02.02.18:38
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04.14.18:01
母親たちの反核運動~3000万の署名、大国を揺るがす
母親たちの反核運動~3000万の署名、大国を揺るがす
~第五福竜丸が伝えた核の恐怖~
http://www.youtube.com/watch?v=rdtAG64FbYI
この映像をずっと探していました!
日本の母親たちの反核運動が世界を動かしたのです!
是非皆さん見てください!
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NHK総合『その時 歴史が動いた』
第351回
3000万の署名 大国を揺るがす
〜第五福竜丸が伝えた核の恐怖〜
出演者
スタジオゲスト 前田哲男(まえだ・てつお)さん
(ジャーナリスト・沖縄大学客員教授)
著書『棄民の群島』(時事通信社)、『戦略爆撃の思想』(朝日新聞社)ほか
キャスター 松平定知
番組概要
その時: 1955(昭和30)年8月6日
出来事: 広島で第1回の原水爆禁止世界大会が開催、核実験反対という庶民の願いが初めて世界へ発信されたとき
どう動かしたか: 第五福竜丸の被ばくをきっかけに、残留放射能の怖さを知った人々が、署名という形で力を結集。米ソを中心とした核兵器開発競争に一定の歯止めをかけた。
1954年3月に第五福竜丸がマーシャル諸島ビキニ環礁での水爆実験に遭遇するまで、日本の庶民は『核の恐怖』について、ほとんど知らなかった。残留放射能の問題を中心に、広島・長崎の詳しいデータをアメリカが公表してこなかったためだ。被ばく者たちへの公的な救済も始まっていなかった。
第五福竜丸の被ばくに人々が大きな関心を寄せることができたのは、広島・長崎では蚊帳の外に置かれていた日本の科学者たちが、危機感を持って「死の灰」の分析などに必死になったこと。そして、マスメディアが乗組員の病状や科学者の分析結果を詳しく報道、あわせて投書という形で庶民の声を掲載していったからだ。
署名は、同時多発、自然発生的に各地ではじまった。カリスマ性のあるリーダーが先導したわけでも分かりやすいスローガンを掲げた運動体が主導したわけでもない。『被ばくマグロ』が次々とあがり、『放射能の雨』が降り続くことは、自分のたちの日々の暮らしや命がおびやかされることであると知った母親たちが動いたのだ。
その本能的な危機感がやがては、大きなうねりとなって世界に発信される。
番組では、当時新聞や雑誌に掲載された『庶民の声』を丹念に発掘。人々がどのように考え、行動し、やがては米ソを動かすまでにいたったのか。その力の源を描く。
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