思います。こんなことを書くとエネファームを売りたいガス会社の回し者かと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
小澤祥司さんブログより転載
小澤祥司 おざわ・しょうじ
環境ジャーナリスト/環境教育コーディネーター 季刊ソーラーシステム・エディター 日本大学生物資源科学部講師
静岡県生まれ。田んぼと茶畑に囲まれた田園地帯で育つ。学生時代は海をフィールドに、現在は東京郊外の里山をフィールドに活動。執筆・研究テーマは、生物多様性保全、再生可能エネルギー、環境エネルギー政策、持続可能な地域社会、環境保全活動や企業の社会的責任(CSR)など。自宅には、3kWの太陽光発電、240リットルの太陽熱温水器とペレットストーブを導入。日本太陽エネルギー学会、西多摩自然フォーラム、トウキョウサンショウウオ研究会、ペレットクラブ、各会員
浜岡原発は止められる
静岡市で脱原発の活動を続けるグループが、今回の東北関東大震災で危機的な状況に陥っている福島第一原発以上に、危険な場所に立地している浜岡原発の運転停止を求めてネット署名を集めたところ、3日間で2万7000もの賛同があった。そのことをツイッターで紹介したら「浜岡の代替案はあるのか」というリプライが来た。
代替案というのは、短〜長期的にいくつかの段階に分けて考えなくてはならないが、短期的に見ても、浜岡原発を今すぐ止めてもなんら問題はないとブログ氏は考える。中部電力の資料によれば、電力量構成比に占める原子力の割合は14%程度(09年度)で、もともと東京電力(28%)や関西電力(45%)に比べ小さい。設備容量でいえば、全体の11%である。
中部電力管内のピーク電力は近年最も大きいのは08年の2821万kWだが、2009年は冷夏と不況の影響で2433万kWである。中部電力は火力発電だけで2400万kWの設備容量を持ち、水力発電と合わせると2500万kWあるので、2009年ピークであれば原発なしでもぎりぎり何とか乗り切れることになる。08年のピークであっても、夏期に一時的に供給不足が生じるおそれがあるということで、この時期の徹底的な省エネと、工場の輪番操業停止(休業)などで当面はしのげるはずだ。
数年単位では、天然ガス焚き発電設備を導入するのがいいだろう。既存火力発電所内か新設で300~400万kW分を増設、並行して事業所単位で、数十~数百kWのガスエンジン・ガスタービン発電を、できればコージェネレーションシステムとして導入する。100kWの設備を1万基導入すれば100万kW。もちろん、これではCO2排出が増えてしまう可能性がある。本質的には、エネルギーシステムのシフトを考える必要があるのだが、そのことについてはまたこのあと書く。
それでも1〜2年間は夏場に地域的な停電が起こることはありうると思う。暑い夏にエアコンを使えないのはつらいかもしれない。しかし浜岡原発は、近い将来間違いなく発生する東海地震の想定震源域の中心に立地する。東海地震では大規模な津波発生も予想されており、遠浅の遠州灘の海岸に立地する同原発への被害は福島第一以上と考えられる。破滅的な原発災害を受けるよりは、多少不自由でもそれを耐え、原発に頼らない安心できる社会を築き直した方がずっといいと思うのだが。
まず止めよう。それから議論しよう。今中部電力管内の人たちはその準備ができていると思う。
中部電力にとっても、浜岡原発は大きなリスクです。安全対策にこれからどれだけコストがかかるか見当もつきません。大事故が起これば会社が潰れます。もはやお荷物以外の何者でもないでしょう。今のうちにやめておいた方がいい。営利企業ならメンツは捨て、実利を取ることが大事だと思います(赤字部分3月24日加筆)。
“原発後”の世界へ向けて その2
福島第一原発では、危機的な状況がまだ続いています。「その1」で書いたように、避難地域の周辺でも、最悪の場合を想定して集団避難するところが出てきました。正確な情報を出さずただ安全というばかりの国はもはや何の頼りにもならない状況で、自治体が自主的に判断せざるを得ない状況になっています。それを受け入れる自治体もまたあり、図らずも上意下達・先例主義が崩れ、新しい自治が始まるのかもしれないとも思い始めています。もちろん状況は切迫しています。病院や養護老人ホームのような施設では避難が難しく、また避難地域に「火事場泥棒」が出没しているなど許し難い事態も発生しています。とまれ、切迫した状況の中で、地域は情報や支援がない中ぎりぎりの判断を迫られています。国家とは、平時は統治し非常時は見捨てるものなのだと思わずにはいられません。
戦後のエネルギー体制と戦前の軍国体制はよく似ています。戦前の軍国体制は無謀な戦争に突き進み、戦後のエネルギー体制は危険な原子力政策を推進しました。そしてどちらも破局を迎えました。実は、敗戦で解体され出直したはずの軍事体制の中で、電力体制だけは生き残ったのです。
沖縄電力を除く9電力の地域独占は、日中戦争さなかの1938年に電力管理法・日本発送電会社法が成立、全国の発電会社と送電会社を一本化し「日本発送電会社」という国策会社が誕生したことに始まります(あまり知られていないことですが、それまでは電力の売買は基本的に自由でした)。41年には配電会社が地域ごとに9社に統合されました。電力管理法によって設けられた電気庁が電力供給計画をつくり販売価格を決め、それにしたがって日本発送電と地域ごとに縦割りにされた9配電会社が事業を行うというしくみでした。こうして電力、エネルギーは完全に国家(実質的には軍)の管理化におかれ、戦時体制下に組み込まれました。
敗戦後独占企業であった日本発送電は解体され、配電会社の地域割りを元に民営化された9電力会社が発電から配電までを一貫して行う地域独占体制に変わりました。一方、電気庁はその後電力局となって逓信省、軍需省、戦後には商工省、通商産業省と所管が移り、73年に誕生した資源エネルギー庁へと引き継がれています。このように体制や名称は変わりましたが、エネルギー政策を決定し、それを実行する一連のプロセスはいまだ戦時体制を引きずっているとしか思えません。情報(戦況)を隠し、安全と恩恵(戦果)を強調する──今回の福島第一原発の事故に至るプロセスを見るとつくづくそう思います。
この大きな不幸をきっかけに、私たちはエネルギー政策の真の民主化を目指さなければなりません。戦後電力体制の象徴とも言える東京電力の解体が現実的なものになってきた今、その瓦礫の中から電力体制の「戦後」を築き上げる必要があると思っています。まずは制御が利かず利権・隠蔽主義を生みやすい巨大な電力システムから、分散型で効率のよい民主的な「コミュニティエネルギーシステム」への転換を進めましょう。
“原発後”の世界に向けて その3
■小規模分散型システムに抵抗してきた電力業界
首都圏の計画停電もが今夏のみならず、今冬も続くということです。ようやく東電は火力発電所の状況を公表しました。原子力発電のバックアップとして用意されている火力発電と水力発電の設備容量は、フル操業すれば原発なしでもほぼ電力需要をまかなえるほどあります。しかし、今回はその一部が地震や津波で損壊しているということなので、残念ながら時期によっては不足するおそれがあるのは事実なのでしょう。しかし、この時期に中期的な停電の可能性まで言及するのは、原発延命のための一種の脅しのように思えてなりません。問題は夏場と冬場の電力需要ピークに発電容量が足りなくなることで、そのしのぎ方をとりあえず考える必要はありますし、数か月〜1年間は何かと不自由するにしても、小回りが利き設置に時間もかからないガスタービン発電機を至急導入すればいいと思います。しかしそうすると設備容量が足りてしまう、つまり原発不要論に結びつくことを彼らは怖れているのでしょう。
電力会社は「電気を大切に」といいながら、電気を大量に使わせる“オール電化”を進めてきました。それが結果的に夏期と冬期の電力ピークを生み、停電の可能性を高める原因となっています。
電力業界は電力自由化にも強硬に反対し、結局完全自由化は見送られました。かつてマイクログリッドというシステムが注目されたときも、この導入・普及に抵抗しました。マイクログリッドとは、小型~中型の発電機や燃料電池・太陽光・風力など、地域の分散型電源をネットワーク化しITで制御、ナショナルグリッド(国家あるいは電力会社レベル送配電網)のマイクロ版を構築する考えです。2000年代の中ごろNEDOの実証実験が行われましたが、いずれも中途半端なまま、事実上失敗に終わりました。
マイクログリッドの弱点は、バックアップにあります。再生可能エネルギーのような不安定電源を抱えたり、点検や故障などもあったりして、一時的にどうしても電力容量が足りない場合、ナショナルグリッドから、あるいはナショナルグリッドを経由してのバックアップを受ける必要があります。先の実証実験では、電力会社はマイクログリッドの自社電源への接続を認めず、独立で運用せざるを得なかったり、別々の発電所をネットでつなぎ、発電容量と需要を仮想的に運用したりするしかありませんでした。当時電力の自由化論議が進んでおり、マイクログリッドが進むことで市場を奪われることを怖れた電力会社が導入に抵抗した、卑近な言葉でいえば邪魔をした、とブログ子は見ています。マイクログリッド熱はその後急速に冷めました。電力会社としてはしてやったりだったでしょう。
電力市場も受電容量50kWまでは自由化されたので、学校や事業所、公共施設に電力を売る事業が出てきてもいいものですが、これが進みません。設備コストの問題に加え、バックアップ時には電力会社から割高な電力を買わなければならないことも理由になっています。
■大規模集中型電力システムの脆弱さ
原発では原子炉内で核分裂反応を制御しながら、約300℃で水を熱し、蒸気を発生させます。その蒸気をタービンに吹き付け、復水器で蒸気を冷却して水に戻します。タービンの回転を発電機に伝えて電気を作っているわけです。核分裂を熱源にしてはいますがやっていることは古典的なランキンサイクル発電で、発電効率はカルノー効率の限界から最大35%程度です。発生した熱エネルギーの過半は大量の温排水となって海を温めています。
原子力の魅力、いや魔力は、重量当たりにして天然ガスや石油の5〜6万倍にも及ぶその膨大なエネルギー密度にあります。しかしエネルギー密度が高ければ高いほどそれが暴発したときの被害は大きくなります。そのことを今回の福島第一原発事故で私たちはまざまざと思い知らされることになりました。
よく再生可能エネルギーを否定する人たちは、不安定だ、お天気まかせで使えないといいますが、原子力は暴走すれば手がつけられなくなり破滅をもたらします。それならば、使いにくい再生可能エネルギーをうまく使えるように工夫すればいいだけの話で、原子力を推進するための悪質な方便に過ぎません。再生可能エネルギーに効率のよいガス焚きや石油焚きのタービン・エンジン発電機を組み合わせ、需要と再生可能エネルギーの発電状況に合わせてこまめに追随運転していくことは、現在の技術ではそれほど難しいことではありません。事実デンマークでは発電電力量の20%が風力からのものです。平均ですから時間帯によってはもっと高くなるわけです。同国では出力一定で運転する石炭火力をベースに、小回りの利く火力電源を組み合わせ、天候予測と需要予測に応じて追随運転させて、需給をマッチングさせています。実は日本の電力会社も需要に合わせてこうしたこまめな運用を、原発をベースにしながらバックアップの火力発電を使って行っているのです。その技術には十分に誇るべきものがあると思っています。
しかし、大規模システムに頼っていると、今回のように発電所のある地域が大規模に被災した場合、一気に電力不足に陥ります。需要に対して発電容量が足りなくなると、供給地域全体が一斉停電になるおそれがあります。しかし、分散型電源やマイクログリッドのような分散型電力システムの導入が進んでいれば、少なくともここまで混乱することはなかったかもしれません。公共施設や事業所、学校単位でシステムを持っていれば、停電の間も照明や通信機能などもある程度維持できたはずです。
しかも大規模システムの欠点は、エネルギー効率が極めて悪いことです。先ほど書いたように、原子力はあんな危険なものを燃料にしながら熱の3分の2を捨てているのですから。最も効率のよいのは、ガスタービンの冷却熱からさらに蒸気を作り蒸気タービンを回すコンバインドサイクル(CC)という発電システムですが、それでも45~50%程度。全体を平均して40%未満で、送電・変電時のロスを考えると電力として需用者に届くのは、投入エネルギーの3分の1だと考えればいいでしょう。電力とは、これほどエネルギーを浪費しながら送られてくるものなのです。ここに今後のエネルギーシステムを考えるカギがあるので、このことについては、後で詳しく説明します。
その2で書いたように、電力行政と電力会社は一蓮托生です。最近、資源エネルギー庁長官が東京電力に顧問で天下りましたが、逆に電力会社から資源エネ庁への出向も当然あるわけで、彼らは一体的に電力利権を牛耳っています。その利権を守るために政治家も使えば御用学者、御用タレントも使うわけです。原発を賛美していたこれらの御用学者や御用タレントが、今後どういう言動をするのか、注意深く見ていたいと思います。
“原発後”の世界に向けて その4
■2050年までに自然エネルギー100%の日本を
原子力資料情報室のページに「なぜ『脱原発』か」と題する共同代表の西尾漠さんの文章が掲載されています。2000年に書かれた文章とのことですが、今回の事態は起こるべくして起こったことだと今さらながら痛感すると同時に、こうした警告に耳を貸そうとせず今回の事態を招いた政府・電力業界にあらためて強い怒りを覚えました。
「なぜ『脱原発』か」
http://www.cnic.jp/modules/about/article.php?id=15
2005年に、藤井石根明治大学名誉教授が座長になり『2050年 自然エネルギー100%』(フォーラム平和・人権・環境編、時潮社刊)という本をまとめました。先の西尾漠さんやブログ子(小澤)も共同執筆に加わりました。この本の中では、タイトル通り2050年までに原子力も化石燃料も使わないで、国内で得られる再生可能(自然)エネルギーだけでまかなえる社会をつくる、という目標の下、風力・水力・太陽光(熱)・バイオマスなどの再生可能エネルギーの利用可能性を、専門家の皆さんとともに議論し、シミュレーションしました。原発に関しては設計寿命が来たものから順次廃炉し2030年に全廃、さらに化石エネルギーからも2050年までには脱却するというシナリオです。結論から言えば、それは可能であるということになりました。もちろん人口の減少、ということも加味してあります。ただそれ以上に大きいのが、エネルギー効率を高め、投入エネルギー(一次エネルギー)を大幅に減らすということです。
■原発のない未来を描く
2003年に『コミュニティエネルギーの時代へ』(岩波書店)という本を書くために、ドイツとデンマークを訪れました。いずれも風力発電を始め再生可能エネルギーの導入で先進的な国です。ドイツ南部のフライブルクは、「ソーラーシティ」という別名を戴くほど太陽エネルギーの利用やビジネスがすでに盛んでした。フライブルク市の環境部長にインタビューすると「この町ではわれわれがやることはあまりない。なんでも市民が率先してやってしまうから」と笑っていたのを思い出します。
そのフライブルクが再生可能エネルギー利用に舵を切ったのは、近くにあるヴィールという村に原子力発電所の計画が持ち上がったことがきっかけだといいます。その計画は市民の根強い反対運動により撤回されるわけですが、フライブルク市民たちは原発のない未来に向けて、地域のエネルギーの将来を真剣に考え始めました。というのも、フライブルクはフランス国境に近い町で、フランスから原子力による電気が送られてきていたからです。
一方のデンマークは、70年代初めの石油ショックをきっかけに原子力の導入を進めようとした当時の政府に対して、環境NGOが原子力のないエネルギーの将来計画「代替エネルギー計画76」を提案、それがデンマーク国民の広汎な支持を得て、原子力導入計画は見送られました。
奇しくも、再生可能エネルギーの先進地は脱原発の先進地であったわけです。
■カギはエネルギーの効率的利用
さて先のフライブルクの環境部長さんが見せてくれたのは、同市のエネルギー政策の「3本の柱」でした。それは、エネルギーの効率、省エネルギー、再生可能エネルギーの導入、です。エネルギーの効率化と省エネルギーは混同されることもありますが、ここでは、はっきり区別されています。省エネルギーはあくまで使う場面でのエネルギー消費削減であり、白熱電球を電球型蛍光灯やLEDに替えたり、建物の断熱性を高めたり、あるいはコンセントを抜いたりすることがそれに当たります。
これに対してエネルギー効率化とはエネルギー変換(発電など)や輸送時における損失を減らすことです。前回述べたように、現在の発電システムでは大量の熱を環境中にムダに放出するばかりか、熱汚染をもたらしています。また遠距離を昇圧・降圧を繰り返しながら送電することによる損失があります。しかし、今発電所で捨てられている熱は、まだまだ十分に使えるものなのです。
家庭やオフィスで使う熱の最も大きな用途は給湯や冷暖房です。これはたかだか50℃あればすみます。80〜90℃もあれば、吸収式冷温水機という装置で冷水をつくることもでき、夏も冬も空調に使えます。発電をしながら、そこで出てくる廃熱を利用する──むしろ熱利用しながら発電するといった方が正確かもしれません──しくみをコジェネレーションシステムと呼んでいます。
こうした使い方をすれば、極端な話、エネルギー投入量(一次エネルギー)は半分以下ですみます(下図参照)。電気には電気にしかできないことをやらせればいいのです。むしろここにこそ、エネルギー消費削減の大きなカギがあることがわかると思います。こんなことを書くとエネファームを売りたいガス会社の回し者かと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
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