01.23.05:59
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10.22.02:45
淡路屋太郎兵衛さん
うちの父方のご先祖さまに、淡路屋太郎兵衛さんという方がいます。
太郎兵衛さんは大八車を牽いて、町民に気違い扱いされながら四天王寺の再建を訴え、五重塔を再建した人だと父に聞かされていました。
今日は「王道」「孟子」「聖徳太子」というワードが気になり調べている中でふと「淡路屋太郎兵衛」さんを検索してみるとネットに太郎兵衛さんの記事が出ていて感激してしまいました。以下がその文です。
四天王寺の伽藍は、幾度もの火災や戦災に遭っています。
享和元年(1801)12月5日の雷火によって焼失した時の被害は四天王寺にとっては大打撃で、幕府からの援助もあまり期待できませんでした。
再建するには険しい状況でしたが、 庶民の寺として四天王寺再建を望んだ大坂町人は捨て置かず、 錦袋町年寄の淡路屋太郎兵衛が勧進元となって町人の財を集め、文化10年 (1813) に再建落成をみました。
私にも生まれながらに持ているビジョンがあります。
気違い扱いされても、志を持ち続けた太郎兵衛さんに尊敬とともに親近感を覚えます。
そんな大きなことは出来なくても、私らしくみんなが少しでも未来に希望を見出せるような事ができたらと願います。
太郎兵衛さんは大八車を牽いて、町民に気違い扱いされながら四天王寺の再建を訴え、五重塔を再建した人だと父に聞かされていました。
今日は「王道」「孟子」「聖徳太子」というワードが気になり調べている中でふと「淡路屋太郎兵衛」さんを検索してみるとネットに太郎兵衛さんの記事が出ていて感激してしまいました。以下がその文です。
四天王寺の伽藍は、幾度もの火災や戦災に遭っています。
享和元年(1801)12月5日の雷火によって焼失した時の被害は四天王寺にとっては大打撃で、幕府からの援助もあまり期待できませんでした。
再建するには険しい状況でしたが、 庶民の寺として四天王寺再建を望んだ大坂町人は捨て置かず、 錦袋町年寄の淡路屋太郎兵衛が勧進元となって町人の財を集め、文化10年 (1813) に再建落成をみました。
私にも生まれながらに持ているビジョンがあります。
気違い扱いされても、志を持ち続けた太郎兵衛さんに尊敬とともに親近感を覚えます。
そんな大きなことは出来なくても、私らしくみんなが少しでも未来に希望を見出せるような事ができたらと願います。
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